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記憶と夢の珈琲店〈Cafe Luminous〉  作者: 寶井かもめ
第四話 「声にならない詩 ― ノクターン・サイレント」
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「声にならない詩 ― ノクターン・サイレント」 ep.2-5


 ◇


 ――古びた木の扉の前で、凛は立ち尽くしていた。扉の上に揺れるアイアンの看板には、《記憶と夢の珈琲店〈CAFE・LUMINOUS〉》と刻まれている。


 ここを見つけたのは偶然だった。街の喧騒を避けて音の少ない路地を彷徨っていたとき、この看板と、静かに息づく木の扉に出会った。けれど、その扉を開くには、ほんの少し勇気が必要だった。


 “ここに入ってしまえば、自分を変えられるかもしれない” そんな予感がした。なによりも『記憶と夢』という文字に惹かれた。だからこそ足が止まった。


 喉元に手を当て、鼓動の速さを確かめるようにひと呼吸おくと、凛は意を決して扉に手をかけた。


 カラン……と、小さな鈴の音が静かな空間を撫でた。


 焙煎された豆の香りと、古木の甘い匂いがゆるやかに満ちている。その奥に、凛の心をそっと緩めるような、柔らかな光が広がっていた。


 カウンターの隅には一人の男性が座っていた。文庫本を閉じ、水を口に含んだところでふと顔を上げる。少女と目が合うと、透月は軽く会釈してからゆっくりとページの端に視線を戻した。


 ソラがカウンターの中から、凛に向かって優しく微笑んだ。


「いらっしゃいませ。ようこそ、カフェ・ルミナスへ」


 その声があまりにやさしくて、凛は一瞬肩の力を抜きそうになった。慌てて頷き、カバンからノートを取り出すと、新しいページを開いてペンを走らせる。


『声が出せません。筆談でもいいですか?』


 ソラは目を通すと、頷きながらはっきりとした声で返した。


「ええ、大丈夫ですよ。あなたのペースで、ここにいてください」


 凛の目がかすかに揺れた。耳に届いたその“言葉”に、恐怖ではなく、安堵が広がっていく。


「よければ……お名前を教えてもらえますか?」


 凛は再びペンを取り、そっと書いた。


『凛、といいます』


 その筆跡をふと横目で見ていた透月の目が、わずかに動いた。胸ポケットの中の紙片が、ふっと心のなかで重なったような気がした。


 ――どこかで見たことがある。

 けれど、それはまだ“確信”ではなかった。


「素敵なお名前ですね。では凛さん、ごゆっくりお選びください」


 凛はメニューを受け取り、そっと視線を滑らせた。コーヒーやカフェオレ、紅茶、ハーブティーといった飲み物が並んでいて、焼き菓子やケーキなどフードメニューも充実している。


(どれも美味しそう……でも、どれがいいのか……)


 メニューを見つめるその目は、ほんの少しだけ楽しげで、そしてどこか迷子のようでもあった。


 凛はこの場所で過ごす一瞬を大切にしたいと思っていた。だからこそ、選ぶことにも少しだけ時間をかけたかった。


 やがて、メニューの端に小さく書かれた「季節のブレンド」に目を留めると、凛は頷くようにソラへ視線を向け、そっと指差す。


 ソラは優しく微笑みながら、「季節のブレンドですね。少しお時間をいただきます」と言い残して、静かに奥へと姿を消した。



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