ep.15『兄者』⑭
いつまでも、悲しみに暮れている暇はない。
ヴォルガーは自身に言い聞かせた。
尊敬する兄弟子を手にかけてまで求めた平和は、未だ手中に無い。
目的を達成するため、今のヴォルガーにできることは『万橡の泉』を人類の手に取り戻すことだ。
基本、万橡の泉は七沌将を殺すことで取り戻すことができる。
殺した時点で、泉と七沌将との繋がりが断たれるからだ。
しかし、この戦いの場合は事情が違うはず。
凄之は立場上、魔王軍の七沌将となっていたが、この泉との繋がりは無いはずだ。
繋がっているのは、凄之に殺害された前任の七沌将――この神殿の壁に磔されたゴリラだ。
そのゴリラは変わらず、壁を覆う桃色の水晶に包まれている。
ヴォルガーの知識では、これにどのような対処をすれば繋がりが切れるのか判断はつかない。
壁から引き剥がすだけでよいのか、それとも距離を取らねばならないのか。
だから、この死体を引き剥がして神殿の外まで運び、魔法の専門家に意見を伺うのが最善の選択に違いない。
ゴリラの遺体は、ヴォルガーの長身でも見上げるような位置に磔されていた。
凄之との激しい戦いでも偶然ぶつかることのなかったような高さだ。
ヴォルガーはその高さまで飛び上がり、そして両の拳を握りしめ、桃色の水晶を砕くように突いた。
「ハァッッ!!!」
狙い通り、ヴォルガーの拳は水晶に突き刺さる。
後はこの遺体ごと引き剥がせば……と思案したその時、
「がは……っっ」
不意に、ヴォルガーは吐血した。
ここでようやく自覚する。
凄之との攻撃で受けた威力、最後の技で受けた反動。
それがどれだけヴォルガーの体にダメージを与えたのか。
やはり凄之との戦いは、貴重な機を逃せば敗北していたような紙一重で決着したのだ。
なるべく早くここを脱出して、治療を受ける必要もある。
そう考えながらヴォルガーは両腕に力を込めて水晶を砕く。
めきめきという水晶のひび割れる音が、神殿に響く。
そして、ゴリラを包む水晶が、ヴォルガーが両腕で抱えられる程度のサイズで引き剥がされた。
壁を覆う水晶から、丁度ゴリラ部分だけ外したような形だ。
考え通りに首尾よく進め、問題なく地上に飛び降り、後はこれを外まで運び出すだけ……と、ヴォルガーは考えていた。
しかし、その耳に突然、重低音が響き始める。
まるで、局地的な地震が起こったかのような音。
「これは……!!」
この本殿が崩れ始めている、ヴォルガーはそう気づいた。
明らかに、自分がゴリラを引き剥がしたことがきっかけだ。
ゴリラを包み込む水晶が、余程壁に深く根を張っていたのだろう。
衝撃がこの建築の深くにまで伝わってしまったのだ。
もたもたしていたら、この崩壊に巻き込まれてしまう。
自身の命も危ない。この勝利も無駄になる。
一刻も早く脱出しなければならない……そう理解しながら、ヴォルガーの視線は引き寄せられる。
尊敬していた、兄弟子の遺体に。
俺は兄者を、弔うこともできないのか。
ヴォルガーの胸は締め付けられるように痛んだ。
だが、自らの感情に振り回される余裕はない。
ヴォルガーは歯を食いしばり、凄之の遺体から目を逸らした。
そして水晶に包まれたゴリラの死体を背負い、本殿を脱出した。
来たときと同じようにポータルをくぐった瞬間……ガラガラと崩れ落ちる轟音が耳に響いた。
***
ヴォルガーは、ゴリラの死体を包む水晶を背負って歩き続けた。
重い足取りで、一歩一歩確かに前へと進んだ。
痛みと疲労で何も考えられない。それはむしろ、救いですらあったが。
そして、神殿の出口が見えたその時、
「――ヴォルガーくんっ!!」
ラピアの声が聞こえた。
ぼんやりとした意識で聞いたそれが本物なのか、幻覚なのか。
ヴォルガーには判別できなかったが、ただその声を聞いた瞬間、安堵感のせいかヴォルガーは膝から崩れた。
「ヴォルガーくん、大丈夫ですか!!?」
そう言いながら駆け寄ってきたラピアは、確かに本物だった。
距離が近づくほどに、触れてもいないのにその温もりが不思議と伝わってきた。
それは、ヴォルガーの体温が低下しているせいだろうか。
「チョーカーが作動したから気が気じゃなくて――」
そう言った瞬間、ラピアも気がつく。
ヴォルガーが背負っているものに。
「ヴォルガーくん……それってまさか、七沌将……? 勝ったんですか……?」
困惑とともに発せられた問いに、ヴォルガーは絶えそうな息で答える。
「ああ……ラピアさん……。勝ったよ、俺は……七沌将に……」
≪続く≫




