第二十二話 悪臭散布
「──さて、こいつをどぅするか……」
ドゥカッセがアクア・リタを連れて行ってしまった後、残りの全員で悪臭の根源であるヒラケウミウシをどう処理したものかと集まって話し合っていた。
「リタめ、余計ぃなもん持って来やがって」
「食べてみれば?」
アステルは老人の後ろで、いまだにリトから捕まえてきた獲物を渡されながら老人に問う。
「ば、馬鹿言え! あんな恐ろしい匂いを放つもん、この老いた体には刺激が強すぎる」
老人は今にも壊れてしまいそうなその体から、目一杯に声を振り絞る。
「それもそうだよね」
アステルはそう言ってリトから貰った獲物を再び口に運ぶ。そして、次々と渡そうとするリトに「もういいよ」と断りを入れる。
それからも、ヒラケウミウシの放つ強烈な臭いに誰も近付くことができず、刻々と匂いが増していくだけだった。
「疲れた……。あの、なんかたくさん貰っちゃったので、アステル先輩も食べます?」
リミナの男たちにようやく解放されたようで、好意で渡されたのか、溢れんばかりの生物を手に抱えているラナデがアステルの隣に立つ。
「いや、私はリトちゃんからたくさん貰ったからいいかな」
「そうですか……。食べきれるかな? というか、生のまま食べて良いものなのかな? 今度から調理器具でも持って来よう」
そう生物を見つめながら呟いていたラナデだったが、ふと顔を見上げた瞬間、あることに気が付いた。
「あれ? アクア・リタさんの取ってきた生物、なんだか膨らんできてません?」
「そうですねぇ~。もしかしたらこれは、アレが起きているもしれませんね」
「そうだね、ちょっとばかし離れようか」
ラナデの疑問に対し、アステルとメモリーは話し合うと、リトを連れてその場から離れる。
そして、アステルは振り返り、
「危ないから離れてた方が良いよ。多分だけど、腐敗が進んで中にガスが溜まってきてる」
そう言うと、アステルは辺りを見回し、丁度良くあった板のようなものに目を付けると、立ててメモリーとリトとともにその後ろに隠れる。
続いてラナデも、膨らんでいるヒラケウミウシの様子をチラチラと見ながら陰に隠れる。
「あの、腐敗にしては随分と早くないですか?」
ラナデは板の陰から顔を出し、ヒラケウミウシとそれを囲うリミナの民を眺めながら聞く。
「確かに私たち基準で考えれば早いかもしれないね。でも、その早いかどうかはその星の環境や状況でも変わるからね」
ラナデの問いに答えるアステルは、板を背もたれのようにして支えながら、記録書に何かを書き込んでいた。
アステルは一通り書き終えると、ラナデを見上げる。
「ラナデ君、記録見せて」
「記録?」
「そう。オカピパの繁殖地で、アクア・リタ君とリトちゃんの狩りの様子の記録、頼んだでしょ?」
「そうでしたね。うまく要点を記録できているかは分かりませんけど……」
ラナデは空を一度指で叩き、自身の目の前にモニターを表示すると、モニターをアステルの前にスライドして差し出す。
アステルは差し出されたモニターを見ながら、自身の記録書へ内容を書き込んでいく。
その様子をリトは横からのぞき込んで不思議そうに眺めていた。
「メモ姉、この記録どれだけ手伝った?」
アステルは書きながら聞く。
「そこまで口出しはしていませんよー。少しばかり注意深く見るように促しただけです」
メモリーは人差し指を立て、ウィンクをしながら答える。
アステルはメモリーをじっと眺めると、
「……そう」
と、再び記録書とモニターに目を向けて書き始めた。
「──よし、初めてにしてはまあ良いかな」
記録を写し終えたようで、アステルは記録書をしまい、ラナデにモニターを閉じるよう促す。
ラナデは頷くとモニターを払って消す。
「で、ヒラケウミウシに変化はあった?」
アステルは板の陰から顔を覗かせる。
すると、先程見たときよりも一回り大きく膨らんでおり、周りを囲っている者の中には槍でつつこうとしている者も居た。
「あーあ、それをやっちゃ駄目だよ……」
アステルは槍で突こうとする者を見てため息を付くと、ゴーグルを目元に下ろして板の陰に顔を隠す。
そして、バッグを弄ると、丸い手持ち鏡を取り出し板の奥の様子が見えるように持つ。
「ふたりとも、顔を出さないように隠れていてね」
アステルがラナデたちの腕を引いて隠していると、メモリーがアステルの顔の前に来る。
「……シュメちゃん、お姉ちゃんは?」
「何?」
「今の“ふたり”ともって、ラナ君とリトさんに対してで、お姉ちゃんは入っていませんよね?」
「そうだよ。それに、メモ姉に言ったところででしょ」
アステルは淡々と答え、鏡に映る光景を眺める。
あまりに自身に無関心なアステルの行動に、メモリーは「ぷくぅー!」と頬を膨らませ、アステルの顔の前をうろちょろと動き回る。
メモリーの行動にアステルは珍しく、ものすごくウザそうな顔をすると、深くため息を付く。
「メモ姉も動き回ってると危ないから隠れてて」
鏡から一切目を離さずに言う。
「……んふふ、はぁーい」
メモリーはそれで満足したのか、ほくほく笑顔でラナデの頭の上に座る。
「あの、頭の上に乗らないでもらえますか?」
「んもぅ、良いじゃないですかぁ。お姉ちゃんが乗ってもどうせホログラムなので重みなんてありませんし、シュメちゃんにも危険だから側に居ろって言われちゃいましたしー」
「そんなこと言ってましたっけ……?」
あまりにも歪曲された言葉に、ラナデはそれ以上にの言葉を失ってしまっていた。
「……変わった子」
──それからは、ヒラケウミウシが破裂するまで差ほど時間は掛からなかった。
強烈になっていくばかりで一向に消える気がしないヒラケウミウシの臭いにしびれを切らした者が、膨らんでいるヒラケウミウシをその手に持つ槍で貫いたのだ。
莫大な破裂音とともに、槍で貫かれた箇所から風船のように穴が広がって破裂し、乾ききっていなかった粘液や、腐敗が進行していた肉片が全方位に飛散する。
そして、忽ちヒラケウミウシの放っていた臭いが辺り一帯を覆った。
「何なんですか!? ……うっ! さっきよりも臭いが強くなってますよ。鼻が捻れそうです」
ラナデは強烈な臭いに鼻を痛めたのか、目尻に涙を浮かべ腕で鼻を覆っている。
アステルはというと、板の陰に隠れていたにも関わらず、ヒラケウミウシの肉片や粘液に塗れていた。
「……全く、防いだ意味……」
用済みになった板を倒し、アステルは体に付いた汚れを払う。が、臭いは完全にこびりついてしまっている。
「……最悪」
アステルは汚れた自身の体を眺めると、バッグを開いてラナデの前に差し出す。
「悪いけど、この中から丸底の瓶を取り出してくれるかな? 私が今手を入れると、バッグの中に匂いが籠もっちゃうから」
「えぇ……わ、分かりました」
ラナデはものすごく嫌そうに、片手で鼻をつまみながら腕を精一杯伸ばしてバッグを弄る。 そして、手先の感覚のみで目当ての物を探す。
「──こ、これですか?」
そう言うと、バッグの中から水に黄色い小石のような物体が大量に入った、手のひらサイズの丸いガラス玉を取り出す。
「それは黄リンを入れたガラス玉だよ。落とすと爆発するかもしれないから気を付けてね」
「何でこんな物が入ってるんですか」
ラナデは慎重にガラス玉を戻し、再びバッグを弄り始める。
「──これはどうですか?」
次に取り出された物は、先程とは少し違う液体だけが入ったガラス玉。
「それはニトログリセリンを入れたガラス玉だね。振ったりすると爆発しちゃうから気を付けてね」
「だから何でこんな物が入っているんですか!? と言うか、よく爆発しませんでしたね」
ラナデは困惑しつつも慎重にガラス玉を戻し、より丁寧に目当ての物を探す。
「──今度こそどうですか? もう危険物は勘弁して下さい」
そう言うラナデの手には、粘性のある液体の入った丸底の首の短いガラス瓶がつかまれていた。
「やっと出てきたね。その中の液体を私に掛けてくれるかな」
「掛けるんですか? 怒られたりしません?」
「……自分からやれって言っておいて怒るわけ無いでしょ。私は直前のことを忘れるダチョウかな?」
「そ、そんなことは言ってないですよ!」
ラナデは慌てて否定すると、ガラス瓶の蓋を外しざまにアステルの顔面に勢いよく掛ける。
「あ、すみません」
謝られるが、アステルはそもそも顔面から液体を掛けられたことを気にしている様子もなく、顔に付いた液体を手に取る。
「あの、その液体って何なんですか?」
ラナデは気になって聞く。
「消臭剤だよ。血肉の臭いならまだしも、このままこの臭いを付けてると、後で調査するときに生物が逃げちゃうからね」
アステルは答えると、頭や胸、股の下まで満遍なく服の上から塗り広げて馴染ませていく。
「──よし、臭い取れたかな。どう?」
消臭剤を体の隅々まで塗り終えると、ラナデとリトの顔の前に腕を差し出して臭いを嗅がせる。
「……おお、臭いがしなくなってる、と思います! 周りが臭うのであまり実感はありませんが」
「臭わない、無臭」
ラナデとリトがアステルの臭いを嗅ぐと、周囲一帯を囲う悪臭のせいで、ヒラケウミウシの臭いが完全に取れているかは分からないが、つい先程までよりかは遙かに臭いが軽減されていた。
「じゃあガラス瓶返して。蓋は閉めてね」
アステルはラナデに向けて手を差し出す。
「はい、どうぞ」
「ありがとね」
ラナデは言われた通りに蓋を閉めてガラス瓶を渡し、アステルがしまうのを待つと、周囲の様子を見回し口を開く。
「この状況……、どうしますか?」
辺り一面にはヒラケウミウシの弾け飛んだ残骸が散らばっており、爆心地に居た数名がその場に倒れている。
離れていて無事だった者の中には、倒れている数名を助けようとする者も居たが、悉くヒラケウミウシの放つ悪臭に気圧されて近付けないでいた。
「困ったね、この状態が続くようだとリミナの子たちの記録ができなくなっちゃうよ」
アステルが腕を組んで「うーん」と唸りながら考えていると、メモリーがラナデの頭の上から動き、アステルに近寄る。
「それなら、さっきの消しゅ──」
「消臭剤は使わないよ。成分があの子たちの肌に合わず、何なら毒で体を害してしまったらいけないし、今回助けても、私たちが調査を終えた後に同じことがあった場合どうするって話になるよね」
アステルはラナデを見ると、「それと」と話を続ける。
「私が助けるのは“絶滅の可能性があり、その期を逃すと記録ができなくなる場合。又は、作った借りを返す場合”くらいかな。
前者を条件に入れる理由としては、惑星外から来た私たちやその星の知的生物が関わっていない限り、既に絶滅の可能性があるのなら、私がその一時助けたところですぐに絶滅する程弱い生物ってことだからだよ。記録ができなくなる、というのは大前提だね。
後者は単純に、私が与えられっぱなしっていうのが好きじゃないから。と言っても、歴史や生態系に大きく関わることは極力しないけどね」
そう言って肩をすくめるアステルの説明を、ラナデはモニターを開いて必死にメモしていた。
発言を途中で止められたメモリーは少し離れた位置で、頬を膨らませて不満げな表情でリトと何かを話していた。
「シュメちゃんってば、もう少しお姉ちゃんの話を聞いてくれても良いと思うんですよね」
「きっとアステルはあなたのこと苦手」
「いえ、それはないです絶対」
「私にはそう見える」
「リトさんにそう見えてもそれはないんです。シュメちゃんはお姉ちゃんが大好きなので」
──その後も話し続けるふたりをアステルとラナデが眺めていると、奥から誰かが歩いてくる。
「アクア・リタ君じゃない、どこかに行ってたの? それと……、君はなんて呼べば良いかな?」
アステルはアクア・リタとともに歩いてきた女性に顔を向ける。
「ドゥカッセのこと? ならドゥカッセと呼べば良いよ」
女性はアステルに自身のことをドゥカッセと呼ぶように言うと、周囲の様子を見て怪訝な表情を浮かべる。
「それで、この状況は何? リタからしていた臭いがなぜこの辺りでするの? なぜ倒れている子がいるの? リト、教えてくれる?」
ドゥカッセはリトに回答を求める。
「リタの捕ってきた獲物が弾けて飛び散った」
リトが答えると、ドゥカッセは眉間にシワを寄せてアクア・リタを睨む。
「臭いの原因、あなただったの?」
「……すみません」
アクア・リタもドゥカッセに頭が上がらないようで、気不味そうに小さい声で謝罪する。
ドゥカッセは暫くの間、アクア・リタを睨んでいると、一度深く息をついてアクア・リタの横を通り過ぎる。
そして──、
「全員ドゥカッセに付いて来て! 倒れている子は誰か運んで! 臭いを落としに行くよ!」
クレーター内に響き渡る程の声を張り上げた。
第二十二回 メモリーお姉ちゃんの豆知識!
『エニフル特製の消臭剤』について
今回のお話でシュメちゃんが使った消臭剤のことですが、記録研究部の子たちが作ったサンプル品です。
この消臭剤が作られた経緯といたしましては、記録調査部の女の子たちが、調査から帰還した後に調査中に付いてしまった臭いが取れず、デートに行けないと嘆いていたのを記録研究部の子が聞いていたことから作成開始となったんです。
本来は入浴剤タイプの消臭剤にしようとしていたのですが、「臭いを取れるのは良いが、それだとお湯に染み出してしまう」、「調査中にも使える持ち運びのやつが良い」などと要望があり、液状の体に塗る消臭剤ができたんです。それが、シュメちゃんの使った消臭剤という訳です! いやー、要望通りに作れる記録研究部の子たちは優秀ですねぇー。
消臭剤の臭いを取る原理としては、消臭剤に含まれる臭い吸着成分が、臭いの元となる物質を吸着し、表面に浮かせます。そして、消臭剤が揮発するとともに、吸着した臭い成分ごと大気中に分離させます。
粘性のある見た目とは裏腹に、速乾性の物となっていますので、触らず少し待てば完全に乾き、かつ臭いも取れてしまうんですよー。
なので、洗えない状況でも臭いは取れて、後からすぐに乳液や保湿剤を塗ることもできますよぉー!
成分は企業秘密となっていますが、皆さん『地球人』には害の無い物だと結果が出ているのでご安心下さい。ぜひ買って下さいねー!




