第12話 いま一つの、その先へ
剣の実技授業というものは、座学よりよほど露骨に人間の本音を炙り出す。
とりわけ、二人一組で打ち合う形式となればなおさらだ。
誰と組みたいか。
誰と組みたくないか。
誰の技を見たいか。
誰に見てほしいか。
そういうものが、言葉にする前から身体の向きに出る。
その日もそうだった。
教師が実践訓練を兼ねて二人一組を作れと告げた瞬間、場の空気が微かに動く。
視線が走る。
足が半歩出る。
遠慮がちな者は一拍遅れ、野心のある者はすぐ動く。
そして当然のように、アルトの周りにも気配が集まった。
剣に心得のあるレオノーラ。
彼女は表情こそ大きく変えなかったが、足の出方が明らかに迷っていなかった。
あくまで自然に、しかし確実にアルトの方へ向かうつもりだったのだろう。
シャルロッテもまた、剣そのものは得意ではないくせに、身体強化系の魔法へ並々ならぬ関心を見せていた。
もちろん、それだけではない。
アルト本人への興味も、もうだいぶ隠しきれていない。
だから彼女の身体も、理屈をつけるなら十分につくところまでつけて、やはりアルトの方へ向きかけていた。
だが、周囲の生徒たちも馬鹿ではない。
レオノーラにも当然声がかかる。
シャルロッテにも、別の魔法志望の生徒たちが遠慮なく割って入る。
学院内で目立つ者は、だいたい常に複数の思惑に囲まれている。
そのごたつきの中を、ほとんど一直線に抜けてきたのが、セラフィナだった。
「アルト!」
赤髪が揺れる。
声が熱を帯びて、よく通る。
セラフィナはまっすぐだった。
迷いがない。
誰かに遠慮する気も、譲る気もない。
今日この場で自分がどこへ向かうかを、最初から決めている足取りだった。
かなり良い。
アルトはその勢いを見ただけで、少し機嫌が良くなった。
初めて模擬戦を見た時から、彼女の剣はずっと気になっていた。
惜しい。
届かない。
だが、その届かなさが努力で少しずつ埋まり始めている。
その変化を、アルトはちゃんと見ていた。
だからこそ、一度剣を交えてみたいとは思っていたのだ。
「組みなさいよ!」
セラフィナは、勢いのまま言った。
ほとんど命令である。
「……いいけど」
アルトがあっさり頷くと、彼女の目が一瞬だけ明るくなる。
「本当!?」
「うん」
「言ったわね!?」
「言った」
そのやり取りを少し離れた位置から見ていたレオノーラは、ほんのわずかに唇を引き結び、シャルロッテは露骨に面白くなさそうな顔をした。
だが、セラフィナはそんな周囲を気にしている余裕がなかった。
ついに、と思っていたのだろう。
ついにこの男と、本気で剣を交えられる。
訓練だろうが何だろうが関係ない。
セラフィナの内側は、もうほとんど勝負の顔をしていた。
場所を取る。
木剣を構える。
向かい合う。
そこでまず、軽い型の打ち合いから始めることになった。
実戦形式へ入る前の確認。
手首を温める。
呼吸の合わせ。
足運びの確認。
その段階で、セラフィナは理解してしまった。
違う。
あまりにも違う。
アルトは何もしていないように見える。
特別な構えでもない。
肩の力は抜けている。
剣も自然な位置にある。
奇抜さも、威圧もない。
なのに、差がある。
軽く剣を当てる。
流される。
踏み込む。
すでに先を取られている。
返す。
そこにあるはずの抵抗が、妙に静かで、妙に重い。
セラフィナは、ひどく正直な少女だった。
だから、自分の中に走った感覚をごまかせない。
圧倒的だ。
この男は、自分よりずっと上にいる。
しかも、ずっと上にいるから『そう見せている』のではない。
あまりにも自然体のまま、その差が出ている。
その事実が、セラフィナの呼吸を一瞬で乱した。
胸がざわつく。
視界が少し揺れる。
気圧の違う場所へ急に放り込まれたみたいな眩暈。
膝が、ほんの少しだけ折れかける。
これほどなのか、と彼女は思った。
ヴァレイン家の嫡流。
由緒ある勇者家系。
噂には聞いていた。
学院でも、アルト・ヴァレインが飛び抜けていることはもう誰の目にも明らかになりつつある。
それでも、実際に向かい合ってみなければ分からない差がある。
これは、駄目だ。
そう身体が言いかけた、その瞬間。
アルトが、ほんのわずかに指先を動かした。
魔法。
極小。
だが、正確だった。
ごく薄い回復魔法が、セラフィナの内側の乱れた拍動を整える。
同時に、ほんの少しだけ魔力耐性の強化が走り、酔いに似た圧迫感が緩和される。
あまりにも自然すぎて、セラフィナは一拍遅れて気づいた。
「……いま」
「少しだけ」
アルトは言う。
「酔ってたみたいだから」
「……」
「もとに戻した」
何だそれは、と思う。
いや本当に。
模擬戦の前に、相手が自分との圧倒的な差に当てられて眩暈を起こしかけたから、さらっと整えた。
そんなの、あまりにも余裕がありすぎる。
だが、セラフィナはそこで逆に持ち直した。
差は分かった。
分かったが、それで引くわけにはいかない。
冒険者になる。
いずれ魔王を討つ。
そのつもりで剣を振ってきた。
由緒ある勇者家系の嫡流と渡り合えないようでは、話にならない。
セラフィナは歯を食いしばり、木剣を握り直した。
「……ありがとう」
小さく言う。
「でも」
「うん」
「あんたに、ちゃんと届くところまで行く」
その目が、あまりにも真っ直ぐで、アルトは少しだけ嬉しくなった。
ああ、いい。
こういうところだ。
惜しいだけでは終わらない。
届かないと知ってなお、届くつもりで前へ出る。
その熱が、やはり彼女を良くしている。
模擬戦が始まる。
今度は型ではない。
セラフィナは全力で踏み込んだ。
先ほどまでより、明らかに速い。
呼吸を整え直し、持ち直したことで、踏み込みの芯が少し深くなっている。
良い修正だ、とアルトは思う。
彼は剣を受ける。
流す。
返す。
受ける。
余裕がある。
ありすぎるほどある。
だが、そこに侮りはない。
なぜなら、セラフィナの剣が美しいからだ。
美しい、というのは単にフォームが綺麗という意味ではない。
努力の形が見えるのだ。
前よりここが直っている。
この踏み込みは以前より腰が乗っている。
ここで焦らず一拍置けるようになっている。
その全部が剣筋へ出る。
努力の痕跡が、技として、癖として、呼吸として、あまりにも分かりやすく見える。
たまらない。
アルトは、それをかなり気持ち悪く愛でていた。
セラフィナは本人が思っているよりずっと、剣の中に自分の積み重ねを出すタイプだ。
だから、前より良くなったところも、まだ惜しいところも、全部見える。
それが、どうしようもなく良い。
やがて、セラフィナの一撃が来た。
強かった。
速かった。
何より、意志が乗っていた。
ただの勢いではない。
届かせたい。
越えたい。
その感情が、きちんと剣の形になっていた。
その瞬間だけ、アルトの中で反射が走る。
本気の、ほんの片鱗。
力の一割も出していない。
出していないが、それでも一般の模擬戦では見えない種類の鋭さが、一瞬だけ剣に宿った。
木剣が鳴る。
セラフィナの剣が弾かれる。
踏み込みが止まる。
次の瞬間には、彼女の喉元にアルトの木剣がぴたりと止まっていた。
静寂。
決着だった。
セラフィナは数秒、そのまま動かなかった。
呼吸だけが熱い。
腕が痺れている。
足も震える。
そして、分かる。
負けた。
完全に。
それも、アルトが本気を出していないことまで含めて、すべて分かってしまう。
「……負け」
セラフィナは、荒い息の中で言った。
「負けたわ」
潔かった。
その潔さもまた、アルトにはかなり良く見えた。
そして彼は、そこで本当に興奮していた。
「今の、かなり良かった」
「……は?」
息も絶え絶えのセラフィナが、顔を上げる。
また始まった、と思っただろう。
実際その通りである。
「最後の一撃」
アルトは真顔で言う。
「かなり良かった」
「……負けたんだけど」
「うん」
「完敗なんだけど」
「それでも」
アルトは頷く。
「すごく良かった」
「……どこが」
「惜しさが」
「……は?」
「あと」
「あと!?」
「届かなさも」
「……っ、またそれ!?」
セラフィナが思わずムッとする。
だが、その頬はすでに少し赤かった。
嬉しいのだ。
たぶん。
かなり。
なぜなら、アルトはちゃんと見ている。
最後の一撃がどんな意志で振られ、どこまで届きかけたのかを。
「前より」
アルトは続ける。
「明らかに『惜しい』ところから抜けてきてる」
「……」
「でも、まだ少し届かない」
「……」
「そこが今、一番いい」
「褒めてるのよね?」
「かなり」
「……っ」
セラフィナは顔をしかめた。
だが、怒れない。
だって内容そのものは、きちんと見てくれた人間の言葉だからだ。
アルトはさらに、忘れずに改善点を出す。
「踏み込みの最後」
「……」
「右肩が少しだけ早い」
「……」
「だから、意志が乗った瞬間ほど、剣先が先走る」
「……」
「あと、良くも悪くも真っ直ぐすぎる」
「悪いの?」
「今はまだ」
アルトは答える。
「でも、そこを一段深くできたら」
「……」
「魔王なんて、たぶん取るに足りない相手になる」
セラフィナは、そこで反射的に笑いそうになった。
何を言っているのだ、と思う。
魔王に会ったこともないくせに。
そんなもの、想像で言えることではない。
そう否定しかけて――飲み込んだ。
アルトの強さを、もう知ってしまったからだ。
向かい合った。
剣を交えた。
そのうえで、この男が本物だと分かっている。
それこそ、真の勇者になるのは彼だろうと、セラフィナはほとんど確信に近く思っていた。
だから、その彼が真顔で言うのなら。
いまは到底届かなくても、いつかはそこまで行けるのかもしれない、と、心のどこかが思ってしまう。
ずるい。
そういう言い方は、ずるい。
セラフィナは木剣を下ろし、息を整えながら、少しだけ目を逸らした。
「……あんた」
「うん」
「ほんと、変な褒め方するわね」
「よく言われる」
「……でしょうね」
でも、と、その先は言わなかった。
かなり嬉しい。
でも、悔しい。
もっと、届きたい。
その全部が、胸の中で混ざって熱くなっている。
アルトは最後に、軽く手を振って訓練場を離れ始めた。
視線の先には、どうやらリュシアンがいる。
ああ、またあっちへ行くのだな、とセラフィナは思う。
少しだけ面白くない。
だが、それ以上に、自分の中に新しく生まれた熱の方が気になっていた。
アルトの背中を見送る。
頬が、まだ少し熱い。
呼吸も完全には戻っていない。
だが、その熱の中で、セラフィナは静かに誓った。
いつか、あの高みへ上る。
彼の言う『惜しさ』を、今度こそ越えてみせる。
そしてその時、アルトがまたどんな気持ち悪い褒め方をしてくるのか、少しだけ楽しみだと思ってしまった自分に気づいて、セラフィナは一人、木剣を抱えたまま頬を赤く染めた。
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