リンの章 「ずっとずっと大好きな人」
先輩の腕には血が滴るくらい私の歯型がついていて、犬歯のところなんか2つの深い穴ができていた。
青色に内出血もしてるみたいで見てて相当痛そうだ。
「ごめんなさい…」
「どうして謝るの?お願いしたのは俺の方。予想してた以上に上出来だよ。リンちゃん素質あるよ」
Sのですか?
私どっちかというとMなんですけど。
先輩はハンカチで血を拭うとギュッと圧迫して血を止める。
もっともっとと言われたけれど我ながらやりすぎだと思った。
「理由、聞かせてくれますか」
「…うん」
話してくれた内容は先輩が先輩たる根幹を揺るがす衝撃的な話だった。
先輩のその体の中を花さんの血が流れていることに自信と誇りを持っていた先輩。
なのにハンカチに滲むその血に花さんの血は入っていない。
誰もが自分が母親の子でないと知ったら自分の存在意義がわからなくなるんじゃないかと思う。
もし私だったら…。
ここにいていいのかな?このままでいいのかな?と迷ってしまうだろう。
「前にもさ、あったんだ。俺がいない方がいいんじゃないかって。小学校高学年の時くらいかな?生まれて来なきゃ良かったって思って…。でも死ぬのが怖くてそのままズルズル生きてて…」
どこかで何かが間違っていたらそんな未来もあったのかと思うと背筋がゾッとした。
「嫌だぁ…先輩死んじゃ私嫌だぁ泣」
「死なないって笑。そんなのユーリが許してくれないよ笑」
一度先輩を絶望に落っことし、今は先輩の死なない理由になっているユーリさん。
先輩の生きる哲学や倫理に多大に影響しているユーリさん。
もしも秋先輩がユーリさんと出会わなければ今頃先輩はどうなっていただろう?
今の先輩がここでこうしているのは少なからずユーリさんがいたからなんだと思う。
「けどさ、正直しんどい。でもこんなこと他の人には言えないでしょ?ほら、俺の周りは花さん信者多いし。軽々しく口にして花さんが悪く思われるのだけは絶対に嫌だったんだ」
「先輩は花さんのこと許せたんですか?」
ハンカチを外し血が止まったことを確認するとスルスルと袖を下ろしジャケットに腕を通した。
「ううん。だけどそうしなきゃいけなかった理由があって、その理由は花さんのためじゃなく俺のためだっていうのもわかってる。でもそれとこれとは別の話で、やっぱりまだちょっと…複雑」
先輩は今ほとんど花さんと口をきいていないしなるべく顔を合わせないようにしているらしい。
「許すとわかってて、今それが出来ないだけなのに無駄に衝突して拗らすなんてバカげてるでしょ」
先輩の目はこの部屋のどこも見ていなかった。
見ているのは花さん?
それとも、未来の自分?
「さっきリンちゃんにどうしたんですか?って聞かれてちょっと驚いた。ここ最近は上手くやれてたと思ってたから。やっぱ俺には俳優は無理だな笑」
無理して笑わなくてもいいんですよ?
何があっても先輩に対してのイメージは変わりませんから、私の前では自由にしていて下さい。
「あまりにもショックがデカくて今日まで大事なことを忘れていたよ」
「何を思い出したんですか?」
「俺には慰めてくれる後輩がいるってこと」
「どんなことでも許してくれる素朴な顔だけど可愛い後輩、も追加して下さい笑」
「そうそう、そうだったね。俺にはリンちゃんがいた」
はい笑。
「1人じゃないのはわかってる。でもみんながいるから二の足を踏むことだってある。そんな時リンちゃんの存在はデカイよ。間違った方法を選んでしまうかもしれないって時に、肯定してくれる人がいるってのはとんでもなく心強い。だから俺はその一歩を躊躇しながらも踏み出せる」
間違った方法は賛成できません。
だけど先輩が生きているなら私はどんなことでも肯定します。
味方でいます。
それだけはレンちゃんが先輩の敵に回っても貫く思いがあります。
「けど俺は弱いから…強くあろうとする礎が壊れてしまったから挫ける時が必ず来る。だから忘れてしまわないように体に残しておきたかったんだ。誰かのつけた傷が、俺が誰かから肯定されてるって証。それを見るたびに俺はリンちゃんのこと思い出すよ。痛かったこと、血が出たこと、でもこの傷を付けたのが俺の肯定者だってこと」
先輩のそのやり方は私にはないものだ。
自傷行為と同じだと思う。
だけど理解はできなくても決して批判も反対もしない。
先輩の全てを私は肯定する。
「傷、一生残っちゃうかもしれませんよ?誰かに見られて誤解されちゃうかも?」
「変態だからって言えば、みんな納得してくれるさ」
「先輩はその傷のこと、後悔しません?」
「後悔するときは、リンちゃんがこの傷を付けたこと後悔するときかな?俺のわがままで後悔させちゃうのはちょっと、ね」
「じゃあ私しません。その代わり今度私にも穴開けてください」
「ど…どこのかな?///」
「耳…ピアスしたいんです。私の体を初めて貫通させる人は先輩がいいです」
「響きが…エロいね笑」
わざとです笑。
そういうの好きかと思って。
「でもちょっと怖いから今すぐってのはちょっと…。高校生になってからでもいいですか?」
「うん、いいよ。そうだ、写真を撮ろう」
そういうと先輩はブレザーの内ポケットから白いスマートフォンを取り出して私に向けた。
「素朴ながらも可愛く撮ってくださいね」
「大丈夫だよ。素が可愛いから」
いやんもぉ///
カシュー
と今の私を映像として記録する機械音。
私の人生のピークはあの文化祭の夜か、それとも今のどちらかだろうな。
「私も撮りたいですっ!先輩、一緒に撮りましょう!」
「うん」
学校には内緒で持ってきた白色のiPhone。
胸ポケットに入れといて良かったぁぁ!
「じゃあ先輩、もうちょっとこっち」
私の腕が短いから2人で映るためには体がぶつかるほど急接近しないといけない。
ナイスだよ私の短腕!
未だかつてこの腕の短さに喜びで打ち震えたことがあっただろうか。
「どうせなら」
と先輩の顔が私の耳のそばまで近付いた。
画面に映る私の顔が茹でたタコみたいに真っ赤になってる。
「い…イキますね…」
きゃ〜声裏返る〜。
「リンちゃん」
「は、はい///」
「俺を………愛してくれてありがとう」
え?
カシュー
あっ!押しちゃったあ!
撮れた写真の私は奇跡的に実物より1割ほど増しで写っていた。
「せ、先輩///いま…なんて///」
「俺を愛してくれてありがとう。愛してるぜっていうより、リンちゃんには特別な言葉をあげたかったんだ」
花にも似た胸の炎が内を焦がすように一瞬だけ大きく燃えた。
けどすぐまた元の小さな揺らめきに変わったのは、何か凄く怖い予感がしたからだ。
「先輩…なんで今それ…。どこか行っちゃうんですか?卒業式出ますよねぇ!どこにも行かないですよねぇ!」
予感を打ち消したいという願いは小さな悲鳴となって部屋に響く。
嫌だ…そんなの嫌だ。
会えなくなるのは嫌です!
その理由が卒業だけならいいけど、今の私のこの予感はもっと遠くてもっと長い時間会えないような…そんな予感なんです。
「参ったな、本当に俳優には向いてないや笑」
先輩の苦笑いに私は悪い予感が当たったことを悟る。
じわっと目に熱いものがこみ上げてきて、喉も蓋をしたように重たくなった。
「誰にも言っちゃだめだからね?」
そう言うと先輩はそっと私の頭を優しく撫でてくれた。
今まで何度か撫でてくれてその度に嬉しい気持ちで満たされたけど、この時の私は怖さと悲しさで嬉しさも喜びも感じることが出来なかった。
先輩がいなくなる。
冗談でも大げさでもなく、私はどうやって生きていけばいいのかわからなくなった。
追記
「七尾先輩、卒業式には出るつもりはなかったんだろうけど『愛してるぜ』ってのだけは伝えたかったんだろうね」
「みんなのところ回ってたんだもんね。私とツヨシにも言ってくれて、あの時は2人してホントびっくりしたなぁ」
「私も。卒業式にみんなの前で、っていうならリン達のついでなんだなってわかるけどわざわざ私のところまで来てくれたんだよね」
「サチは部活中だっけ?」
「そう。休憩時間まで廊下で待っててくれて」
「何話したの?」
「それは…ナイショ笑。だけどすごく楽になった」
「レンのことか笑」
「それもあるけど…私のその後の生き方とか、未来の話。それまでの価値観を変えてくれた」
「なになに?知りたい知りたい」
「ハッピーなあんたには無縁の話よ。例えば…自分の幸せは自分を愛するところから始まるんだよ、とか」
「さすが七尾先輩。奥が深い」
「ね笑。きっとアレだよね、あの『愛してるぜ』も『あなたに祝福を』とかそういう意味があるんじゃないかな?」
「それだけじゃないよ」
「「リン!いたの?」」
「いたよ、初めから。なんなら一番最初に来てたの私だけど?」
「それだけじゃないってどういう意味?」
「あなたに祝福をって意味ももちろんあると思うけど、それは多分オマケみたいなもんだと思う」
「「オマケ?」」
「うん。もっと単純に秋先輩は自分の事を愛して欲しかったんだと思う。愛されたいならあの人はまず自分から愛すから、だからみんなに『愛してるぜ』って言ったんだと思う」
「愛して欲しいからまず愛する…か。先輩らしいや笑」
「七尾先輩を愛してたリンは『愛してるぜ』って言われた時超嬉しかったでしょ〜?笑」
「私言われてないよ」
「「え?」」
「嘘でしょ?あんた言われてないの!?」
「1番のお気に入りだったはずなのに…」
「私は『愛してる』よりもっと嬉しい言葉もらったから」
「「愛してるよりもっと上って何っ!?」」
「それが何かは教えないけど、要約すると………生きてて欲しいってことかな?」
「「わからん!」」




