雪平の章 「恋」
いつぶりだろう?こんなに愉快なのは。
いつぶりだろう?誰かに褒められてこれほどまでに嬉しいのは。
まだ小学生の段階で友達という存在に意味を見出せなくなった俺は、今でも他人に心許す事を怖いと思ってしまう。まぁ所謂トラウマだ。自分の大切なものが傷つけられ踏みにじられ笑いものにされた俺は、友達なんていう契約書もなければ罰則もない不安定で曖昧な言葉の関係性なんて2度と作るかボケっ!と早々とリタイヤしてしまった。自慢じゃないが俺は筋金入りのぼっちだ。
友達がいないということは悪いことばかりではない。ぼっちになってからは自分のやりたい事に集中ができた。俺は頭が良くなりたかった。放課後は毎日勉強に費やした。休みの日も学習塾に通い盆も正月も関係なくとにかく勉強だけした。おかげ塾のテストも当たり前に9割取れるようになっていた。
「運動した方が脳が活性化されて勉強が捗る」という元陸上五輪強化選手だった父親の説明不十分な誘いを受け、時々近くのグラウンドを借りて短距離を走らされていた。走る意味も目的も考える事なく、ただ頭の中を空っぽにして走るのは確かに気分転換になった。父親は俺の足を早くしようとしたみたいだったが、ただの気分転換にしか思ってなかった俺は父親が期待するほどのタイムは出せなかった。次第に父親は指導の熱が冷めていき、1年もすると俺を誘うことはなくなった。けれどいつの間にか俺の中で走るという行為が嫌いではなくなっていて、夜中家を抜け出し誰もいないグラウンドを頭に空っぽにして走ることもあった。照明が消え真っ暗に近い暗闇の中をただ全力で走っていると、世界で俺1人しかいない錯覚に陥って、それがとても気持ちが良かった。気付けば俺は小学生の全国大会決勝並みのタイムをだせるようになっていて、父親の指導熱が再燃し始めたがキッパリと断った。たとえ俺が小学生にしてドノバン・ベイリーほどのタイムを叩き出したとしても陸上の道には進まなかっただろう。そんな未来なんて俺はいらない。そんなことなんかより、どうしても頭が良くなりたかった。中学に入って校内に俺の名が轟くほどに学力で有名になりたかった。それだけのために数年間のほとんどの時間を費やしたと言っても過言ではない。
中学校に入って最初の実力テスト。全ての教科で90点以上を取り、トップは間違いないと確信した。実際、掲示板には俺の名前が1番上に書かれていた。しかし掲示板の前に呆然と立つ俺はショックを隠しきれなかった。
国語
1位 七尾秋 100点
英語
1位 鈴井乃蒼 100点
総合では2位の鈴井に15点の差をつけトップではあったが、教科別では98点や96点を取っても1位を取れず2位に甘んじた。
まぁ、いい。そんな時だってある。
その2つだけはどうしてもトップに立ちたい教科だった。だが俺は結局は2年になるまで国語と英語だけは1位を取ることができなかった。
1学期の実力テスト、期末、そして2学期の実力と3敗したあたりで七尾と鈴井に興味を持ち始め、文化祭の時にあいつらのクラスの模擬店に入ってみた。やたら柘榴茶の美味しいその模擬店で七尾と鈴井は2人でカウンターに入り忙しそうにしていた。
「普通…だな」
というのが最初の感想だ。勉強が出来る奴の俺の勝手なイメージはメガネで冴えなくて少し陰のある雰囲気というものだったが、2人は本当に普通、いやリア充寄りの見た目だった。それでも家に帰ったら必死に国語と英語の勉強をしているんだろうか?と考えながら柘榴茶を飲み干した。
「おい!3年に花持たせろよ!」
隣に並んで走る男が気安く俺に声をかけた。
「先輩に花を持たせる理由を簡潔に述べてください」
俺は今、父親に素直に感謝したい。あの時誘ってくれたおかげで頭の悪いこの先輩の言い分を聞く前に抜き去ることができる。前を走る1位の背中にも追いつくことができそうだ。ぼっちだった俺がこんなにも期待され、褒められ、大事な役割を任され、そして堂々と次の走者に託すことが出来る。
何より大好きだったあの人と、話すことができた。
俺の足を、速くしてくれてありがとう。
諦めようと蓋を閉めていたあの感情がまたパカパカと開きかけている。そしてそれはきっと体育祭が終わった瞬間、昨日よりもっと苦しいものに変わってしまうだろうけど。
だが今は素直に嬉しい気持ちが溢れ出てきて止まらない。やっぱり俺は恋をしている。俺はあの人に心の底から恋をしている。初めて会ったあの瞬間から。
けどそろそろ終わらせなきゃと思う。
叶うはずもないその淡く儚い恋心に終止符を打つのは、決して苦しいからじゃない。
今まで頑張ってきた自分に少しだけご褒美をあげたくなったんだ。
この気持ちを伝えたい。
ただそれだけでいい。
もう、ひっそりと心にしまっておくだけの恋では終われなくなってしまった。
伝えたいんだ、あの人に。
好きですって。
知ってもらいたいんだ、あの人に。
ずっとずっと好きだったって。
あの人はなんて言うかな?
「雪平くんの気持ちは嬉しいけど…」
なんて言葉から始まったら、きっと最高だろうな。
もし今叫んだらどう思ってくれるだろう?
もし明日伝えたらどう思ってくれるだろう?
だけど今この瞬間に想いを伝える自信が俺にはまだないや。
その自信は目の前の背中に追いつくことができたら、どこからか湧き出してくれるだろうか?
「雪平くん!」
「ゆきひらぁ!抜けぇ!」
抜く?なんでだよ笑
抜くにふさわしい奴がこの後2人もいるじゃないか。
俺はその2人に、最後のお膳立てをする役割でしょうが。
「なんだ……お前は……」
1位の隣に並ぶ。だけどまだ自信は湧かない。
それでも俺はやっぱり今日の俺を褒めてやりたい。
模試を捨ててここにきたこと。
予選のアンカーで1位になったこと。
大切な人をバカにする先輩の胸ぐらを掴んだこと。
決勝で1人抜き、トップと並んで七尾にバトンを渡すこと。
それも、大好きなあの人の目の前で。
今日の俺は、人生で1番カッコいい。
佐伯、俺はお前に感謝するよ。
お前の一言のおかげで、俺は今日の自分が人生で1番大好きだ。
「七尾ぉ!わかってんだろうな!」
お前がするべき役割を。
「当たり前だろがぁ!よこせぇ雪平ぁ!」
真っ赤なバトンは七尾に託した。俺はもう限界だ。もう一歩だって走りたくない。
その背中を見届けた後、グラウンドにへたり込んだ。息が上がってもうまともに立つのも無理だ。
さあ行け七尾。美味しいところを譲った上にお膳立てまでしてやったんだ。
もしここでお前が無様な姿を晒すなら、俺がお前のその座を喰うぞ?
「お疲れ様、雪平くん」
あの声が聞こえた。俺の心に触れる声。ずっと聞きたかった声。ずっと隣で聞いていたい声。
なのに息が上がって返事をすることさえ出来ない。
こんな事なら最後七尾になんか叫ぶんじゃなかった。
「凄いね。カッコ良かったよ」
ずるい人だ。俺の気持ちも知らずそんなこと言うなんて、ひどい人だ。
ああっ!くそっ、なんでこんなに好きになっちゃったんだよ!
諦めたくねぇよ!
だって、ずっと好きだったんだ、ずっと。
1日だって考えなかった日はない。
いつだって俺の中にこの人がいた。
俺の全てはこの人の想いで形成されている。
諦められるのか?
今までの時間はこの人のためにしてきたことじゃないのか?
諦め…られるかぁぁぁぁぁぁ!!!
チクショウ!大好きだぁぁぁ!!!
ずっと、ずっと好きだったんだ!
いまさら何もしないで思い出にできるかよ!
いいさ、今に見てろ!
今はお前でも、将来この人と一緒にいるのはこの俺だ!




