永澄の章 「お嬢と和尚」
気まずい…。
パンチ住職の頼みとは私達に妙叡和尚の話し相手をして欲しいというものだった。
妙叡和尚が修行のために籠ったのは京都の山の奥深く、携帯の電波もつながらない場所にあったという。
そこで4年もの間1度も山を降りる事なく日々修行に励んでいたそうだ。
今の私達がそうであるように本来ならば様々な情報や刺激に晒され自分が行方不明になっているその頃に妙叡和尚はただひたすら己と向き合っていた。
彼の纏う消え入りそうで儚げな空気はそういうところからもきているのかもしれない。
しかし気まずい。
パンチパーマは親心もあって年代の近い私達に彼の話し相手を頼んだのだろうが、パンチに連れられ僧侶控室にしている和室を開けると妙叡和尚は1人黙々とお膳を召し上がっておられた。
食べ終わった頃また伺いますっつってんのにあのパンチが遠慮するなと着席を促すもんだから私達は仕方なく妙叡和尚の向かいに座った。
そしてパンチは裏通夜の打ち合わせのため和室から出て行った。
気まずい。
私らもそうだけど1人で食事をしている妙叡和尚もかなり気まずいはずだ。
なのに黙々と、淡々と彼は食事を進めていく。
遅い…。
食べるのが非常に遅い!
女子か!
いや女子でももう少し早く食べるよ?
ただその食べる姿が七生と同じくらいに美しかった。
昆布の佃煮を箸で持ち上げる様も、一度箸を置き碗を持って味噌汁を啜るその仕草も全て意味のある所作のように思えた。
「ご馳走様で…御座いました」
すごいっ!
ご馳走様のその上の丁寧語があるの!?
「お口に合いましたか?仕出しなら良かったんですが田舎なので自分たちで作ったものでしたけど」
妙叡和尚は胸元で合掌し頭を下げた。
もうすっかりお馴染みの仕草だ。
「山を降りてお昼ご飯を食べにお店に入りました。ずっと精進料理を食べていたせいか、どれも味が濃くて全部食べるのにとても苦労しました。だけどこのお膳はどれも美味しかったです。特にきんぴらはとても優しい味がしました。ありがとうございました」
ゆっくりと静かな語り口だった。
「優しい味って、とても良い響きですね。きんぴらはこの子が作ったんです」
一瞬目を大きく開き、それからすぐに目を半分だけ閉じた。
私は七生にバシンと肩を叩かれた。
「そうですか…美味しく頂戴いたしました。ありがとうございます」
「ア…イエ…アノ…ドウモ…」
私は性格が悪いから七生の声を聞いた妙叡和尚の表情の変化を観察してしまった。
けれど全く一切の表情を変えることなく、むしろ両端の口角を少しだけ上げて七生を慈しむように見つめていた。
さすがお坊さん…なのか、それとも彼の内面によるものなのかはわからないけど、ただこのお坊さんが七生を悲しませることはなさそうでホッと胸を撫で下ろした。
「そういえばお名前、聞いていませんでした」
「あ、すみません。私は瀬戸永澄、この子は浦島七生と申します」
「失礼、姉妹かと思っておりました」
「いいえ、姉妹ですよ」
あえて振り向かなかったけど、アンタ嫌な顔してないでしょうねぇ?
「そうでしたか。重ね重ね失礼いたしました」
怪訝な顔も不思議そうな素振りも見せず妙叡和尚はただ私の言葉を飲み込んだ。
「失礼ついでにひとつお伺いしても?」
「なんでしょう?」
予期せず妙叡和尚が七生を盗み見ていた理由が明らかになった。
「七生さんは駿河二中に通っているんですか?」
「エッ!?」
七生もさることながら私まで驚きを隠せない。
「なぜ妙叡さんが駿河二中を?」
「私は卒業生ですから」
奇遇!
というか、これが導山住職のいうところの縁なのだろうか?
この時の私はまだ知らない。
だがもう少し後になって私達は結ばれたその意味を知ることになる。
「え!先輩じゃんっ!?」
あ、やべっ、お淑やかにしてたのに素が出ちゃった。
けどいいよね、先輩なんだし。
「お2人とも駿河二中に?」
「いえ、私は今年卒業して今は千石に」
「千石ですか、それは凄い」
やべ、自慢になっちゃった。
「この子は駿河二中ではないんですけど…なんと申しましょうか…」
どうしよう?
理由、なんて説明しよう?
「タダノ…コスプレ…」
「そう、ただのコスプレです???」
良いのかそれで!
アンタがいいならいいんだけど。
「ふふっ、コスプレですか。ははは笑、そうですか、それはとても良いですねぇ笑」
初めて妙叡さんがちゃんと笑った。
袈裟を着て儚いオーラを纏っていても笑うと普通に少年みたいな人だった。
「今年卒業ということは…入れ違いで入学したんですね」
てことは妙叡さんは19歳かぁ。
おや?4年山にこもって修行したってことは駿河二中の在学中ってことになるけど?
「先程七生さんを見て本当に驚きました。山を降りてすぐまたその制服を見るとは夢にも思わなくて…」
言葉の始まりは微笑んでいたのに終わりはとても寂しげだった。
もしかしたら彼の纏う儚げな空気の理由は駿河二中時代に由来するのかもしれない。
たとえば…女?
女だな。
女にフラれてその悲しみの果てに山に引き篭もって僧侶になった、と。
そんな想像をしてしまう私はどれだけ心が汚れているのでしょう…泣。
「駿河二中の制服、とてもお似合いです」
「ッ!///…アリガトウ…ゴザイマス…」
「本当に懐かしい…一瞬にしてあの頃に戻ったみたいな…そうですね、良い思い出もありましたね、駿河二中は」
まるで自分に言い聞かすような話し方。
さもそればかりではなく、むしろそうじゃなかったことの方が色濃く記憶に残ってるとでも言いたげな表情。
だけどそれを尋ねるのを憚られるほど不可視の壁。
彼も気まずさを感じたのかテーブルの上に置いてあったペットボトルのお茶を一口飲んだ。
「あ、すみません私ばっかり。よろしければ…コレ、お2人もどうぞ。といってもそちらが用意したお茶………え!?」
妙叡さんは差し出そうとしたお茶と私を交互に見やる。
気付かれてしまった。
そのペットボトルにお澄まし顔の私が貼り付けられていることに。
「え?………え?」
「すみません、身内のものが買い占めているようで…」
「ではやはりこれ…永澄さん?」
こっくりとうなづく。
恥ずかしい。
いや恥ずかしいことはしてないけど、なに調子に乗ってお澄まし顔してんだろ?
「すみません気付かなくて。テレビも携帯もない生活をしていたもので」
「いえ、まったく売れてないのでお気になさらず」
まぁ私のこと知らない人も多いですし、知らなくても生活になんの支障もありませんから。
「けどスマホもテレビもないのは随分と不便なのでは?」
「地震などの災害があった時にはラジオは聞けました」
災害時のラジオほどつまんないものなくないですか?
いや娯楽じゃないからそれが当たり前なんですけどね。
でもそうなるとこの4年間であった世間のこと全然知らないのも無理はない。
私なんかは当然のこと、東欧で戦争が起きてること、大阪で万博が開催されたこと、日本で初めて女性の首相が誕生したこと、熊が民家まで迫っていること、日本にはもうパンダがいないことも知らないんだろうな。
それでも生きてはいける。
知らぬからといって豊かではないとも限らない。
ただ妙叡さんに限って言えば本当は知らなければならないことがあったんじゃないのかと思う。
知らぬから今の彼には寂しさが込み上げているのではないかとも。
そしてそれは駿河二中に置いてきたままの何かだ。
誰も代わりに取りには行けない、彼自身が迎えに行かなくてはならないものである。
「山下リル…怖クナカッタ…デスカ?」
七生が珍しく初対面の人に興味を持っている。
「怖かったです。知っているはずなのにまるで知らない世界に行くようでとても怖かった。下りて早々ヤクザにチャカ突きつけられましたしね」
それはほんと、ごめんなさい。
「だからその制服を見た時ホッとしました。私の知る懐かしい世界に戻ってきたような、そんな感覚になりました」
「寂シイ世界…ニデスカ?」
ちょっと七生、それはいささか突っ込みすぎじゃない?
「そんな顔していましたか?」
「…ハイ」
「ははは……。凄いですね、当たっています」
笑っている割に見えない壁がもう一枚隔たるのを察した。
でもおあいにくです妙叡さん。
この子、空気が読めないんです。
「私ヲ見テ…誰カヲ思イ…出シテマシタカ?」
「グイグイ来るんですね。そうですね…初恋の人です。私なんかが想うのも憚られるほどとても…とてもとても綺麗な人でした」
愛しさと切なさが混在する複雑な表情は、当時どれほどその人を大切に想っていたかを物語っていた。
「ゴメンナサイ…モウ…ヤメトキマス」
「助かります。それと、ありがとう」
「アリガトウ?」
「私達の寺は駿河二中の学区内にあります。どうしたってその制服が目につきます。私はその制服を見てどんな気持ちになるんだろう?どんな気持ちになればいいんだろうと山を下りることが決まってからずっと不安な日々を過ごしていました。なのにこの瀬戸で思いがけず目にした時、不安は『なぜ?』に打ち消されてしまいました。もう自分の心に怖がらずにすみそうです。ありがとう七生さん」
つまりは怖かったんだ、ずっと。
妙叡さんの過去になにがあったか知らないし知る由もないけど、4年もの長きに渡り己を見つめ続けた妙叡さんを以てしても駆り立てる恐怖…または焦燥感。
今日ここでそれが取り払われたのなら、それも導山住職のいう縁のひとつなのかもしれない。
ピッ♪と七生の腕時計が鳴ると無意識に柱にかけられていた時計を見やる。
午後8:30。
意外と長く話し込んでたんだなぁ。
そろそろお暇するとしよう。
「すみませんお疲れのところ長々とお邪魔してしまって」
「いえ、とても久しぶりに同年代の女の子と話したのでとても緊張しました。けど楽しかったですよ、とても。出会えたことに感謝します」
妙叡さんはまた胸の前で合掌したが、今度は目を閉じなかった。
代わりに少年のようなはにかんだ笑顔で私達を交互に見つめていた。
追記
トントントン
「どうぞ、何か忘れ物で、、、」
「失礼しますよっと。あれ?パンチパーマは?」
「父なら瀬戸さんと裏通夜の打ち合わせで出てますけど…呼んできましょうか?」
「いや、いいよ。用事あんのはキミだから」
「私…ですか?」
「あれ?忘れちゃった?それとも思い出したくないのかな?」
「なんのことでしょう?」
「北白蛇神社」
「………あなた!もしかしてあの時の!」
「あれからお山に引きこもったんだって?」
「…あの頃はもう仏門に入ってましたから」
「無断であの街に戻ってきて起こしたのがあの事件だろうが。まぁあの頃お前らにあったことはコータから全部聞いた。心中は察するさ」
「………」
「ちゃんと出所したぞ、深森」
「………そうですか」
「投げやりになった時期もあったけど、ちゃんと出所したってよ」
「………そうですか」
「俺が教えてやるのはここまでだ。あとはお前が自分の足で会いに行け。深森にも相良にも、それから沙羅にもな」
「…私が彼らに会うことはもうありませんよ」
「坊さんのくせにバカだなぁお前。そんなのお前1人が決められることじゃないだろう」
「だからですよ。彼らはもう私になんて、、、」
「お前はどうなんだよ」
「………」
「1人で決められないってことはあいつらも自分達だけでは決められないってことだ。どちらか一方でも取り戻したい、やり直したいって思ってりゃいくらでもどうにでもなる。俺らがそうだった」
「…あなたも似たようなことが?」
「お前ら見てるとイライラすんだよ、昔の自分達を見てるみたいで。俺らだってまだ昔を取り戻せたわけじゃない。どうしたって戻って来ない奴もいる。それでも一時期よりかは随分とマシになった。10年以上かかった。お前らまだ若いだろ、これから10年かかったってまだ30そこそこじゃねぇか。始めとけよ今から。でなきゃお前の人生一生つまんねぇままになっちまうぞ」
「………」
「それだけ言いに来た。言いたいことは言ったからもう十分だ。もうお前らがどうなろうが俺の知ったこっちゃねぇ」
「………よく捻くれてるって言われませんか?」
「言われねぇよ」
「素直じゃないとは?」
「言われたことねぇなぁ」
「あの街はもう平和になりましたか?グラナダの脅威に怯えてはいませんか?沙羅さんは1人で外を歩けるようになりましたか?もう怖い思いを、、、」
「質問が多いな!グラナダなんざとっくに潰れて跡形もねぇよ。その後に幅きかせてたバカ共も調子くれてたからぶっ潰してやった。あの街は俺の大事な子が住んでんだ、女や子どもが安心して歩けるほど平和でなきゃ俺が困るんだよ」
「そうですか…」
「安心してんじゃねぇよ。バカってのは水場がありゃ湧き出るボウフラみてぇなもんだ。結局潰して沸いてのイタチごっこするしかねぇのさ。心配ならお前は坊さんじゃなく警察官になるべきだったなぁ」
「そういう道もあったのかもしれませんね」
「でもまあ、お前の経はなかなかのもんだった。俺が死んだらパンチじゃなくお前に頼むことにしよう」
「大体いつ頃の予定になりますか?」
「一応命の恩人だそ?」




