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【六十三話】紙コップが冷めてしまったので

 太陽が昇り始めたおかげで薄暗い空に少しずつ光が差し始め、部屋の窓から差し込む白い線が目に掛かり意識を覚醒させられた俺は、目を開くと目の前に未だにすやすやと気持ちよさそうに目を瞑っている桜が居て、そういえば温泉に来ていたな、なんて思った。


 むくりと体を起こして、他の三人はどうだろうと見渡すと桜同様三人とも深い眠りに付いているようだった。

 枕元に置いてある携帯の電源を付けて時刻を確認すると五時半ばだったので、俺は正直このまま二度寝としゃれこみたかったところだが、何となく眠気が覚めてしまったので一旦自販機にでも言って寝起きの一杯を頂くことにした。


 まだ寝ている皆を起こさないように気を付けてそろりそろりと出来るだけ音を消して廊下に出ると、廊下は中には空差し込む陽光でとても明るく今が五時とはとても思えなかった。


「あら、また会いましたね」


 多少の肌寒さに浴衣の裾を出来る限り伸ばしてちょこちょこと廊下を自販機に向かって歩いて行くと自販機があるところには先客の斎藤さんがしゃんとした様子で紙コップに注がれている飲み物を飲みながらそう声を掛けてきた。


「あーどうも」


 寝ぐせ一つ見当たらないまさしくいつも通りと言わんばかりの様子に一体この人は何時に起きたのか、なんて聞きたくなってしまうがその言葉を飲み込んだ俺は不愛想ともいえる返事を返した。


「眠そうですね?」

「まぁ、今さっき起きたので」


 斎藤さんは俺の不愛想な返事を気にした素振りは無く、昨日出会った時の様に薄っすらと笑みを浮かべてそう言った。


「いや私もそろそろ寝起きが悪くなってきまして、歳ですかね?」

「……斎藤さんはお若いですよ」


 斎藤さんが笑みを浮かべたまま、思っても居ないようなことを言った、明らかに斎藤さんは三十代に差し掛かろうとするぐらいの歳の女性で、歳をとっただなんて認めたらバチが当たる。


 それはさておき、斎藤さんは興味深げに俺の顔を覗き込んでおり、その目線がどことなく前世の会社のお偉いさんのような、仕事が出来る人特有の雰囲気を醸し出していて、少し気まずい。

 俺はその気まずさを振り払うように自販機のコーヒーのボタンを押した。


「何というか……硯さんって本当に十五歳ですか?」

「……そうですよ、親が馬鹿みたいに遅れて出生届を出しても居ない限りは」


 斎藤さんの言葉に少し動揺しながらも、そこら辺は神様が上手くやってくれているだろうから、確かに俺は十五歳なのだろう。

 いや、あの神様の事だ。俺は間抜けなコーギーのスタンプを思い出して不安になってきた。


「ほら、どうも名刺の受け取り方だったりが年相応に見えなくて」

「……まぁ、ちょっと機会がありまして」

「例えばどんな?」

「……まぁ」


「ま、いいです。一応雪原は私が長い事担当していたので、どうにも硯さんの事が気になってしまって」


 妙に食いついてくる斎藤さんに気圧されながら、上手い言い訳が思いつかずに口をもご付かせているとぱっと斎藤さんは手を広げてあっけらかんとした様子で言った。


「私みたいな凡人には雪原みたいな所謂天才の考えることは分かりませんから、ほら、ゲームで一度負けたところでその相手を好きになるのか、とか」

「それは、俺にも分かりません。俺だって急にセツナに迫られてびっくりしたんですから」

「……でもあんな美少女に迫られて嬉しいんでしょう?」

「それはまぁ」


 斎藤さんの言いたいことは大いによくわかるし、そこは俺も良く分かっていないところだ。

 据え膳食わぬはなんとやらな精神でセツナを受け入れたものの、この世界に来て思った青春をやり直そうと思ったとはいえ、余りに俺に都合のいい今の状況は鏡花さん然り少し気になるところではあった。


 とはいえそんな事を目の前の斎藤さんに伝えたところで、評判のいい脳外科か精神科を紹介されるのが関の山だ。


「あはは、正直で結構」

「あんまりからかわないでくださいよ……」


 そんな風に多少あの神様に疑念を積もらせていると、俺の言葉が妙にツボにはまったのか、斎藤さんはくつくつと体を揺らして笑いながら言った。

 そんな斎藤さんの様子が見た目以上に若々しく見えて、つい拗ねたように返事をしてしまった。


「それにしても、確か硯さんって一人奥さんを連れてきていましたよね?二人目を迎えられるほど、動画投稿で稼いでるんですか?」

「動画だけだったら、多分一般的なサラリーマンぐらいですよ、相方と折半ですし」


 三人目も居ますなんてわざわざ言いはしないが、二人目ということに関しては何も気にした様子の無い斎藤さんにワールドギャップを感じながらも先月振り込まれた金額を思い出しながらそう返す。


「へぇ、それで二人目迎えられるんですね?」

「一応それなりの貯蓄があるので」

「……なるほど?」


 十五歳が偉そうに貯蓄と言ったのが不思議だったのか斎藤さんは首を傾げて言った。

 まぁ自信満々にいう事ではないが神様が用意してくれた通帳には未だに使いきれないほどの金額があって、それに甘え切るのは本意ではないので、今回のARへの所属の話は割と渡りに船だったのだ。


 今みたいに上手い言い訳がなく、微妙な顔をされるぐらいなら、さっさとあれこれでこんなに稼いでるんですよとでも言えた方が話が早い。


 斎藤さんは俺の言葉は一旦気にしないことにしたのか、さらに口を開いた。


「親御さんとかは?何か言われたりはしないんですか」

「……俺、親居ないんですよ」

「あぁ、これは無神経なことを聞いてしまいました。……なるほどそれで貯蓄が」

「そんなかんじです」


 斎藤さんが腑に落ちた様子で頷くものだからそういう事にしておこう。


 にしても親心だろうか、斎藤さんに色々と問い詰められている間にもうすでにコーヒーは冷めてしまって、既に右手には温かみは残っていなかった。


「いろいろ聞いてしまってすいませんでした、また会社の方から所属に関して連絡が行くと思いますのでその時にまた」


 斎藤さんは俺が右手に視線を向けて少し、勿体無いような表情を見てかどうかは分からないが、そう言って紙コップをゴミ箱に放り込んで言った。


「分かりました、その時にまた」

「はい、残り一日楽しんでくださいね」


 ぐいぐいと問い詰められたせいか少し気疲れしてしまった。

 去っていく斎藤さんのピンと張った綺麗な背中を眺めながら俺は冷めたコーヒーに口を付けてぬるくなってしまったコーヒーの不味さに眉をしかめながら我慢して飲み干して紙コップをゴミ箱に放り込んだ。


 きっとARに所属することになれば、今までみたいに休日は好きな時間に起きてゲームをして、学校に行ってたまに桜といちゃついて、とはいかないだろうし、何となくこの温泉旅行が最後の何も気にせず遊べる時間だと思うと、これからが少し憂鬱になってしまった。


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