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花さんと僕の日常   作者: 灰猫と雲
第一部
579/801

秋の章 「White door」

千石受験の面接からしばらく経った。

その頃の俺と花さんの関係は最悪だったと言っていい。

花さんが恐々と俺に話しかけ、俺は無視をするか視線を合わさず単語で答えるだけ。

夕食の時以外は顔を合わさないように生活の時間もずらしてもいた。

顔を合わせば聞いてしまう。

汚い言葉で罵ってしまうかもしれない。

そして何よりそうした後で死ぬほど後悔することは明白だった。

だから俺は極力目を合わさず、話をせず、話を聞かないことに決めた。

花さんが泣きそうな、何か怖いものでも見たかのような表情をしているのもわかっている。

何かを叫びたくもなるし、その辺にあるものを壊したい衝動にも駆られる。

そうしなかったのはそうしたところでこの不安定さが解消されるわけではないからだ。

だからジッと耐える。

耐え続ける。

いつまで…?

俺はいつまでこの状況を耐え続けなければならないのだろう?

18歳の誕生日まで?

きっとそれまでにいろんなものが壊れてしまうだろう。

形のあるものならばいくら壊れたって構わない。

壁や机や携帯なんかはいくらでも代わりがある。

けど形ないものが壊れる時、必ずしも修復できるとは限らない。

無論替えなんてあるはずもなく、あったところでそれは偽物だ。

偽物…紛い物…つまりは本物ではない親子。

気が狂いそうになる。

いや、もう狂っているのかもしれない。

何もかもが嫌になって、誰も信用したくなくて、だけど沢山の大切なものと一握りの信じられる人達。

プラスに振れマイナスに振れ、上に上がり下に落ち、光明が差し暗闇に沈む…そんな日々を過ごしていた。


花さんが静かに『行ってきます』とドア越しに声をかけて仕事へと出かけた。

俺は寝ているフリをしながら何も答えなかった。

ジッと天井の白色を見つめ続ける。

ここ最近1人でいる時に考えるのは俺がまだ小さい時の思い出だった。

こんな事でもなければもう思い出しもしなかったことが蘇る。

あれはいつだっただろう?

4歳か5歳くらいか?

『どうして花さんはお母さんやママじゃなくて花さんなの?』

それまでなんの疑問も持たずに花さんと呼んでいたが、周りの子達がお母さんやママと呼んでいることが不思議だった。

そしてすぐ不思議なのは周りの子達ではなく自分の方だった事に気付き花さんに問いかけた。

『お母さんやママより花さんって呼んで欲しいから笑』

花さんはそう答えた。

果たして本当の理由がどこにあるのか俺にはわからない。

本当にそうなのかもしれないし、その呼び名は萩さんに残しておきたかったのかもしれない。

少し前までの俺なら花さんの考えていることなど百も承知と思っていたが、もうその自信は跡形もなく消え失せた。

何が真実なのかは花さんしか知らない。


思い出したくない頃の記憶だけどこんな事もあった。

小学5年生の時、担任になったのは少し頭のおかしい大学を出たばかりの女の先生で、ある日

「お前は片親だから碌な大人になれない」

と言われ、心配したタケルと彩綾の『一緒に帰ろう』という誘いを断り1人落ち込んで帰った。

花さんは帰宅した俺の顔を一瞬見ただけで何かあったと察しその理由を尋ねた。

話したくないとゴネた俺だったが根負けして説明すると夕ご飯の支度をしていた花さんが引きつった笑みのまま包丁片手に学校へと乗り込んだ時があった。

俺は花さんを必死に止めようとしたが結局家から学校まで引きずられ、途中何人ものクラスメイトに見られて恥ずかしい思いをした。

職員室に乗り込んだ花さんはノックもなしに入ると担任の女の先生めがけて包丁をぶん投げた。

狙ったのか幸いだったのかはわからないがその包丁は先生には当たらず先生の机の上に突き刺さった。

周りの先生方が呆気にとられ身動き1つ取れない中、花さんは俺を引きずりながら担任まで近づき刺さっていた包丁を手に取った。

「どうも、七尾秋の母親の七尾花ですこんにちわ。ではサヨウナラ」

「うわあああ!ダメですってばああああ!!!!」

振りかぶったその手を寸でのところで止めてくれたのはその日もジャージ姿に首から笛をぶら下げた斎藤先生だった。

「邪魔しないでください」

花さんの声は震えるほどに冷たかった。

「どどどどど、どうかイカイカイカ、、、」

「イカ?」

「どうか怒りを、、、、沈めてはいただけないでしょぉぉおぉおかぁぁああ!!!」

斎藤先生が絶叫すると周りにいた男の先生達が花さんから包丁を取り上げようと一斉に襲いかかった。

体育大学出身で柔道一筋28年の後藤先生は一瞬にして花さんに投げられ生温い床を舐めた。

高校時代相撲で全国大会準決勝まで行った遠藤先生は顎に掌底を撃ち抜かれ白目をむいて気絶した。

合気道の黒帯だという佐藤先生は手首を取ろうと掴みかかりそのまま手首の骨を折った。

これはマズイ!と剣道4段の加藤先生が昼休みの素振り用として持っていた木刀で花さんと対峙したが、向き合った瞬間に『モノが違う…』と戦意を失った。

並み居る武道経験者が束で向かって行っても本気で怒っている花さん(後のバーサーカーモード)には太刀打ちできなかった。

あぁ僕は人殺しの子どもになっちゃうんだ、と諦めかけた時、

「あなたが七尾くんに見せたいのはそんな姿なのですか!」

と叫んだ人がいた。

声の方向を向くと頭に『七生報国』と書かれたハチマキを巻いた上半身裸の三島先生が立っていた。

学生時代の三島先生はたしか書道部だ。

色んな『道』があるものだ。

「娘は今もあなたの描いた絵本が大好きです!どうか…私の娘を落胆させないでやってください。どうか七尾くんに良い母親だと胸を張って言える人であってください」

三島先生の足は震えていたが張りがあって芯のしっかりした声だった。

「私は………良い母親ではないことを自覚しています」

「あなたはそうかもしれない!でも七尾くんは違います!」

花さんの包丁を持つ手が一瞬緩み、だけどまたギリギリと力が込められる。

「あなたは何者?」

氷も凍るような冷たい目を担任の先生に向けた。

担任は目に涙を溜め引き攣った顔で声にならぬ声を出そうとし、そして出せずにいた。

「教師?手本にもなれない人間が子どもに何かを教えようとしないで。先生?たかだか先に生まれたくらいで子どもの未来を蔑まないで。そんな事もわからない人が子ども達より一段高い場所に立つんじゃないっ!」

怒鳴る声。

静まる職員室。

「白野先生…」

それまで腰が抜けて立てなかった斎藤先生が今も腰が抜けたままの姿勢で担任に向かって話し始めた。

「私が受け持っていた生徒から相談を受けたことがあります。あなた、自分の言うことが聞けないなら窓から飛び降りて死ね…と、ある生徒に言ったみたいですね」

それを言われたのは俺だ。

イタズラをした同級生に自分が叩けば暴力事件になるから俺にその子を殴れと強要し、当然断ると想像を超えた言葉を投げつけられた。

「斎藤先生と同じ子達かどうかはわかりませんが、、、」

今度は三島先生が花さんにも負けない冷ややかな目で担任を睨んだ。

「私のところにも今日2人来ましたよ。なんでもあなた七尾くんに対して片親だから碌な人間になれないと言ったそうですね。それどころか母親もお前の事を邪魔だと思っている、産まなければ良かったと後悔してると言ったそうじゃないですか」

カランと床に包丁の落ちる音が聞こえた瞬間、職員室にいた先生達は一斉に目を壁や天井に背けた。

俺も後ろにいた誰かによって目隠しされ視界は暗く何も見えなくなってしまった。

けど何が起こったのかは何と無く想像できた。

鈍い音がした後聞こえたのは

「あんたに何がわかるっ!」

怒りに震えた涙声の花さんの叫びだった。

「この子の生まれてきた理由を、生きる理由を否定するな!私はこの子がいるから母親になれたんだ!この子の母親にしか私は………私は………」

隠されていた手が離れると泣いている花さんの肩に手をかけた斎藤先生が見えた。

腰はもう立っていた。

「七尾さん、私今年の冬に父親になるんです」

斎藤先生は今年の夏、2年生の担任の實藤先生と結婚した。

夏に結婚、冬に出産…計算が合わない。

「妻はあなたのような母親になりたいと常々言ってたんですよ。そこにいる彼女が私の妻です」

少しお腹がふっくらした旧姓・實藤先生が花さんに向かって一礼した。

「最後まで彼女の理想の母親でいて下さい、っていうのは私のわがままでしょうか?だとしたらそのわがままをきいてはくれませんか?同僚があなたと秋に大変な暴言を吐いたことは謝罪します、本当に申し訳ありませんでした」

斎藤先生と三島先生は並んで深々と花さんに向かい頭を下げた。

「先生、私じゃなく秋に謝って下さい」

「そうですね。秋、ごめんな」

斎藤先生の言葉は花さんの時よりライトだったけど折り曲げた2つの腰は花さんの時よりも深くそして長かった。

「先生、相談しに来た生徒ってタケルと彩綾?」

2人はそれを合図に頭をあげた。

「それは言えないな。約束は守りましょうって教えてる先生が子どもとの約束破るわけにはいかんだろう」

と斎藤先生。

「三島先生も?」

「友達を守りたいとはいえ勇気ある行動だから秘密にする必要はないと思う。だけどそれでも生徒との約束は守らなきゃな。ただ2人とも本当に秋くんのこと心配していたよ」

ヒントにしてはそれはもう答えに近い。

そっか、あいつら俺のために三島先生のところに行ってくれたんだ。

花さんが殺人事件の犯人にならなかったのもお前らのおかげだよ。

「白野先生の処分の件ですが、、、」

「それは私達には関係ありません。全て学校側にお任せします。それより三島先生、服を着て下さい」

なぜ三島先生が裸にハチマキだったのかを知りたくてこの件のすぐあとに『三島由紀夫と楯の会事件』を読んだのは言うまでもない。

「花さん、帰ろう。僕お腹すいた」

まだ怖い顔していた花さんに笑いかけてみる。

「そうだね。帰ろっか」

といつもの優しい花さんの顔に戻ったのを見て思った。




だけど僕がいなければ花さんは誰かと結婚できたかもしれない。

僕がいなければ違った幸せがあったのかもしれない。



いつしかそれは黒の塊として俺の胸に巣喰い、度々俺に語りかけた。



お前さえいなければ

生まれて来なければ



愚かな俺はそんなことに気を取られ、ずっと心に引っかかっていながら放置していた事がある。

あの時の花さんは何故『私しかこの子の母親にはーーー』ではなかったのだろう?

だがそれを尋ねるには時間が経ち過ぎた。

それでなくとも今はそれどころではない。

白崎事変についてネットで調べてみたが、北は札幌から南は沖縄までありとあらゆる犯罪が白崎事変とされていて、今の混乱している頭では全く理解も整理もできなかった。

七尾萩でも検索してみたが、当時高校生だったためかFacebookや姓名判断のページしか表示されなかった。

わからない事がありすぎる。

知らない事が多すぎる。

もしもあの日、千石高校であの冊子を見つけなければ今もそれまでと同じ呑気に生きていたのだろうか。

どっちが幸せだったろうな…と思わなくもないが、知ってしまった以上それを嘆いたところでしかたのない事だった。

やれる事はやれるだけやるか…。

ベットから抜け出し部屋を出ると朝食がラップをかけた状態でテーブルの上に置いてあった。

ゆっくりとそれを食べ、歯を磨きシャワーを浴びて支度する。

「はぁ…」

これからする事は無駄足に終わる。

確信に近い予測を頭に描くと、意思とは関係なしに溜息が出た。








追記1

「さて、ハンバーグの続きを作りま、、、あーーーー!!!」

「えっ!なになに!どうしたの花さん!」

「秋、ちょっとおつかい頼まれてくれないかな?」

「おつかい?なに?」

「包丁」

「…え?」

「包丁学校に忘れてきちゃった笑」

「…なにしてんの?」






追記2

「お疲れさんでした。かんぱ〜い」

「「「「かんぱ〜い」」」」

「………ぷはぁ〜!死合った後の1杯はたまりませんなぁ!」

「後藤先生はただ投げられに行っただけじゃないですか」

「そういう遠藤先生はずっと気絶してましたね」

「佐藤先生、手首大丈夫ですか?」

「折れただけなんでヘーキヘーキ笑」

「いや骨折って重症ですよね?」

「その点加藤先生はいいですよね。向き合っただけですもんね」

「いいかいキミ達。武道の達人は対峙した瞬間に相手の力量を測れなくてはダメだ。あれは羅刹だよ。破壊と滅亡を司る神に向かっていくなど自殺行為に等しい」

「真っ先に向かっていった人がいますけど」

「………え俺!?いや俺は…七尾さんとは何度か会ってるし…」

「そういえば三島先生も以前七尾の担任でしたね」

「えぇ。とても聡明な方ですよ、七尾くんの母親は」

「聡明であの狂気…。それが原因だったりするんでしょうかね?」

「離婚…ですか?」

「ええ」

「七尾くんのところは離婚していませんよ。未婚のまま七尾くんを育ててるんです」

「未婚のまま?七尾くんの母親っていくつなんですか?」

「さぁ?けどまだ若かったはずですよ。30手前だと思います」

「七尾が今年11歳で30手前って事は10代で産んだって事ですか」

「無粋な推測はやめませんか?どんな人生があったっていいじゃないですか。2人が幸せなら」

「まぁそれもそうですね。今どき珍しくもないですしね」

「そういえば三島先生のところに来た生徒って誰だったんです?」

「斎藤先生の予想通りだと思いますよ笑」

「なるほど、やっぱあの2人か笑」

「斎藤先生の時もですか?」

「いえ。彼女とは誰にも言わないっていう約束なのでこれ以上の発言は控えます」

「彼女って…言っちゃったねぇ笑」

「あっ!?…まぁ、それくらいなら許してくれるでしょう。これ以上はダメです!絶対に喋りません」

「でも…それは荒木じゃないってことですか」

「まぁ…荒木じゃあありません。もうダメですよ!もう喋りません!」

「そうですか。しかしあの子は…不思議な子ですね」

「えぇ。大人びてるかと思えば途端に幼さがみえたり、別段目立つタイプじゃないのに気が付いたらみんなの中心にいてみんなが秋の向いてる方向を向くんですよ。アイツ自身自分が先頭に立ってるなんて思ってないから自尊心の強い子達も素直にアイツの言うことをきくんです。教師としては何度もアイツに助けられました」

「小2の時すでにその片鱗はありましたね。初めて見た時は大人しい子だと思ったのですが良い意味で裏切られましたよ」

「へぇ〜、ウチのクラスにもそういう生徒がいたらもう少しまとまるんだけどなぁ〜」

「いても腐す教師もいますけどね」

「………」

「………」

「………」

「………」

「新卒にいきなり担任は難しかったんじゃないですか?」

「普通副担を経てなるもんですよね?なんで彼女だけ」

「校長の教え子だったみたいですよ。愛人…とまでは言いませんけど他の先生と比べてちょっと感情入っちゃうんじゃないですかね」

「そんな個人的な感情で担任持たせて結局潰れるのは白野先生なんてすけどね」

「白野先生は大人だからまだいいですよ。心配なのは子ども達の方でしょう。窓から飛び降りて死ねとか、それもう教師の言葉じゃないでしょう!」

「大人としての言葉でもありませんけどね」

「人間の言葉でもありませんよ。加えて今日のあの発言ですからね。職を辞して欲しいとは言いませんが、教育者どころか人として未熟すぎます」

「ところがどうやらお咎めナシらしいですよ」

「「「「本当ですか!?」」」」

「正確に言うと2ヶ月の減俸、以上」

「たったそれだけ…。じゃああのクラスは?」

「そのまま白野先生が担任するそうです」

「校長は白野先生の暴言のこと知ってるんですか?」

「ええ。教頭が全部説明してましたから。教頭も怒ってましたよ〜」

「白野先生も白野先生だが校長も一体何を考えてるんだ!あんな教師に多感な時期の子ども達を担任させて一生消えない傷を付けたらどう責任取るつもりだ!」

「珍しく荒れてますね、三島先生」

「先輩は基本アツい人ですよ、学生時代から」


ガラガラガラ


「あ、いたいた。すみませ〜ん!白野、遅くなりましたぁ〜。あ、私ビールで。いや〜今日は大変でしたね。目の前に包丁が突き刺さった時なんて死を覚悟しましたよ笑。マジ怖かったぁ笑」

「あ…あのぉ白野先生、言いたい事はたくさんあるんですけど………まず1ついいですか?」

「なんですか斎藤先生」

「お前今日呼んでねぇよ」

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