羽生の章 「闇夜の月」
わかってるよ阿子。お前ら女子はこれ以上ないくらい頑張った。上出来すぎてお釣りがくる。そのおかげで俺が目立たない可能性が高いけどな…。
3位か。2位との距離が開きすぎて俺で抜くのは無理だ。
なら、詰めるしかねぇだろ。クソ生意気な雪平に良いところ持ってかれるのは癪だな。
けどいっか。俺はいつだってそういう役回りだ。
野島貴明が光ならば、俺はその光で出来た影だった。
あいつの影であることが俺の誇りだった。
最初は理屈っぽくて気に入らない奴だと思った。けどいつからかそれがタカの臆病さの現れだと気が付いた。誤解されることの怖さ、理解されないことの怖さ。あいつはいつだって自分のことを知って貰うために必死だった。だから必要以上に言葉を紡ぐ。一言でも多く、伝えたいことを相手に伝えるために。
それが逆効果だと知りながらも、抗う。その術しか持っていない自分のことを理解して貰うために。それが、あいつの弱さなのだ。けど俺はあいつの弱さを笑えない。俺は諦めるというやり方で自分の弱さを隠す。どうせわかってくれないだろうという言い訳で自分を慰める。けどあいつは、タカは、逃げずに弱さをさらけ出す。誤解されたくないがために。必要以上に過大評価されることにただひたすら怯えていた。
見ろ!見ろよ!ちゃんと見ろよ、俺がどんな人間か。俺がどれだけ醜いか。俺がどんな卑怯かを見ろ!お前らの色眼鏡でなく、お前らが付けた肩書きではなく、等身大の俺を見てくれ!ありのままの、俺を見てくれよ!
偽らない分だけ、全て自分に跳ね返る。だからあいつは必要以上に傷ついてしまう。他人の言葉によって、視線によって、態度によって、一糸纏わない剥き出しの人間性は少しずつ傷を増やしえぐられていった。吹き出した血は新たな傷を作り、他人の手で掻き毟られたその傷はやがて膿を持ち次第に腐り落ちていく。
それでもやめない。自分のあるがままを理解して貰うことを諦めない。自らをさらけ出しこの混沌とした不快の糸の水溜りを裸で泳ぐのが野島貴明だった。
あいつはいつだって一生懸命生きてきた。しかし誰もあいつ自身を見ようとしなかった。求められたのは相手にとって都合のいい野島貴明であって、本当の野島貴明である必要がなかった。
だから初めて会った時のあいつは孤独以外の何者でもなかった。
あいつと出会った俺たちは本物の「野島貴明」を知ろうとした。その痛みや苦悩を理解しようと思った。初めは尖っていた野島貴明ではあったが、根雪が解けるようにゆっくりとした速度で俺たちの隙間に溶け込んできた。気付けばいつだって隣にあいつがいた。
けど七尾秋はそうはしなかった。
野島貴明という人間を理解しようなんて思わなかった。ただ受け入れたのだ。あいつの全てを。五天や、先輩や、天才などという肩書きなんて全部取っ払って、ただ野島貴明という1人の人間を七尾秋という1人の人間としてあるがまま受け入れたのだ。
1人の人間の価値観が、1人の人間の価値観と同一なことなんて絶対にあるわけがない!絶対にあり得ない!だから野島貴明と七尾秋がぶつかり合うのは必然だった。
ただ、秋は俺たちとは違った。
知らないことは知らない、わからないことはわからない、気に入らないことは気に入らない。あいつもまた何も飾らないありのままの七尾秋で全てをぶつけた。
「バカですか?」
本気であいつのことを野島と罵るのは秋だけだ。
「死ねばいいのに」
本気であいつに向かってそんなことを言えるのはあいつだけだ。
普通なら後輩からそんなことを本気で言われたら気に入るどころか殴り殺してやろうと思って然るべきだ。しかしあの2人は罵れば罵るほど、殴り合えば殴り合うほどに距離は近づいていった。
その要因は、七尾秋が野島貴明に対して抱く純粋無垢な尊敬の念ただ1つ。
誰が見ても秋はタカが好きだった。
そしてそれ以上にタカは秋が好きだった。
七尾秋という後輩によって、タカは自分の持つものとは違った光に照らされたのかもしれない。
秋の登場と同時に俺は複雑な思いだった。ロン毛とリーゼント、野島と羽生、タカとコースケ…俺とタカはいつも一括りだった。それが俺はとても誇らしかった。とんでもない奴の相棒というのは俺に自信をくれた。かといって過信していたわけではない。
あいつが光なら俺は影。
何者をも照らし、温もりを与え、生きとし生けるものにエネルギーを生産させるのが太陽ならば、俺はただ闇夜の中で太陽の光によって輝くだけの月だ。けど、いいじゃないか、月で。ずっとそう思ってきた。疑うこともなかった。
「タカと秋はいいコンビだよ笑」
図書室で殴り合っているあの2人を見ながら、阿子はそう言った。
そうか、今のあいつの相棒は俺ではなく秋なのか…。
阿子に悪気があったわけではないのはもちろんわかっている。俺自身もあいつらを見て阿子と同じ感想を抱く。ただ、それでも胸はチリチリする。あいつの隣というポジションを奪われたと頭をかすめてしまう。そんな俺はひどく自己嫌悪に陥った。俺自身が、あいつの肩書きに頼り、守られ、依存していた事に今更ながら気付いた。1番近くにいたくせに、あいつを理解するどころかあいつを苦しめている側にいた自分が酷く不快だった。嫌いだった。
だが、俺も七尾秋の光に照らされていた。
タカのそばにいる秋を見ていて俺の眠っていたはずの自尊心がゆっくりと目を覚ます。
「お前は誰だ?お前は何者だ?お前は、野島貴明の何なのだ?野島貴明がいなければ、お前は何者でもないのか?」
タカの隣というそれに誇りを持っていた。なんだ、それは笑。タカがいなければ俺はいないのか?俺は誰だ?東堂か?ハブか?
俺は、羽生宏介。
中学3年生。特進組。タカの友人。阿子の友人。桜の彼氏。秋達の先輩。文芸同好会元会長。その肩書きは俺の中でとても大事なものだ。
けどそれをすべて失ったら何が残る?俺という存在しか残らない。その時、俺は這いつくばって進むことができるだろうか?それとも泣いて喚いてその場にしゃがみこむことしか出来ないだろうか?
コースケ、お前はどんなふうになりたい?
そりゃ考えるまでもない。前者に決まってる。
それは何故だ。
俺は、男だからだ!
ならもがけ!
自分の存在を誰かに委ねるな!
お前は野島貴明の相棒なんかじゃない!
闇夜に浮かぶ月じゃない!
お前は、自分自身で輝けよ!
今度は俺が、誰かを照らす光になれよ!
「雪平ぁ!!!!!てめぇ抜かなかったら殺すからな!」
俺の名前は羽生宏介。
たった今から、俺はただの羽生宏介だ。




