秋の章 「アカルイミライ 前編」
「大変お待たせして申し訳ありません」
窓口に立つ…というか座っていた女の人は大して悪びれた様子もなく事務的に謝罪の言葉を述べた。
混んでるんだから仕方ないじゃない、私が悪いわけじゃない、そもそも別にあなたに対して悪いなんていう感情あまりない、というのが透けて見えた。
別に待たされたことを怒っているわけでもないし1時間も待たされたことで妄想に近い予想が少し確信に近づいたのは収穫の1つだ。
このあと何個か想像通りに展開すればもう疑いようもない事実となるだろう。
実際差し出された紙を見ると予想通りの記載がされていた。
「あの…ここに書かれていることに間違いはありませんよね?」
一応確認のために尋ねただけなのだが受付の女性は
「は?」
とまるで変な人でも見るかのように嫌悪感を滲ませた目で見られた。
まぁ『間違いです』と言われてもそれはそれで困ってしまうわけなのだが。
「なんでもないです。どうも」
450円を支払い白い紙を四つ折りにしてコートのポケットにしまうとトートを背負い直して出口に向かった。
ま、そうなるよな…と歩きながら思った。
自動ドアを開けると丁度バスがファ〜ンとクラクションを鳴らして走り出すところだった。
乗るという選択肢もあったそのバスだが、乗り損ねた事こそがなんだかこれから先のお膳立てのようで妙に納得がいった。
バス停前のガードレールに腰掛けiPhoneの電源を入れる。
15分ほどして俺の目の前に少し古い型の軽自動車が止まり助手席側の窓が開いた。
「あれ?秋じゃないか。どうしたんだいこんなところで」
怖いくらい俺の予想通りに展開して若干寒気がする。
「うん、乗ろうとしてたバスに乗り損ねちゃって」
「そうか。そりゃあついてないな笑」
「だから待ってたんだよ、祝人さんを」
一瞬だけ僅かにたじろいだ表情を祝人さんは見せた。
あのいつも先を見据えているように冷静沈着で俺の言葉などなんでもお見通し、みたいな祝人さんに微かでも動揺を与えたことがなんだか誇らしく思えた。
「乗りなよ。家まで送ってあげる」
「ううん。祝人さんを待ってたのは送って欲しいわけじゃなく話をしたかったからなんだ。少しだけ時間ある?」
「今の仕事は比較的時間を自由に使えるんだ。少しと言わず秋の納得するまで付き合うよ」
ありがたいけど俺が納得するには祝人さんが思うよりもう少し時間がかかると思う。
例えば年単位とかのレベルで。
流石の祝人さんもそこまでは付き合ってられないと思うよ。
「ありがとう。お邪魔します」
助手席に乗り込みシートベルトを閉めたのを確認した祝人さんは静かに車を走らせた。
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祝人さんが車を止めたのは白崎の街を一望出来る山の山頂にある駐車場だった。
外に出て柵から見下ろすと真下には以前乃蒼とレンと一緒に初詣に行った神社が見える。
週末の夜はデートスポットのこの場所も平日の昼間は閑散としていて込み入った話をするにはおあつらえ向きだ。
「市役所になんか用事あったの?」
俺が車に戻ると早速祝人さんが本題を切り出した。
まるで本当に何も知らないような普通で自然な言動。
予測が確信に近付いた今となってはその演技力に度肝を抜かれる。
一体この人の引き出しは何段あるんだろう?
「うん、ちょっと」
聞かなくたってわかっているはずなのだが、演技の上手い祝人さんがどこで素に戻るのか興味があって付き合う事にした。
「コレを取りに行ってたんだ」
ポケットから四つ折りのままの紙を渡す。
表情を注意深く観察したが微動だにしない祝人さんを見てまた確信に一歩近づく。
「戸籍謄本?何かに使うのかい?」
「ううん…。もしかしたらコレに名前が書いてあるんじゃないかって」
「そっか…父親が誰かを知りたかったのか」
それにはあえて明確な返事をしなかった。
「あんまり期待してなかったけど。案の定何も書いてなかったよ」
そっか、と小さく呟いた祝人さんに安堵のカケラが見えた。
まだ祝人さんが俺の本心に気付いていないことを悟る。
「例えばさ…」
俺が天才と信じて疑わないこの人はどこで気付くだろうか?
その時一体どんな顔を見せるのだろう?
「どの時点までは書いてあったんだろうね?」
天才が少し眉をひそめた。
「…どういう意味?」
「本当は俺が来るまでそこに名前はあったんじゃないかな?っていう話だよ」
眉がゆっくりと元の位置に戻ると
「聡いね」
と拍子抜けするほどアッサリと認めた。
「やっぱりそうだったんだ」
役所であまりにも待たされたことが俺の疑念を確信に近づけた。
戸籍を消せる祝人さんならそんな細工は容易いだろう。
例えば俺の名前で戸籍謄本の申請をした時点で役所のコンピューターの七尾家の部分だけをストップ、なんらかの方法でその事を知った祝人さんがパソコンを使った遠隔操作で戸籍謄本を改ざんする…とか。
妄想もここまでくれば病気、と普通なら思うこともこの人ならやりかねない。
疑うならとことん疑ってみようとまず目を付けたのが以前三太さんから貰ったiPhoneだった。
もしかしたら盗聴器が付いているかもしれない。
GPSで居場所を把握されているかもしれない。
実際にそんなことができるかわからないけどメールやアプリ、それにネットで検索した事までもが筒抜けになっているかもしれない。
だから白崎事変の事はこのiPhoneではなくネットカフェのPCで調べていた。
無論GPSで居場所を特定されないようiPhoneは家に置いて。
「確かに以前三太の戸籍を遠隔でいじった事はある。でも秋の父親の欄を消すなんてこと、昔も今もしてないよ」
そう答えるのも予想の範疇だった。
きっと本当に祝人さんは戸籍の改ざんはしていないのだろう。
父親の欄、は。
「疑われてる俺の言葉を信じるのは、少し難しいか…」
「ううん、信じるよ。でもね、、、」
俺が戸籍謄本をとった本当の理由を知ったらこの人はどんな反応をするだろう?
こんな時すら何事もなく演じ切ってしまいそうな、そんな気がした。
「俺は父親の名前を知りたかったわけじゃないんだ」
「え?」
けれど俺の目から見ても明らかに動揺を抑えようとして見えた。
祝人さんもさすがに人の子なんだな、とこんな時にも関わらず少し可笑しかった。
「じゃあ………秋は何を知りたかったっていうんだい?」
俺は沈黙した。
今ならばまだ引き返せる。
それもまた選択肢の1つとしてまだ目の前にあった。
でも引き返して…何が変わる?
これからもまた花さんとあんな風に過ごさなきゃならないのか?
今を劇的に変えようとするなら、それ相応の痛みを伴わなければならない事もある。
それが俺の今抱えているのはそう言った類の悩みなのだ。
「母親が…誰か、だよ」
今度は祝人さんが沈黙する番だった。
重く、暗い静寂が車内に蔓延する。
俺はそれに耐えかね何か話そうとしたけれど、頭には何も浮かんで来なかった。
ただジッとその空気に耐えるしか出来なかった。
「誰がそんな事を?」
絞り出すようにいったその言葉が、天才が長い時間の中で考え出した割にあまりにもありきたりで普通だった。
「秋の母親は花だよ」
どうにか冷静を取り繕うとしているのが手に取るようにわかった。
祝人さんを困らせるつもりはなかったけど、どうやっても俺のこの質問は誰かを困らせてしまうものだ。
その相手が祝人さんで申し訳ないと思いながらも、いま話せるが祝人さんしかいない事をどうかわかって欲しい。
「うん…そうだね」
戸籍にもそう書いてあった。
きっと父親の欄は本当に最初から空白だったのだろう。
だから祝人さんが改ざんしたのは父親ではなく母親の欄、つまり花さんの部分だ。
「俺の母親は誰なの?」
「だから花だよ」
「俺を産んだのは誰なの!」
「それは………」
いくら待っても祝人さんは続きを言えないでいた。
嘘をつかれるより遥かに紳士的に思えた。
「ごめん、困らせちゃったね。忘れて」
「記憶力は良い方なんだ。そうじゃないにしても…この話は無理だよ」
「それもそうか…」
精一杯笑ったつもりだけど、うまく出来なかった。
「ねぇ、もっと困らせるかもしれないけど話しても良いかな?1人で抱えてるには少ししんどいんだ」
「秋がそんな弱音を吐くんなら、一緒に抱えてやらないわけにはいかないだろう。それは花が秋の母親じゃないと疑うきっかけになった話か?」
「…うん」
「じゃあ聞いておかなきゃね。今後のためにも」
今後?
意味を考えてみたけどよく分からなかった。
「自分なりに調べてみたんだよ。だけどどうにも辻褄が合わなかったり点と点が繋がらなかったり…ていうかそれがどうして花さんが母親じゃない事になるのかわからないんだ。調べれば調べるだけ謎なんだ」
「何がそんなに謎なんだい?」
「ねぇ祝人さん、、、」
おそらくだけどこの一言を発してからの俺の未来はそれまでとは大きく異なったのだと思う。
普通では考えられない俺だけの人生は振り返った時どんな花を咲かせるだろう。
「白崎事変て…一体なに?」
気付くと右腕が痛いくらいに握られ、驚いて祝人さんを見ると目の前にあったその顔は真っ青で唇がわずかに震えていた。
「どうして…どうしていま白崎事変を知ってるんだ!」
初めて聞く祝人さんの怒鳴り声に、俺は一瞬とんでもない事をしでかしたんじゃないかと怖くなった。
その目はまっすぐに俺を見ていて、逸らしてはいけない強制力があるようにすら思えた。
「どこで知ったんだ!誰が教えたっ!」
「ちょっと待って!まず力抜いて!意外と痛いから、ていうか結構本気で痛いから」
ハッとした顔の後に祝人さんは俺の腕を離した。
祝人さんがこれほど取り乱す白崎事変って一体なんなんだろう?




