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記憶と夢の珈琲店 -A.I cafe Luminous-  作者: 寶井かもめ
第四話 「声にならない詩 ― ノクターン・サイレント」
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「声にならない詩 ― ノクターン・サイレント」 ep.3-5


 カップの準備の音が控えめに響く中、凛は再びノートを開きペンを走らせ始める。それは凛にとって自分の心をそっとすくい上げるような時間だった。


『私は まだここにいてもいいのでしょうか

 声をなくしても 夢を語ってもいいのでしょうか

 この静けさが 私を責めないのなら

 私はもう少しだけ 光の中にいたいと思いました』


 書き終えると凛は小さく息を吐いた。空想から現実へ還るその感覚は、深海からゆっくりと水面へ浮かび上がるようで、凛はその瞬間が好きだった。


 ここは普段の世界とは切り離された静かな場所だ。誰にも咎められず、ただありのままでいていいと感じさせる空気に満ちている。


 凛は胸の奥にふっと小さな安らぎが灯るのを感じた。


 やがて、ソラが運んできた一杯のコーヒーがカウンターにそっと置かれた。


「お待たせしました。こちらが季節のブレンドです」


 ソラはカップを置いた後、凛のノートにふと目を落とした。


「……とても綺麗な言葉ですね」


 凛は小さく肩をすくめた。照れくささと、どこか見透かされたような気恥ずかしさが混じっていた。


「申し訳ありません。つい目を留めてしまいました。不思議ですね……まるでその言葉が自然と目に飛び込んできたようでした。でもその『静けさ』は、きっとあなたの中にずっとあったものです」


 凛は胸の奥がかすかに温かくなるのを感じた。誰かに否定されない。そんな当たり前のことが、こんなにも心を軽くするのだと初めて知った。


 ソラはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「責めるものではなく、守るもの。……ここでなら、声がなくても、あなたはちゃんと存在していますよ」


 その言葉を聞いたとき、凛は心にやわらかなものが降りてきたように感じた。まるで長いあいだ張りつめていた糸が、少しだけ緩んだようだった。


 凛はノートのページをめくると、ほんの少しだけ顔を上げてから、ゆっくりとペンを走らせる。


『私、本当はまた声を出して詩を読みたいんです。でも、こわいんです。あのとき止められなかった自分が。だから今も、声を出すと胸が苦しくなって……』


 その言葉を読み終えたソラは、凛をまっすぐ見つめた。


「怖くていいんですよ」


 ソラの声は、窓の向こうから差し込む陽の光のようだった。


「夢は、忘れたふりをしても、ちゃんとどこかで待っていてくれます。あなたがまたその場所に戻れる日を、ずっと」


 少しだけ時間をおいて、ソラがそっと問いかける。


「……凛さん。よろしければ教えてもらえますか? あなたの声が、今こうして出せなくなった理由を」


 凛は少しだけ躊躇したあと、またゆっくりとページをめくり、ペンを動かし始めた。


『私は詩を読むのが好きで、配信アプリで朗読をしていたんです』


 ペンが止まり、凛は少しだけ息を吐いた。


『自分の声で、誰かになにかを届けたくて』


 ソラは黙って見守っていた。


『でもある日、配信中にコメントでひどいことを言われて……止めたくて、AIに何度も止めてって伝えたのに、止まらなかった。録音も、ひどいコメントも』


 震えるように、ペン先がわずかに揺れる。


『そのままどこかに逃げようとして、転んで喉を痛めました。怪我はもう治っています。でも、そのときの恐怖が今も喉を塞いでいる気がして。治っているはずなのに、声を出そうとすると、あの時の気持ちが戻ってきてしまうんです』


 凛はしばらく視線を落としたまま、じっとノートを見つめてから続きを綴った。


『それ以来、AIも怖く思えてしまって。端末を開くことさえ、今はできません。だから筆談に頼っています』


 そしてゆっくりと顔を上げ、ソラをまっすぐに見つめてから、最後の一行を綴る。


『でも、本当はもう一度、自分の声で詩を読みたいんです』


 凛はゆっくりとペンを置いた。その目の奥には、震える光のようなものが宿っていた。



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