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全モブヒロインに幸あれ! —脇役を愛する勇者の異世界譚—  作者: 臂りき
第4章 学院の光と、その隅にいる者たち
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第29話 悲しいのに、楽しい

 先に動いたのは、リュシアンだった。


 言われた通りに。

 最初から。

 出し惜しみなく。


 それがどれだけ恐ろしいことかを、彼自身がいちばんよく知っている。

 目の前にいるのはアルトだ。

 誰よりも、自分の手札も、弱点も、癖も、積み上げてきたものの全部を知っている相手。


 そんな相手に、真正面から全力でぶつかる。


 怖くないはずがない。


 だが、それでも。


 ここで本気を出し切れないことの方が、よほど怖かった。


 リュシアンは一息で魔力を練り上げた。


 もう昔のように、位階の段差をひとつずつ意識して登るような組み方はしない。

 アルトに叩き込まれた『連続性』の感覚。

 魔法は、離れた階段ではなく地続きの構造であるという理解。

 それが、いまの彼の中ではかなり自然なものになっている。


 下位の起点から、高位へ。

 高位の安定から、さらに先へ。

 詠唱と回路と呼吸が、ほとんど同時に噛み合う。


「――開け」


 最初に走ったのは、全属性を複合した広域制圧の魔法だった。


 火。

 風。

 雷。

 氷。

 土。

 ただ重ねただけではない。

 それぞれの干渉の相性を計算し、わずかに位相をずらして、ひとつの奔流みたいに撃ち出す。


 演習場の空気が、一瞬で悲鳴を上げた。


 地を削り、空を焼き、風圧が視界を揺らす。

 開戦の一撃としては、明らかに過剰だ。

 だがリュシアンは、それでいいと思った。


 最初から全部出す。

 そう決めたのだから。


 そしてアルトはその一撃を見て、内心で少しだけ笑っていた。


 良い。


 最初からそれで来るか、と。


 威力がすさまじいのはもちろんだが、それ以上に、構造がきれいだった。

 昔のリュシアンなら、ここで威力に酔ってどこかが粗くなっていた。

 火へ意識を割きすぎて風が死ぬとか、雷を通すために氷が薄くなるとか、そういう綻びが必ずあった。


 いまは違う。


 全体を掴んだまま撃てている。

 それだけで、十分に感動的だった。


 アルトはその奔流を、まず正面から受けた。


 受ける必要はない。

 避けてもいい。

 無効化してもいい。

 だが彼は一度、あえて当たりに行った。


 威力の吟味。

 密度の確認。

 相殺ではなく、『いまのリュシアンの火力そのもの』を肌で測るために。


 ぶつかる。


 爆ぜる。


 結界の内側で圧が弾け、光が広がる。


 教師たちが遠くで息を呑む気配がした。

 まだ距離がある。

 だが、この時点でもう『おかしい』と察している者は多い。


 轟音と共に肉体が爆ぜる。

 しかし、魔力の一時固定と自己修復に重ねた回復魔法が、瞬時にそれを元の形に戻す。


 アルトはその中心で、ほんの少しだけ目を細めた。


 特級魔法師数十人分。

 常人が見れば、そう誤認しても仕方ないレベルだ。

 実際には単純な足し算ではないが、それくらいの異様さはある。


 良い。

 かなり良い。


 そして次の瞬間には、もう反撃していた。


 威力は抑える。

 リュシアンと同程度。

 いや、少しだけ上。


 あくまで『届きそうで届かない一段上』を保つ。

 それが、アルトなりの本気だった。


 火球が生まれる。

 ただし、普通の火球ではない。

 内部の圧縮と外殻の薄さが狂っている。

 リュシアンはそれを見た瞬間、反射で理解した。


 食らえばまずい。


 即座に飛翔魔法で上を取る。

 同時に、短い詠唱で氷壁を斜めに展開。

 ただ受け止めるのではなく、滑らせる。


 火球が氷壁を削りながら逸れ、その衝撃で地面が半ば抉れた。


 リュシアンの心臓が激しく打つ。


 恐ろしい。


 だが、それ以上に、反応できたことが嬉しかった。


 いまのは読めた。

 動けた。

 アルトの迎撃に、ちゃんと対応できた。


(上ばかり見るな)

 念話ではない。

 これは、もう普通の声で届く距離ではない。

 それでもアルトの気配そのものが言っているみたいに、リュシアンの頭に響く。

(下)

 リュシアンは反射で視線を落とす。


 遅い。


 地表を滑るように伸びた無属性の衝撃が、足場を破砕する。


 飛翔の姿勢が崩れる。

 だが、リュシアンはその乱れすら利用した。

 崩れた軌道のまま身体を捻り、短剣を抜いて落下の勢いを前へ変える。


 それがアルトの目を、ほんの少しだけ見開かせた。


 良い。

 それは教えた。

 だが、ここまで自然に使えるようになっているとは。


 リュシアンは落ちながら、短剣と魔法を同時に使う。


 近接は囮。

 本命は、短剣の軌道に重ねた雷撃。


 アルトは、今度は避けた。


 身体操作だけで。


 見た者が絶望する類の避け方だった。

 魔法ではない。

 術式もない。

 ただ、そこに立っていたはずの身体が、気づけば紙一重で軌道の外にいる。


 常人が同じことを見せられたら、たぶんその時点で心が折れる。


 だがリュシアンは折れなかった。


 むしろ、それを見て、自分の中に熱が増すのを感じた。


 嬉しい。


 この人は、本気で向き合ってくれている。


 手を抜いて、ただ受けるだけではない。

 ちゃんと応じている。

 こちらの全力を、全力で受け止めて、返している。


 それが、どうしようもなく嬉しかった。


 演習場の外側では、もう人が集まり始めていた。


 異変だ。

 誰にでも分かる。


 何重にも張った結界の向こうからでも、内部で起きている魔力のぶつかり合いが尋常ではないことが伝わってくる。

 教師。

 生徒。

 敏感な者ほど早い。


 レオノーラが最初に気づいた部類だった。

 シャルロッテも来る。

 セラフィナも。

 リディア、ルゼリア、ミレナ――それぞれが、何か胸の奥をざわつかせながら、演習場の外周へ集まりつつあった。


「……なに、あれ」

 誰かが呟く。


 まだ全部は見えていない。

 だが、もう分かる。

 学院祭の襲撃で見た高位魔族との戦い、そのレベルを、どこかで超えている。


 これは生徒同士の模擬戦ではない。

 そんな言葉で済ませていいものではない。


 演習場の中は、さらに激化していた。


 リュシアンは短剣を投げる。


 それ自体は囮。

 だが、その囮が妙に鋭い。

 アルトは指先だけで軌道をずらし、その背後に隠してあった氷の杭を空間ごと捻じ曲げて外す。


 次の瞬間には、リュシアンがすでに真正面へ来ている。


 速い。


 身体強化の精度も上がっている。

 しかも、ただ速いのではない。

 踏み込みの中に迷いがない。

 以前より、はるかに『近づくこと』を恐れなくなっている。


 短剣が振るわれる。

 アルトはそれを、今度は短く展開した結界で受ける。

 硬い音が鳴る。


 その一拍のうちに、リュシアンはもう次の魔法へ入っていた。


 詠唱が途切れない。

 切り替えが速い。

 しかも、位階の連続性を踏まえた『未知の魔法』が、もうかなり自然に混ざっている。


 アルトは、そのひとつひとつを愛でるように見ていた。


 美しい、と本気で思う。


 威力だけの話ではない。

 もちろん威力も十分すぎる。

 だがそれより、構造が良い。

 動きが良い。

 組み立て方が良い。

 短剣の踏み込みから魔法へ移るあのわずかな重心の滑りすら、ひどく洗練されている。


 自分が育てた。

 そう言ってしまえば傲慢なのだろう。

 だが、少なくとも自分が深く関わったことは確かで、いま目の前でその集大成が躍っている。


 アルトは珍しく、心の底から戦いの高揚を覚えていた。


 楽しい。


 これは、かなり楽しい。


 戦いそのものが。

 向き合うことそのものが。

 ここまで食らいついてくる相手へ、本気で返すことが。


 おそらく、この先もそう何度もない。


 それをアルトも分かってしまっていた。


 だから、手が緩まない。


 緩めたくない。


 演習場の外周で、結界の一枚が大きく軋んだ。


 衝撃が大きすぎる。


 最外層ではない。

 だが、内部で重ねた層の一つが、ついに耐えきれずに砕けた。


 教師たちが息を呑む。


「おい、再展開を――」

 誰かが言いかける。

 だが、それより先に次の衝撃が来る。


 リュシアンの最大級魔法。

 全力で練り上げた、複合高位魔法。

 いま出せる、ほぼ限界の一撃。


 演習場の半分が白く染まる。


 アルトはそこへ、真正面から反撃を返した。


 威力は同程度。

 技巧は上。

 見る者が一瞬で絶望するレベルの、あまりにも美しい返し。


 それがぶつかり合った瞬間、さらに二層、三層と結界が弾け飛ぶ。


 隠蔽魔法が綻ぶ。


 演習場の外から、ついに中の光景が覗く。


 その瞬間、観衆の間に震えるようなざわめきが走った。


「……嘘だろ」

「リュシアン……?」

「アルト……?」

「何だ、あれは」

「模擬戦、なのか……?」


 生徒はもちろん、魔王軍との戦いを知らない教師たちですら、本能で理解した。


 これは、ただの学院生の戦いではない。


 勇者と魔王の戦いにも匹敵する。

 そう言われても、否定しにくい規模と質が、この箱の中で凝縮されている。


 全属性の攻撃魔法が飛ぶ。

 不可視の無属性魔法まで混ざる。

 地形が変わる。

 空気の流れが変わる。

 だがアルトには意味を為さない。


 わざと当たり、その威力を吟味したかと思えば、次の瞬間には見たこともない無効化を見せつける。

 それすら必要ないとでも言うように、ただ身体操作だけで紙一重の回避も挟む。


 リュシアンは、そのすべてに対応し続けていた。


 魔力量はアルトに及ばない。

 それは自分でも分かっている。

 足元にも及ばない。

 それでも、常人から見れば無限に見えるほどの量を誇っていた。

 だからこそ、本気ではないアルトの反撃にも、どうにか食らいつける。


 だが、どうしても差はある。


 知っていた。

 知ってはいたが、ここまでかと思う。


 そのたびに胸が少し痛む。

 そして、その痛みの中に、不思議な歓びがある。


 こんな人が、自分に本気で向き合ってくれている。


 それが、悲しいくらいに嬉しい。


 どうして戦わなければならないのか。

 最初はそう思っていた。


 どうして、こんな形で区切りをつけなければならないのか。

 どうして離れる準備みたいなことを、こんなに美しい戦いの形でやらなければならないのか。


 その悲しさは、まだ消えていない。

 消えていないのに。


 楽しい。


 リュシアンは、ある瞬間にはっきりそれを自覚した。


 楽しい。

 本当に、心の底から。


 恐ろしい相手と向き合っている。

 限界まで追い込まれている。

 魔力は削れ、体は軋み、結界は壊れ、周囲には大勢の目まである。


 それなのに、いまこの瞬間が、たまらなく楽しい。


 こんな経験、この先二度とないかもしれないと、容易に分かる。

 だからこそ、一秒たりとも無駄にしたくない。


 まだ終わるな。

 まだ。

 もう少しだけ。


 そう願いながら、リュシアンはさらに魔力を絞り出した。


 限界が近い。

 分かっている。


 それでも、アルトの教え通りに。


 魔法の連続性。

 位階の地続き。

 いまこの世界にないなら、自分で繋げるしかない。


 リュシアンは、聞いたことのない魔法を生み始めていた。


 自分の内で魔力を折り、繋ぎ、未知の構造を一時的に立ち上げる。

 完成しているとは言いがたい。

 だが、確かに『まだ名前のない魔法』がそこにある。


 アルトはそれを見て、思わず笑みを深くした。


 そこまで行くか。


 いい。

 それでいい。

 もう自分の外へ出始めている。

 教えたものを越えようとしている。


 誇らしい、という感情に近いものが、アルトの胸を熱くした。


 同時に、少しだけ苦しい。


 これで本当に、終わりが近いのだと思ってしまうから。


 演習場の外では、生徒たちももう言葉を失っていた。


 レオノーラは、息を詰めるようにして見ている。

 シャルロッテは、理論の興奮すら越えて、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 リディアは手を組み、ほとんど祈るように見つめている。

 ルゼリアもまた、その美しさと恐ろしさに心を奪われていた。


 セラフィナは、最初こそ『自分もいつか再挑戦を』という熱を持ってここへ来ていた。

 だが、いまはもう、その熱すら砕かれていた。


 無理だ。


 少なくとも、いまの自分では到底届かない。


 それを理解した瞬間、膝から力が抜けた。

 その場に腰を落とし、涙が滲む。


 悔しい。

 でも、それ以上に美しい。


 こんなふうに本気でぶつかり合えるなら、それはもう称えるしかない。


 セラフィナは、静かに二人の戦いを見上げた。


 リュシアンの魔力が、ついに底を見せ始める。


 本人にも分かる。

 限界だ。


 それでも止まれない。

 止まりたくない。


 もう一手。

 もう一撃。

 もう少しだけ。


 涙がこぼれる。

 戦いの最中だというのに。

 だが、止められない。


 悲しい。

 楽しい。

 嬉しい。

 終わってほしくない。


 その全部が混ざった涙だった。


 飛翔魔法が、そこでついに解けた。


 身体が落ちる。


 全身が、もう言うことをきかない。


 ああ、終わった、とリュシアンは思う。


 その瞬間だった。


 温かいものが、彼を包んだ。


 落下が止まる。

 腕。

 胸元。

 抱き留められている。


 朦朧とする意識の中で、リュシアンは、アルトの顔を見た。


 笑っていた。


 やわらかく。

 どこか満ちたように。


 それを視界に入れた瞬間、リュシアンの全身から、ようやく力が抜けた。


 夢の中みたいな心地のまま、彼は深い眠りへ落ちていく。


 アルトは、落ちたリュシアンをしっかり抱いたまま、即座に全力の回復魔法を展開した。


 事前に補助魔法をかけていたとはいえ、満身創痍だ。

 ここまでやるだろうとは思っていた。

 だが実際にここまで来ると、やはり胸が熱くなる。


「……よくやった」

 小さく、そう言う。


 それから、亜空間へ手を入れた。


 取り出したのは、ローブだった。


 リュシアンへ贈るために用意していたもの。

 魔法師となる彼が、これから先、自分の足で立っていくための衣。

 アルトが独学で極めた裁縫技術で、かなり本気で仕立てた超一級品だ。


 だが、そこへ過剰な強化付与はしていない。

 生地の綻びを防ぐ以上のことは、あえてしていない。


 一人前の魔法師として、自分のもとを発っていくリュシアンに対する、アルトなりの敬意だった。


 ローブをその全身へかける。


 そして、集まってきた観衆にも分かるように、その身を高く掲げた。


 誰にでも見えるように。

 試験は終わったのだと。

 そして、勝ち負けを越えて、ここに一人の魔法師が立ったのだと、示すように。


 その光景に、観衆は一瞬沈黙した。


 あまりにも美しかったからだ。


 リュシアンに対する嫉妬や複雑な感情を、もう越えていた。

 彼女たちはただ、心からその光景を称えていた。


 レオノーラは、胸の前で手を組んでいた。

 シャルロッテも、珍しく言葉を失ったまま、ほとんど祈るような仕草をしている。

 リディアは、もともとそうするように、静かに眼を伏せて感謝にも似た思いを捧げていた。


 セラフィナは腰を抜かしたまま、涙を流していた。

 悔しさも、憧れも、称賛も全部混ざっている。

 だが、それでもいまはただ、二人の戦いが美しかったと認めるしかない。


 次の瞬間、割れんばかりの歓声が演習場を満たした。


 教師たちも。

 生徒たちも。

 思わず声を上げる。


 その歓声の中で、アルトの腕に抱かれたリュシアンの表情は、眠っていてなお、どこか喜びに満ちていた。


 夢の中にあってもなお、彼はアルトの腕から離れられずにいた。

 だが、そこにはもう、以前のような一方的な甘えやためらいだけではない。


 本気で渡り合った者としての誇り。

 師弟関係を越えた、何にも代えがたい深い愛着。

 そして、ようやく並び立とうとする者の静かな自負。


 肩を並べるには、まだ少し距離があるかもしれない。

 それでも、もう一方的に庇護されるだけの存在ではない。


 アルトは、その重みを腕の中で確かに感じていた。


 学院生活の、長い長い育成の果てに。

 ようやくここまで来たのだと。


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