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こんな怖い声、今まで聞いたことがない。
いつもは優しい話し方で、悔しいほどに余裕たっぷりな態度なのに。
そんな、さっきまではユーモラスに満ちていた軍服マントが、全身で怒りを纏い、アリーナに現れたのだ。
その迫力はすさまじく、天乃 流星でさえ、あまりの怒気にわずかに怯んだほどだ。
私もたじろいだけれど、この隙を逃すものかと激しく身をよじった。
けれど我に返った天乃 流星はグッと握り直してきて、腕はまったく離れてくれなくて。
「放してよ!」
味方を得た私に、もう嫌な予感は残っていなかった。
腕が千切れるんじゃないかというほど思いきり振り上げる。
そのすぐ後だった。
バチンッ!と特大の静電気みたいな刺激が手に落ちてきたのだ。
反動で天乃 流星が手を離し、彼は腕を抱えながらその場にうずくまった。
私は全力で手を引き戻したけど、こちらはなんともない。
すると
「あーあ、あかんで?嫌や言うてる女の子の手を無理やり握ったりしたらあかん」
「ザッツライトです!ジェントルマンとは言い難い愚行ですね」
緊張感とは似ても似つかない、軍服マントとは相反する暢気なセリフ。
それとともに私の目の前に突如現れたのは、袴三つ編みと烏帽子男だった。
そして、まるで彼らの登場を待っていたかのように、空間の揺れがおさまっていく。
「あなた達!」
「お嬢ちゃん、怖い思いさせてしもてごめんな」
「アイムソーソーリーです」
二人のいつもの調子に心から安堵するも、天乃 流星がうずくまりながらもこちらに指を向けてくるのが見えた。
けれど今度は
「お前の相手はこっちだ」
地を這う声が再び響き渡り、パリンッパリンッパリンッ!と何かが割れるような音が続いた。
「っ!」
次に聞こえたのは天乃 流星の短い呻きで、彼の頬には赤い線が入っていた。
それが血の跡だと気付くのに数秒かかってしまう。
「あーあ、あれは怒らせたら一番怖いからなあ……」
「ソーソーアングリーしてますね」
「まあしゃーないわ。お嬢ちゃんのことずいぶん気に入ってるみたいやし」
軍服マントが一番怖い?
意外な情報は気にもなるけど、それよりも、
「ねえ、あの子は?音弥はここには来ないわよね?」
とっさに名前を口走ってしまった。
だけどそんなの訂正してられない。
私は音弥を呼び出す囮にされたんだから、その音弥には絶対ここに来させちゃいけないんだ。
袴三つ編みは「弟さん?」と振り返る。
「弟さんやったら……っと、ごめんお嬢ちゃん、おしゃべりは後まわしやで」
彼女がそう言って上に手を突き上げるや否や、いつの間にかすぐそばにまで接近していた原屋敷さんから火花のような光が放たれた。
「―――っ?!」
眩しい火花に両目を瞑ってしまうも、私の体にはなにひとつ衝撃がなかった。
そしてすぐに
「アーユーOK?」
烏帽子男が頭上で問いかけられる。
彼が私を原屋敷さんから隠すように立ち回ってくれたのだ。
「だ、大丈夫だけど…」
「Good!」
「この子もなかなかやで。気ぃつけや!あんた!お嬢ちゃん頼んだで!」
そう叫ぶと、袴三つ編みは一気に原屋敷さんとの距離を詰め、両腕をクロスして伸ばした。
次の瞬間、ものすごい風が刃のようにするどく原屋敷さんめがけて走りだす。
「―――っ!ちょっと流星!こんな強いなんて聞いてないわよ?!」
ギリギリ回避した原屋敷さんが床に尻もちつきながらクレームを放った。
でも天乃 流星はそれを受け付けられる状況でもなさそうだ。
彼は一方的に軍服マントに攻められており、それを避けるのがせいぜいといったところだった。
「お嬢さん、よそ見するなんてえらい余裕やなあ?ほんならうちらも手加減せえへんで?」
袴三つ編みが、床に倒れている原屋敷さんをじりじりと追い詰めていく。
口調こそ普段と変わらないけど、その後ろ姿からは、得も言われぬ凄みを感じた。
それは私を守ってくれてる烏帽子男にも言えることで、原屋敷さんではないけれど、私だって彼らにこんな力があるなんて想像もしてなかった。
だって彼らはいつも明るく楽しくおしゃべりで………
「イッツシークレットですね!」
「え?」
烏帽子男が顔だけを振り向かせて言う。烏帽子は少し揺れたけれど落ちなかった。
「ミスター・ハラから出されたルールの中に、何もないときは、この世界の方々を無闇に怖がらせぬよう自分達の力を最低限まで落としているように、というのがあるんですよ。イッツソーディフィカルトですが、ルールはルールですからね。エブリバディ、守ってますよ?」
「じゃあ、今はその制限を解除してるってこと?」
「Yes! 今は何もないとき、ではありませんからね!」
「でもそう言われてみれば……」
どことなく、このアリーナで聞く彼らの声は、いつもよりよりクリアになってるような気もする。
でもそれは、耳に自信のある私でも曖昧にしか感じられないほどの差異だ。
「Oh、サムシング感じてますか?ユーアーソーセンシティブですからね。But、答え合わせはホームに帰ってからにしましょう。アーユーOK?」
烏帽子男はそう言うと、さっき私が目指していた扉をスッと指差した。
そしてタイミングでも見計らってるのか、少し待ってから告げた。
「Over there…………来ます!」
その刹那、ガシャ――――ンッ!!と金属の扉が勢いよく開け放たれたのである。




