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記憶と夢の珈琲店〈Cafe Luminous〉  作者: 寶井かもめ
第七話 「再出発の音色 ― シュクレ・セレナーデ」
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「再出発の音色 ― シュクレ・セレナーデ」 ep.4-5


 このかが席に着くと、ソラは黙ってメニューを差し出した。このかは少し迷ってから、それを開かずにテーブルに伏せた。


「……この前の、ミルクティー……また、ください」


「かしこまりました」


 ソラがそう応じてカウンターへ戻ると、アケミが席を立ち、少しだけ距離を取ってこのかの席の近くに腰かけた。


「このかちゃん……だったよね。私もさ、最初この店に来たとき、ちょっと疲れてたんだよね。なんか、世の中ってうるさいし、面倒なことばっかで。あ、うるさいって叱られたの、私のほうなんだけどね」


 アケミが、おどけるように舌を見せる。


 このかは目を伏せたままだったが、アケミの言葉にほんの少し、まつげが揺れた。


「……でもここに来ると、なんか静かでさ。音も、匂いも、人の声も。ぜんぶがやわらかいの」


 アケミの声は、ふだんよりもずっと静かだった。それが、このかには心地よかった。


「……お母さんがね、言ってたの。フリースクール、どうかって」


 ぽつりと、このかが呟いた。


「ふーん。行ってみたい?」


「……わかんない。まだ……怖いし。でも……考えてみたいとは思ってて……」


「うん、それでいいんじゃない?」


 アケミは深く問い詰めることもせず、ただその言葉を受け止めた。


 やがて、ソラが湯気を立てたミルクティーをそっとテーブルに置いた。甘い香りが、このかの指先に届く前に、心の奥に沁みていった。


 静かな午後の光が、カップの縁をやわらかく照らしていた。


 しばらく沈黙が続いた。ミルクティーの湯気が、ふわりと揺れて、ゆっくりと消えていく。その様子を見つめながら、このかがぽつりと口を開いた。


「……なんで、自分でもわかんないくらい、苦しくなるのかなって、ずっと考えてたの」


 アケミは、急かすことなく、ただ静かに聞いていた。


「わたし、たぶん……うるさいのとか、においとか、光とか、全部がちょっとずつ、しんどいみたいで。教室って、そういうのが、ぜんぶあるから」


 言葉を探しながら、少しずつ吐き出すように、このかは続けた。


「それで、あるとき日直で……先生の話、ちゃんと書きとめられなくて。そしたら『ふざけてる、迷惑だ』って言われて、クラスのグループチャットからも外されて……」


 カップの縁を指でなぞる。


「そのとき、止めようとしてくれた子もいたけど……結局、その子も巻き込まれたくなかったんだと思ったから、わたし、自分から離れたの。……それで、ひとりになった」


 アケミがそっと口を開いた。


「それ……全部、このかちゃんが背負うことじゃないよ」


「……うん、でも、そう思えないの。ちゃんとできなかったわたしが悪いって、ずっと思ってた」


 そのときだった。カウンターの奥から、ソラの声がやわらかく響いた。


「できる、ということと、向き合っている、ということは、同じではありません」


 このかはゆっくりと顔を上げ、ソラの方を見た。


「あなたは、ちゃんと自分の心と向き合っている。それだけで、尊いことです」


 その言葉は、まるで店内の静けさと同じように、どこまでもやさしく、このかの胸に染み込んでいった。



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