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放課後の空き教室。時計の針の音と筆の走る音が同調する。
隣の席には真剣な顔つきをした、お決まりの桃色の子豚ちゃん。その熱心な視線に負けじと課題に取り組んでいく。
問題用紙一枚を解き明かし、また次へと手を伸ばす。無意識のままにそれを繰り返していると、指先に硬い感触が伝わった。
「あれ?」
視線を向けると、私の手はベージュの木目だけを覗かせた、空の机上を掴んでいた。
「今のが最後だったのか......全然気が付かなかった」
初日には山のようにあった課題の束は、いつの間にか最後の一枚を迎えていたようだった。
「ええ!?ミルス様、もう課題全部終わったんですか?」
「うん、そうみたいだ。連日の頑張りの甲斐があったな」
「ぶーぶー!」
隣の席でピアニャンが頬を膨らませては、豚の鳴き真似をする。彼女の机の上には、まだ手が付けられていない課題が数十枚は残っており、科目名が書かれた付箋が貼られたままだ。
「絶対にミルス様より先に終わらせてやろうと思ってたのに。勉強まで優秀なんて反則ですよぉ」
「別に対決しているわけではないのだから良いではないか」
「良くないです!女には譲れないプライドってものがあるんです!」
それを言ったら私も女なのだが。そう口を挟みたくなるが、面倒な事になる気配がしたので止めておいた。
「これじゃあ、いつまで経ってもミルス様やロザンナ様に追いつけないじゃない...」
深い溜息が吐かれる。どういうわけか、彼女は度々、私やロザンナに対して対抗心を燃やす時があるのだ。
特に彼女に何かしたわけでもないし、秋季パーティ以降は友人関係も良好だと思う。けれど、顰めた眉間からは苛立ちがヒシヒシと伝わってくる。
「解らない問題があれば教えるぞ」
「大丈夫ですよ。私だってやれば出来るんですから。──というか、ミルス様はもう課題が終わったんでしょ?なら先に帰ればいいじゃないですか」
ピアニャンがそっぽを向く。仄かに香る甘いシャンプーの匂いとは対照的に、その態度は素っ気ない。
負けん気が強い。そう言ってしまえばそれまでだが、どうにもそれだけではないように見受けられた。
「ピアニャン。そうやっていつも手伝おうとすると拒むが、そんなに私のことが嫌いなのか?」
「なっ...!? ち、違うわよ!」
久方ぶりの大声が教室内に響き渡る。もう慣れたから大丈夫なものの、果たして、間近でこの響音に耐えられる人間が他にいるのだろうか?
──彼女の前では、カエル達も合唱を中断せざるを得ないだろうな。
相変わらず見事な肺活量に感銘を受けていると、彼女がハッとしたように目を丸くした。
「急に大声を出してごめんなさい。でも、別にあんたのことが嫌いなわけじゃないわ」
「そうなのか?」
「むしろ...その......だし...」
「うん?」
「な、なんでもないわよ...」
彼女が俯いては、最後は消え入りそうな声で言う。嫌われていないことが分かったのは僥倖だが、こうも歯切れが悪いと心配になってしまう。
私は徐ろに自席に座ったまま、彼女の方へと擦り寄った。
「ピアニャン。顔が悪いが、何か悩みでもあるのか?」
「それを言うなら顔色が悪いでしょ。......別に悩みなんてないわよ」
「...ないのならいいのだが...。私には、君が浮かない顔をしているように見えて仕方がないんだ」
「......っ...」
一瞬だけ、ピアニャンの瞳の奥が揺れ動いた気がした。
そのまま静かに獲物を捕捉するカエルの如く様子を見守っていると、彼女が憂い帯びた瞳のままポツポツと話し出した。
「......あのね。私、あんた達にしたことをずっと後悔しているの」
「それは君とセブンスター君がロザンナに虚偽の事実を突きつけた挙げ句、婚約破棄騒ぎを起こして年に一度しかない伝統ある秋季パーティを台無しにしたことか?」
「うん。あんたって時々凄い容赦なくなるわよね」
「済まない。私は嘘は付かない主義なんだ」
「本人の前で堂々と言っちゃうんだから大したものだわ」
「ありがとう」
「褒めてないわよ。バカエル女」
率直な言動が飛ぶ。
悪気はなかったのだが、何か間違ってしまったようだ。反省。
「私はあんたとロザンナ様──それから多くの人達に迷惑を掛けた。でも、こんな私をロザンナ様は許してくれて...あんたもこうして歩み寄ってくれている。だからこそ、私はあの時の借りを返さないといけないのよ」
ピアニャンが胸の内を吐露していく。正直な話、まさか彼女がここまであの一件を引きずっていただなんて思わなかった。
「私やロザンナに借りを返したい......だからピアニャンは私の助けを拒むのか?」
そう問いかけると、彼女が静かに頷く。
ロザンナがマルボーロン商家と提携を結んでくれて以来、ピアニャンは休日には織物業の手伝いをして忙しくしているらしい。それは同じ貴族令嬢とは思えない程だ。
......もしかすると、日頃から私にハンカチや着ぐるみを贈呈してくれていたのも、負い目を感じていたからなのだろうか?
「ピアニャン。前にも言ったけど、あの時のことなら気にしなくていいんだよ?」
「あんたは優しいからそんなことが言えるのよ。普通なら私もナインスター様と同じく、修道院に入れられていたか──強制労働送りになったって可怪しくなかったんだから」
彼女が唇を噛み締める。確かに彼女がした事は許されない事だったかもしれない。しかし、被害を被った此方側としては全く気にしていないのだ。
ロザンナだって同じ気持ちのハズだ。寧ろセブンスター君との婚約を破棄するきっかけになって喜んでいる節すらある。それに罰が必要だと言うならば、この補習がその役割を担っている。
「身勝手だって事は分かってるわ。でも......私はあんた達に頼ってはいけない人間なのよ」
けれど、それはあくまで学園を含めたこちら側の主観であって、彼女的には腑に落ちないのだろう。
責任感が強くて努力家な子。私は率直にそう思った。
きっかけはどうであれ、そんな子と友人関係になれた事が嬉しい。これは嘘偽りのない本心だ。
しかし困ったかな。
この胸の奥に込み上げる熱い気持ちとは裏腹に、私の身体は別の行動を取りたくて仕方がない。
「だってね...毎晩寝る前に思い出すの。あの時のロザンナ様の悲しそうな表情とか、周りの冷たい視線とか」
「ピアニャン」
「お父様にもこっ酷く叱られたし、元々仲の良かった友達とも疎遠になってしまって...」
「ピアニャン」
「......何よ?」
不機嫌そうな顔が向けられる。誰だって、会話を遮られれば良い気持ちはしないだろう。けれど、事態は急を要する。
「君の話は非常に興味深い。私は君のような友達を持てて光栄だと思っている」
「き、急にどうしたのよ...」
「でも、済まないが先にお手洗いに行ってきてもいいかな? 」
「...は?」
「両生類のカエルといえども、尿意には勝てないかもしれない」
「......早く行ってきなさいよ」
逆に罪悪感を感じながらも、私は学園のトイレへと駆け込んだ。
つづく




