第4話 閑話一:金満の仮面と、見えない崩壊
義春を追い出した社長のお話です。
祖母くにと義春がスムーズに同居を開始した、ある意味恩人……じゃあないですね。
先代、……親父が急死して三年までは、工場経営は実に上手くいっているように見えていた。
親父は昔からの職人気質で、手のつけられない頑固者だった。
その上、社員が残業をすれば自分まで工場に残って手伝い、社員が休日出勤をすればわざわざ顔を出して雑用をこなすような、とんでもないお人好しだったのだ。
『ウチは町工場で部品を売ってなんぼだが、勘違いをするなよ。ウチの一番の財産は機械でもなきゃ、土地や建物でもない。……人なんだぞ』
親父のそんな口癖は、耳にタコができるほど聞かされた。
『仕事に目処がついたから、皆で飲みに行くぞ』
『今年の慰安旅行は温泉だな』
『おい!ウチで麻雀をやるから、晩飯を多めに作っておけ』
俺が学生の頃から、親父が自宅で母親に話すことと言えば、将来の経営戦略や効率化などではなく、そんな下らない雑談ばかりだった。
親父が若くして独立して工場を立ち上げたのが50年前。その間にこの国は少子高齢化の波に飲み込まれ、地方のインフラが次々と崩壊し、主要道路以外が砂利道と化していった。それでも親父の脳内はまるで50年前の『おとぎ話』の時代で止まっているかのようだった。
国が「国家基盤維持法」を制定し、地方の人間を他国の侵略や、無人化の波を防ぐ「人間の盾」として切り捨てていく中でも、親父は「地域社会の繋がりがどうこう」と的外れな綺麗事を並べ立てていたのだ。
それでも会社は細々と続いていたが、親父が作業員の更衣室や休憩所を広げたいと言って新社屋を建て、高卒の若い社員が提案した高価な機械を買い与えた時、俺は心底うんざりした。
少しずつ 社員が増え、親父と俺の役員報酬も多少は上がったが、俺にとっては到底納得のいく額ではなかった。高卒の馬鹿どもが欲しがる工具や設備に金をかけるくらいなら、俺の給料と資産を跳ね上げろと叫びたいのを、俺は何とか我慢していたのだ。
『高卒の社長と、無名大学出身で外でろくに修行もしていない専務が揃って、大企業の課長様並みの収入があるんだ。会社の皆には感謝しねぇとな』
生前の親父がそう言った時、俺は「そうだな」と調子を合わせて答えた。だが本音は全く違った。
(ふざけるな。俺は専務だぞ? 高卒の若造や、くたばり損ないの年寄りとは、天と地ほどの差があって当然なんだ。この国が『帝都』と『天都』の富裕層に支配される極点社会であるように、企業もまたトップに利益を集中させてこそ意味があるんだ)
口に出せば親父に殴られるのは分かっていたから言わなかっただけだ。
そして、その親父が突然死んだ。死因は心臓発作だった。
葬式には信じられないほどの人数がやってきた。親父の友人だという田舎の連中が何人もやってきて、『葬式の内容にこそ、その人間の人生の価値が現れる』などと偉そうに御託を並べて帰っていった。
だが、ドタバタしたのはたったの三日だけだ。実にあっけないものだった。
俺の――いや、会社の行く手を阻んでいた最大の障害が一気に取り除かれた瞬間だった。
◇◆
俺が社長になって数ヶ月。ようやく周囲も落ち着いてきたので、俺はいよいよ会社に蔓延る『無駄の削減』に着手した。
まずは、休日出勤手当を払っている人間になぜ昼飯まで奢らなければならないのか。親父の生前から不満だったこの慣習を即座に取りやめた。社員から文句は出なかった。当然だ。金をもらって働いているのだからな。
次に、無駄な食事会も一切廃止した。社内の人間に飯を食わせたところで、1円の金にもなりはしない。貧乏くさい社員と安い街中華を突っつくより、準都市圏の取引先や『天都』のエリートたちと高級料亭で美味いものを食うほうが、遥かに仕事につながるのだ。
そして無駄遣いの最たるもの、『慰安旅行』も廃止した。
例年、金曜日と土曜日を使って近場の温泉に行くのが親父の定番だったが、せっかくの稼働日に、そんな無駄な時間を取れるか。積立金を返金すると言ったら、文句は出なかった。当然だろう、現金が戻るのだから。
結果は歴然だった。売上は親父の頃と変わらないが、支出が劇的に減って、しっかりと利益が出た。
すると、さらに新たな『無駄』が見えてきた。人件費だ。
高卒の若造や六十過ぎの老人に、なぜこんなに金を渡していたんだ親父は?
今更固定給を下げるのは税務署や労基がうるさいので、賞与をカットすることを思いついた。「業績不振」とでも言っておけば文句は出ない。
せっかく人件費を削減しても、会社の利益が多すぎれば税金で持っていかれる。それこそバカバカしい。
そこで期首に自分の役員報酬を大幅に増額した。会社継承時に専務にした嫁の役員報酬も同じく増額だ。さらに会社名義で高級車を2台、リース契約した。平日の俺の移動も嫁の買い物も、これで賄う。
社長といえば会社の顔だ。その顔がボロい営業車に乗っているなんて、それこそ会社の信用問題にかかわるからな。
休日に乗る車として、個人名義で高級SUVも購入した。私用と社用をはっきり分ければ、税務署からの指摘も避けられる。
そして、俺の念願だった家を建てた。
先代が建てた掘っ立て小屋みたいな木造の家じゃない。鉄筋鉄骨の白亜の大豪邸だ。
会社名義の役員用の社宅扱いだが、傍から見れば俺の家だ。建築費を会社の費用で落とすことで利益を圧縮し、計算通り社員の賞与を削減することができた。俺の経営手腕は完璧だった。
◇◆
会社を継いでから、3年が経とうとした頃から歯車が狂い始めた。
(おかしいな、売り上げは変わっていないのに利益がかなり目減りしている……このままじゃ賞与を減らす言い訳の「業績不振」じゃなくて本当に赤字になりかねない)
決算期の売り上げや支出の計算のため、朝から一日中社長室にこもっていると、下の現場から不穏な怒号や金属音が聞こえてきた。
「ったく、この忙しい時になんだ」
最近は、この手の社員同士のいざこざや、機械からの異音をよく耳にする。
俺は大きく溜め息をついてから、理由を聞きに現場に降りる。
作業員どもは俺を見た途端、サッと目を逸らして口を噤む。
結局、異音の原因も社員のいさかいの理由も分からずじまいだ。
数日後、会計士との決算の打ち合わせが終わったので朝礼で話をした。
「客先からのコストダウンの要求や、取引先の材料費アップなどもあり、業績不振で今回の賞与は最低限しか出せない。今は大事な時期だから皆理解してくれ」
と社員を集めて説明した時も、現場の空気は異様に冷ややかだった。
「決算時に利益が出れば還元する」
という言葉でなんとかその場を収めたが、何かがおかしかった。
この頃から今までに無かったようなイージーミスや納期の遅延が発生するようになった。さらに不快なことが続く。
不良対策と納期管理を任せていた最古参のベテラン作業員に雇用契約延長の話を持ちかけたところ、あっさりと断られた。その際、そいつはフンと鼻を鳴らし、嫌味っぽくこう言ってきたのだ。
『坊っちゃん。……立派なお家を建てられましたな』
それがどうした、お前に関係あるのかと言い返したかったが、大人しく口を噤んでやった。旧工場跡地に建てた豪邸の噂はいつの間にか現場に漏れていたらしい。
数ヶ月後、その老いぼれは会社を去った。所詮は老いぼれだ大した仕事量などこなしてはいまい――ところが、その老いぼれが会社を去ってからというもの、会社の状況は加速度的に悪化した。
ここ数年で発生しだした寸法不良や納期遅延が、老いぼれが去った次の月から一気に頻発し、納期遅れや取引先への対応漏れが山積みになったのだ。対策書の作成を現場に厳命しても、社員どもの反応は鈍く、改善される気配はない。
(……あの大した仕事量もこなしていなかった老いぼれ一人が抜けただけで、なぜこんなことになるんだ!?)
焦りと戸惑いを隠せない俺に、現場の中堅作業員が死んだような冷たい目で言葉を漏らした。
「……社長が亡くなってからは、梶谷さんが、見えないところで現場のフォローを全部やっていたんですよ。備品や工具の手配、設計図面の不備の確認、納期の調整……全部です。……その辺のフォロー、今後は専務がやってくれませんかね?」
「なっ――!?」
俺をわざと「社長」ではなく皮肉を込めて「専務」呼んだのかと疑ったが、その中堅社員の目は完全に虚ろだった。男は俺の返事も待たずに背を向け、作業場へと消えていった。
(ふざけるな! 俺は社長だぞ! 現場の雑用なんてやるわけがないだろうが!……そうだ、アイツだ!)
俺は工場の片隅、薄暗い簡易的なパーテーションで仕切られた作業場へと早足で向かった。
中では一人の作業員が、黙々と樹脂の棒と板を弄っている。ウチの最年少の作業員の最上田義春だ。
本来、うちの工場では樹脂など扱わない。客先がうちの金属部品に合わせた特殊樹脂の溶接・加工業者を探していたのを、親父が安請け合いしたのが始まりだ。おかげでこの若造は、一日中ここで樹脂ばかり触っている。
親父は生前、『アイツの樹脂溶接の腕はピカイチだ。ウチの若手のエースだ』などと依怙贔屓をしていたが、樹脂加工の利益率などたかが知れている。そんなおままごとをする暇があったら、金属の一枚でも削れと俺は思っていた。
親父が死んだ時、取引先に樹脂加工をやめたいと打診したのだが、『それだけは困る。何とか継続してほしい』と泣きつかれ、不承不承で続けさせてやっているのが実情だ。
(まあいい。こんな穀潰しでも、いないよりはマシだ。土曜日……いや、こいつは独り身のはずだ。日曜日も休日出勤させて、遅れている金属ラインの挽回生産をやらせよう!)
無口で気が弱そうな、真面目だけが取り柄の冴えない若造だ。社長である俺が強く命じれば、ビビッて二つ返事で従うに決まっている。
「最上田! お前、今週末の土日、休日出勤しろ! 納期が遅れてて取引先から突かれてるんだ!」
俺はパーテーションを押し開け、敢えて威圧的に言い放つ。
すると最上田は、案の定慌てて手に持っていたノギスを作業台に置き、戸惑ったような表情で俺に答えた。
「……すみません、社長。今週末は、どうしても外せない用事がありまして……出勤できません」
その言葉に一気に苛立ちが募る。
「はあ!? お前みたいな高卒のパッとしない社員が、何を偉そうに社長に楯突いてるんだ!この会社を辞めたら、お前みたいな奴なんて、行く宛もなく路頭に迷う事になるんだぞ! 馬鹿は馬鹿なりに大人しく俺の言うことを聞いてりゃいいんだよ!」
今まで一度だって俺の言うことに異を唱えたことなど無かった男の拒否に、俺は無性に腹が立った。
「申し訳ありません。金曜の朝から祖母の検査入院に付き添う予定で、土曜日はそのまま病院で付き添って、日曜日の朝に実家まで送り届けるため、どうしても難しいんです」
俺は耳を疑った。この若造が、会社の、俺の命令に口答えをしたのだ。無性に腹が立った。
「そんな下らない個人的な用事で、会社の仕事をすっぽかす気か!? ババアの付き添いなんて他の誰かにやらせておけ! 大体がお前のような貧乏人が病院に連れてくなんて、分不相応だろう。近くの無免許の爺さんがやってる診療所にでも突っ込んでおけばいいんだよ!」
俺が胸倉を掴まんばかりに叫んだ、その瞬間だった。今まで大人しく謝罪の言葉を並べるだけだと思っていた最上田が、スッと静かに背筋を伸ばした。
そして、俺を正面から見据えてきたのだ。その瞳の奥に宿る、氷のように冷たく、射抜くような鋭い眼光――。
「……っ!?」
呑まれかけた俺は、思わず言葉を詰まらせ、一歩後ずさった。
「有給休暇は取得します。金曜と土曜は休みます。……境界ギリギリの寂れた街とはいえ、ここは準都市扱いで、地方じゃない。これは労働者に認められた権利ですから、社長であろうと止めることはできません」
「……」
「もし必要であれば、来週以降に休日出勤をさせていただきますが?」
静かだが、一切の不純物を削ぎ落としたような圧倒的な正論。自分の浅はかな暴言が完全に遮断されたことを悟り、俺の顔は屈辱で赤く染まった。
「ハッ! もういい! お前みたいな穀潰しに頼んだ俺が馬鹿だったよ! 休日出勤なんてしなくてもいい! お前のやってるその樹脂加工の仕事も、今後全部断ってやるからな! せいぜい自分の身の振り方でも考えておくんだな!」
まくし立てるように捨て台詞を吐き、パーテーションの外へ飛び出す。
ふと視線を感じて振り返ると、工場内の社員全員が手を止め、冷ややかにこちらを見つめていた。
「何をサボっているんだ! さっさと仕事に戻れ!」
俺が怒鳴り散らすと、社員どもは無言で視線を逸らし、作業へと戻っていった。
だが、その誰もが浮かべていた視線――それが単なる怒りや反発ではなく、崩壊していく会社と哀れな経営者を見る『無言の憐憫』であることに、俺は最後まで気づいていなかった。




