第9話 若くて老いて
──アステルが巨大生物を追跡して何時間も経過であろう頃。
土で濁った水の溜まった大きな穴の中へ巨大生物の痕跡は消えていた。
もしあの巨大生物がアステルたちと遭遇し、そして去って行ったあとも食べ進みながら移動していたのなら、腹は膨れ休息をとっているはずだ。
アステルの予想が正しければ、この穴が棲み処であることは間違いないはずだ。
「さて、ここに罠を敷くか、それとも入り込んで助けに行くか……」
罠を敷いた方が確実に捕獲できるが、巨大生物が休息をしにこの穴の中に入っていったのなら暫く出て来ず、待っている間に飲み込まれた女性は消化されてしまう可能性が高い。
かと言ってうかうかと穴の中に入れば濁った水で先が見えず、手探りで水中を探索することになり、最悪の場合アステルまで食べられてしまうだろう。
そうなってしまえばアステル自身は死ぬことはないが、調査の期間が少なくなってしまう。
アステルがどうしたものかと考えていると、不意に後ろから肩を叩かれる。
「ん? えっと……ああ、アクア・リタ君じゃない。名前で合ってるのかは知らないけど。どうしたの?」
振り返るとそこには、先程呆然としていたため置いてきたアクア・リタがおり、手で何かを示していた。
「何? “俺が奴を誘き出すからお前はここに罠を張って待っていろ”。みたいな感じかな?」
流石に言葉は通じないので、アステルは自身の汲み取った意図が合っているか地面に絵を描いて確認する。
「──ッ!? ハイリン、コトゥヤツラナ!」
絵を見たアクア・リタは、目を見開きアステルの肩に両手を置く。
「お、良かった。その様子を見るに、どうやら合ってそうだね」
アクア・リタは確認を終えると、握り拳を作りアステルの前に差し出す。
「拳……? この星にもそんな文化あるんだね。それとも、ただの習性かな」
アステルは呟き、同じように握り拳を差し出すと、アクア・リタはアステルの拳に自身の拳を突き合わせる。
アステルを信用したのか、アクア・リタは身に纏う衣で全身を覆いながら、直ぐ様穴の中に飛び込んでいく。
「さて、私は罠を作るとするかな」
アステルはバッグからナイフを取り出すと、巨大生物を拘束する為の罠を作成していく──。
「──よし、こんな感じでいいかな? 罠名は、“大型両生類を巣穴の外で待ち伏せ! グルグルシズクダマリン!” ふふ、我ながら良いセンスしてるね」
アステルは穴を塞ぐようにした網状の罠を完成させると、アクア・リタが巨大生物を巣穴から誘き出すまで、巣穴から少し離れたところで座って待機する。
しかし、誘き出すのに手こずっているのか中々穴の中から姿を現さず、罠を作り終わり暇になったアステルは、巣穴の周りに何か未記録の動植物が生息していないか散策し始める。が、
「──何も居ないし何も無い、暇。早く出てきてくれないかな……?」
辺りに目新しいものが見つからず、文句を垂れていると、穴の中の水がブクブクと揺れ始める。
そして──、
飛び出して来たのはアステルが待っていたはずのアクア・リタではなく、槍を腹部に携えた生物が水中から罠の隙間を通り抜ける。
「あれ? イルカ? 初めて見る生物かな」
アステルがアクア・リタではなく、イルカらしきものが飛び出してきて不思議に思っていると、生物の体が崩れていく。
「アステル=モシュメ! ルオロートルヤ、ツュライタップシアラ!」
崩れた中からアクア・リタが姿を現すと同時に、アステルの名を呼び何かを伝えたかと思えば、そのすぐ後ろを標的の巨大生物が大口を開いて飛び出す。
巨大生物の開いた口に、アステルが仕掛けたシズクダマリの蔓の引っ掛かるのを皮切りに、シナリシネリ木に石を使って引っ掛けていた、何重にも束ねられたシズクダマリが取れ巨大生物に絡まっていく。
そしてついに、巨大生物は勢いを殺されて地面に身体を叩きつけられる。
シズクダマリの蔓で前足を拘束されて動けなくなった巨大生物は、拘束から逃れようと暴れており、アクア・リタはトドメを刺そうと暴れる巨大生物の首元にあるヒレから槍を突き立てようとする。
しかし、
「ちょっと待ってね」
と、アステルは巨大生物の首元を槍で貫こうとするアクア・リタを止めると、バッグを弄り、中から小瓶と注射器を取り出す。
「じゃじゃん、汎用型対水生生物用麻酔薬『SAI32』。こんなこともあろうかと、いつも調査に行くときはエニフルの化学研究課から借りてるんだよ。ただ、これは生物への体の負担を考慮すると水で希釈して使わなくちゃいけないから、ちょっと待っててね……って、言葉通じないのに何でこんな説明してるんだろ……? 何か忘れてる気がするけど……まあ良いか」
そう言うとアステルは自身の腹部を押さえ、飲み込んでいた水入りの小瓶を吐き出すと、注射器で小瓶の薬液と水を吸い出す。
「時間無いし、大体100倍くらいでいいかな」
注射器で薬液と水を吸い終わると空気を少量注射器の中に入れ、泡立たないよよう慎重に、空気を移動させるように上下を何度も逆さにして撹拌する。
撹拌を終えると中の空気を注射器から押し出し、巨大生物の首に針先を刺し込むと、巨大生物の様子を確認しながら少しずつ薬液を注入していく。
5……10mlと少しずつ注射していくと、段々と巨大生物は活力を失いっていき、程なくして巨大生物は気を失う。
「……やっと麻酔の効果が効く量になったみたいだね。100倍希釈なら本来は、象なんかに使えば5mlもあれば事足りるんだけど……、凄いね、20mlも注入することになっちゃったよ」
アステルは巨大生物から針先を抜き小瓶とともにバッグにしまうと、アクア・リタに槍とバッグを預け、絡まったシズクダマリを解いて昏睡する巨大生物の口から体内へ侵入していく。
「体皮が薄いのかな? 中が明るい。で、通る光りは薄いピンク色か、なら血は赤かな」
アステルが巨大生物の胃の中に到着すると、飲み込まれた女性は気を失ってはいたがまだ消化されておらず、アステルはこれ以上胃液に浸からないように女性を背に抱える。
「さて、この生物は普段何を食べてるのかな?」
アステルは女性を背負っており手が使えないので、足で巨大生物の胃の内容物を物色し始める。
「植物、鉱物、何かの小・中型動物の残骸……。──ん?」
アステルが足で内容物を物色していると、退けた物に奇妙な物体が含まれており、アステルは思わず顔をしかめる。
「これは……、ヒトの腕?」
人の腕らしき物を見つけ、アステルは胃の中を見渡すと、所々に消化途中の人の頭部や身体の一部が消化物に紛れ込んでいた。
「口に入る大きさものを片っ端から食べてるみたいだね。でもそれなら、わざわざ獲物を追いか回す必要はないと思うけど……動くものを優先して食べてるのかな? でもそれだと鉱物食べてるのは変だし……。まあ、そういうことは研究課がやるから良いか」
「──リタ……」
アステルが内容物を物色を続けていると、女性が僅かながら意識を取り戻し、女性を背負うアステルの首元に強くしがみつく。
「うげ、強い強い。私はアクア・リタ君じゃないよ……」
アステルは巨大生物の胃壁に刺さった槍を見つけると、中心を咥えて引っこ抜き女性と共に巨大生物の外に持っていく。
巨大生物の口から出ると、アクア・リタは手に持っていた槍とバッグを落として駆け寄ってくる。
「あちょっと、人のバッグを捨てるんじゃないよ、全く……」
アステルは女性と槍を降ろすと、巨大生物の記録をするためにバッグから記録書とペンを取り出し、巨大生物の周りを見て回る。
「この首元にあるヒレはなんだろう、エラかな? だとすると陸上では肺呼吸か皮膚呼吸かその両方。水中では体格に見合う必要酸素量的に長期間潜れる肺活量か皮膚呼吸、加えてエラ呼吸って感じかな」
アステルは女性を抱き締めるアクア・リタを他所に、巨大生物に絡まる蔓を使って凸凹とした体の上に乗り、目や体表の特徴、体表を覆う粘液を指先で取って舌につけてみたりと余すことなく調べ記録する。
「体表がかなり苔生してる。普段は水の中でじっとしてるのかな?」
アステルが巨大生物の体表の苔を擦ると、苔むした表面から黄色い表皮が現れる。
「黄色い……、警告色かな? 幼体は小さくて食われやすいから毒を持ってて、成長するに連れ毒性は薄れ、警告色だけが残ったとか? 調査終わったらまたいつか研究課に聞こっと」
「──よし、じゃあ後は……ふふ、名前どうしようかな」
生物の特徴を粗方調べ終え、アステルが巨大生物の名前を考えていると、アクア・リタが意識を取り戻した女性に肩を貸し歩いて来る。
「アステル=モシュメ。マガルオロートルヤ、ララリアラ」
「何? マガルオロートルヤ? この生物の名前?」
「ウム、ルオロートル。ララリアラ」
アステルが巨大生物を指さして聞くと、アクア・リタは頷き再び答える。
「そう、ルオロートルかぁ。えぇ、じゃあ私が名前付けない方が良いか……」
既に巨大生物に名前が付けられていると知り、アステルは肩を落とし残念そうにため息を付きながら『ルオロートル』と記録書に名前を記載する。
アステルが気落ちとしていると、アクア・リタの肩に抱えられられている女性がアステルの腕を引き、何か言いたげな表情でアステルの顔を見上げる。
アクア・リタは女性の様子を見ると頷き、アステルに背を向けて歩き出す。
「“付いて来い”とかかな。まあ言われなくとも元から付いていく気だったけど」
アステルが記録書と槍をバッグにしまい、ゴーグルを目元から外し頭に掛け直す。
そして、アクア・リタたちについて歩いていると、後ろから大きな物音と直後に水しぶきの音が鳴る。
「ん? もうさっきの生物目が覚めたのかな。流石に早すぎじゃないかな、3時間は眠っててもらう予定だったんだけど……」
アステルは再び記録書を取り出し、ルオロートルのページに“麻酔耐性高 使用麻酔『SAI32』”と追加で書き込む。
──そして、暫くアステルがアクア・リタたちの後に付いて歩いていると、アステルは予想だにしていなかったもの目にする。
「何これ、こんなの事前調査の記録には載っていなかったはずだけど…‥」
アステルの目の前に広がっていたのは、水没星と名付けられたにも関わらず水の張っていない、隕石でも衝突したかのように抉られたクレーターだった。
「さては、調査員私だからって手を抜いたな? 今回は新人連れてくから入念にって言っといたのに……」
未報告のクレーターを見たアステルは、アクア・リタたちの後について、クレーターの中心へと向っていく。
第9回 メモリーお姉ちゃんの豆知識!
『ルオロートル』について
ルオロートルとは、別名“大若山椒魚”と呼ばれる有尾目・ミズアガリサンショウウオ科・オオミズサンショウウオ属に分類される雑食性の有尾両生類です。
幼形成熟という、“子供の姿のまま成長”をした個体のことを言い、“若くして老いる”という意味を名前に持ちます。因みに、人間も幼形成熟の特徴を持っていますよ。気になったら調べてみてはいかがでしょうか?
そしてルオロートルは、普段は殆どの時間を棲み処でじっとして、住処の中に入り込んできた獲物をその大口で吸い込むように捕食をし、稀に呼吸の為に穴から顔を覗かせます。
そんなのんびりとしているルオロートルですが、なぜ今回地上に出ていたのかというと、ルオロートルは呼吸をする為に水面に顔を覗かせると言いましたが、濁った水中で生活している且つ、目は口元から離れた位置についており口元があまり見えないため、その時に何かが口に当たると反射的に食い付いてしまい、穴の中から飛び出してしまいます。
その際再び口先に何か当たることがあれば、全く獲物が来ずお腹が空いて食欲旺盛なルオロートルは獲物を追って森の中に飛び込んでいき、進む度に口に植物がぶつかるので、お腹がいっぱいになるまでひたすらグルグルと森の中を食べ進んでいくことになるという訳なんです。
シュメちゃんたちはその進行先に偶然居合わせてしまったみたいですねー。災難でしたねー。
そして、生まれたての大きさはアホロートルの成体、ウーパールーパーと言った方が皆さんは馴染み深いですかねー? と、手のひらサイズの大きさで、体表は水底の土の保護色になるように薄茶色をしているのですが、雄の個体のみ成長するに連れ段々と明るくなっていき、やがて黒い斑点のある黄色い体表へと変わっていきます。
この黄色い体表は雌へのアピールポイントという説が出ており、色が濃ければ濃いほど雌にモテるらしいのですが、普段水中でじっとしているので体表が苔生していき、折角のアピールポイントが隠れてしまう上、濁った水中で生活していて目も悪いので、雌雄が出会っても餌と誤認することがあるそうですよー。つくづく生態が噛み合っていませんねぇー。
え? なら何故黄色い体表を持って進化したのか? もしかしたら、本来はアピールポイントではなく外敵への警告色だったりして……なんて、だとしたら物凄い巨体を持つルオロートルを捕食する生物なんて、いったいどんな生物なんだぁー!? って、なっちゃいますもんねぇー。