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創像師  作者: Haku
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幕間③:風刻特別区

渡界路とかいろの関門は、いつものように、静かだった。

アルヴェイン・ルシェルは、翼を解き、石畳の上へ降り立った。長い星渡りのあとの、地に足のつく感覚。それを、彼はいつも、悪くないと思う。


関門の連合職員が、名簿を繰る。

「ルシェル特務。ご苦労さまです。えー、ご同伴は、アステル氏と……」

「こちらは、護送対象の書庫精になります」

アルヴェインが通行証を示すと、職員は、アステルの傍らに漂う金色を帯びた光を確かめ、名簿に印をつけた。


国をまたぐ者は、誰であれ、この関門を通る。

連合特務員であり、一級創像師であるアルヴェインとて、例外ではなかった。

「どうぞ。……お帰りなさいませ」

アルヴェインは、軽く会釈を返して、関門をくぐった。


その先には、霧の街があった。


薄い霧が、街全体に、うっすらと垂れこめている。

街の輪郭も、石畳も、遠くの建物も、その乳白の膜を透かして、滲んで見えた。晴れる日は、めったにない。霧の向こうを、人が歩いている。書物を抱えた学生。外套の裾を翻す研究者。連合の記章をつけた職員。

「ひと月ぶり、じゃの」

アステルが、星菫色の癖毛を揺らしながら石畳の上を先導する。 その足どりは軽やかだ。

二人はそのまま、リーネの光を促して、前方に高くそびえ立つ、荘厳な建物へと歩き出した。



中央書庫は、街の最も奥、霧のもっとも濃くなるあたりに建っていた。

建物の入り口をくぐった瞬間、空気が、変わった。

古い紙と、革と、埃の匂い。天井は、見上げても霞むほど高く、そこまで届く書架が、幾層にも連なっている。びっしりと詰まった背表紙は、どれも色褪せ、その一冊ずつに、世界の記録が綴じられていた。


そして、その書架の谷間には――いくつかの光が、あった。

淡い金。青みがかった白。仄かな緋色。書物の壁のあいだを、互いに離れて、ぽつり、ぽつりと、宙に浮かんでいる。どれも、契約者を失った書庫精たちだ。ここへ還る者は、そう多くない。年に一度の照合式で、多くは新たな契約者を見つけて、ここを出ていく。いま残っているのは、この数ヶ月のあいだに、契約を終えたばかりの光だけだ。十に満たない。その少なさが、かえって、一つひとつの光を、はっきりと際立たせていた。


受付の職員が、顔を上げた。

「ルシェル特務。お待ちしておりました。……そちらが、トマス・グレン三級の?」

「ええ。リーネさんです。契約終了登録は、済んでいます」

「かしこまりました。情報を更新しておきます」

職員は、手元の名簿へ静かにペンを走らせ「こちら、書庫網への共有もお願いします」と受付に浮遊する一つの光へと声を掛けた。

「しばらく、お世話になります」

リーネが、澄んだ声で挨拶をする。

「継承は、すぐに行われますか?」

「……少し、時間をいただけますか?」

「はい。ごゆっくり、どうぞ。いつでもお声がけください」

職員の声は、事務的だったが、冷たくはなかった。

ただ、還ってきた光を、記録し、迎え入れる。それが、この場所の仕事だった。


「では……。お世話になりました」

「ええ」

「達者での」

リーネの光が、書架の谷間の奥へと、ゆっくり流れていく。まばらに漂う仲間たちの中へ溶け込むように、静かに浮かんだ。 半世紀を、一人の男と生きた光も、ここでは、数ある光の、一つになる。


「行きましょうか」

アルヴェインは、そう言って歩き出した。



外へ出ると、通りの向こうに見慣れた人影があった。

その人物はアルヴェインに気づくと、のそりと歩み寄ってくる。

「やあ……。戻ってたんだね」

褪せた色の外套。雑に結った灰がかった髪は、あちこちがほつれている。男とも女ともつかない、掴みどころのない佇まい。顔立ちは若く見えるが、目の下にうっすらと沈んだ隈が、その若さに年齢の知れない翳りを添えていた。

神話研究院首席研究員、ヴェラ。

この特別区で、研究者にその名を知らぬ者はいない。


「こんにちは、ヴェラ。ちょうど先ほど帰りました。白潮期ですからね。暁星からの要請がひっきりなしです」

「行ったり来たり……。君の身軽さにはいつも感心するよ」

その視線はすぐにアステルへ移った。

「アステル。……この後少し時間あるかい?」

「懲りんのう」

「君ほど興味深い存在は、そういないからね」

ヴェラは、何かを思い出したように、眠たげな目を上げた。

「ああ…そうだ。アルヴェイン。君も来てくれ。君に見せたい資料がある」

「私はついでですか……」

アルヴェインは苦笑しながら、アステルと顔を見合わせた。



高い天井の回廊を、学生たちが、資料を抱えて行き交っている。

講義室からは、教授の低い声が漏れていた。閲覧室の長机には、開いたままの古文書が伏せられ、壁には、神話時代の世界図と、幾度も書き込みを重ねられた白源観測図が並んでいた。


白源を追う研究者たちの日常が、この場所にはあった。


アルヴェインとアステルは、ヴェラに続き、回廊を慣れた足取りで歩いた。すれ違う学生が、彼らに会釈をする。軽く応えながら、研究室へと向かう。

部屋に入ると、ヴェラは机の上から一冊の報告書を手に取った。


「先日、星紡(せいぼう)の古い家から古文書が見つかってね。これは第一次調査報告だ」

アルヴェインは報告書を受け取ると、静かに頁を繰った。

「……風刻(ふうこく)に関する記述、ですか」

「まだ断片的だけどね。数少ない貴重な資料だ」

数分、部屋には紙をめくる音だけが流れた。

「……興味深い」

「そうだね」

ヴェラは、眠たげな目を細めた。

「ただし、謎を解明するには、まだ遠いですね」

「遠くないと困る」

アルヴェインは報告書から顔を上げた。

「答えになる前が、一番面白いからね」

「……あなたらしい」


ふと、漆黒の髪を耳へ流しながら、静かに頁をめくる姿が脳裏をよぎった。

――彼女なら、どう読むだろう。


「イシュレナにも連絡を?」

「どうせ君が行くんだろう? そのときにでも」

頁に添えた指先が、一瞬だけ止まった。

「……ついで、ですからね」

ヴェラは小さく笑った。

「では、私はこれから支部に向かいます」

「悪かったね。呼び止めてしまって」

ちっとも悪く思っていなさそうに言うと、ヴェラは軽く手を振った。そして、アステルを振り返る。

「アステル」

「なんじゃ」

「向こうで少しだけ話そう」

「……少しだけ、のう」

二人が奥の書架へ歩いていく。

アルヴェインはその背を見送ると、静かに研究室を後にした。



外へ出ると、乳白の霧が石畳をゆっくりと流れていた。

建物の隙間からは、白源がのぞいている。

アルヴェインは、襟元を整えると、石畳の階段を降り始めた。

胸元には、第一次調査報告。


低く澄んだ鐘の音が、霧の街へ静かに響いた。

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