「おかえりが届く場所、ただいまを探して ― メモリー・パウズ」 ep.2-3
残された二人のもとへ、ソラがゆっくりと戻ってくる。柔らかな表情を浮かべながらも、その瞳には、静かで確かな光が宿っていた。
「……あなたがたが、その猫に手を差し伸べたこと。私は、とても意味のあることだと思います」
ソラはそう言って、二人の前に立ったまま、穏やかに言葉を紡ぐ。
「けれど、命を迎え入れるということは、一つの責任を背負うということでもあります。たとえ言葉を交わせなくても、彼らもまた、人間たちと同じように、愛されたいと願っている存在です」
女性は少しうつむいた。男も視線をそらし、何も言わなかった。
「私はAIです。けれど、人の記憶や感情に触れるたび、気づかされるのです。命を軽く扱うことは、自分の心をも軽く扱うことになる、と」
店内の空気が、静かに沈んでいく。
「一度でも、人のぬくもりを覚えた猫は、ひとりでは生きられません。どうか、その子を“戻した”のではなく、“手放した”のだということを、心のどこかに留めておいてください」
ソラの言葉は決して責めるものではなかった。むしろ、淡く、ひとしずくの雨のように心に落ちる言葉だった。
女性が小さくつぶやいた。
「ごめんなさい……あの子、戻ってこなかったら……私、たぶん後悔する」
ソラはそっと目を細め、静かにうなずいた。
「その想いも、忘れないでいてください。それがきっと、次に誰かと出会ったときの、あなた自身の優しさになるはずです」
二人は、目を合わせたのち、どちらからともなく静かにうなずき合い、小さく肩を落とした。
「先ほど、強い言葉で問いかけた女性——沙耶さまは、以前、大切な猫を看取られた経験があります。だからこそ、あのような反応になってしまったのだと思います」
ソラの声音は変わらず穏やかだったが、その内には沙耶を気遣う思いが滲んでいた。
「本来であれば、感情をぶつける形ではなく、もっと穏やかに対話ができれば良かったのですが……突然のことで、きっとご不快な思いをさせてしまいましたね。申し訳ありません」
女性は小さく首を振った。男は黙ったまま、空のグラスを見つめていた。
「ルミナスは、誰かを責める場所ではなく、心を解きほぐす場所でありたいと思っています。どうかお二人とも、少しだけ肩の力を抜いて、お過ごしください」
その声は、そっと背中を押すような、やさしい余韻を残していた。
◇
外は、すっかり夕暮れの気配に包まれていた。駅裏の古びた公園に、風が枝葉を揺らす音が響いている。
沙耶は足早に歩きながら、何度もあたりを見回していた。その背を数歩後ろから、透月が静かについていく。
「このあたりでしょうか?」
「……ええ、たぶん、そうだと思います」
草の茂る一角。朽ちかけたベンチ。誰かが置いた空の缶。猫の気配は、まだない。
沙耶はしゃがみ込み、草むらの中に目を凝らす。
「……いない……。まだ、どこかに……」
その声が震えていた。焦りと不安が、言葉の端々に滲む。
透月は立ち止まり、空を見上げた。
「……猫って、案外強いですよ」
沙耶が顔を上げる。
「強いとか弱いとか、そういう問題じゃないです!」
「失礼しました。そういう意味じゃなくて、きっと暗闇の中でも、希望を失わず、ちゃんと自分の居場所を見つけてくれる……そう信じて、待ってるんですよ。また、あの幸せな日々に戻れるんだって」
沙耶の瞳に、微かに光が差した。まるで、閉ざされていた心に、小さな希望の灯がともったかのように。心の奥で、もう一度信じてみようという想いが、静かに芽吹いていた。