7. 結なくる a.k.a ラファエル=ヴィリー
──あの日の歓声は今でも覚えている。怒号の混じった純粋な賞賛。
「第六位。同率。マイク=トーカー。バレッタ=M=フィロメラ」
──ライトに照らされたステージの上で、オレは諦観にも似た納得を得た気分だった。
「第五位。同率。トレント=シュワルスキ。リュウ・シュエミン」
──司会の声も、観客の割れんばかりの拍手も、口々に称える声音も。
「第四位。アーネスト=ダヴィドJr」
──オレを、いいや。オレたちを包み込んで離さなかった。
「第三位。タダオミ・ミクリヤ」
──誰もが、華々しい未来が開かれると、信じて疑わなかった。
「第二位。ナクル・ムスビ」
──だからだろうか、この光景は二度と忘れることはないと思えた。
「第一位。エミリー=ジェイコブ=ダルタニャン」
──全てが始まり、終わった日のことを。
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鍵盤に触れた日のことは鮮明に身体へ刻み込まれている。
物心ついた時分に、赤い一オクターブしかない小さな玩具を弾いた。
子ども用の取るに足らないピアノだったが、オレにとってはスタインウェイやヤマハ、カワイ、ベヒシュタインよりも高価で何にも代えがたい名器だ。
初めての音はレのフラット(♭レ)だった。鍵盤が奏でる一音にオレの心は奪われた。
運が良かったのは、オレに絶対音感を初めてとする天賦の才が宿り、両親に一人息子の道楽につぎ込む経済的余力があったことだろう。
運が悪かったのは、オレは音楽を奏でるのに破天荒で加減を知らない激情家であったことだろうか。
親に連れられて受けたピアノのレッスンは退屈だった。童話や民謡、どこかで聞いた陳腐でありふれたメロディーをなぞるだけの単調な作業。
嫌気の差したオレはレッスン中に飛び出したこともあった。
感動が、忘れられなかったのだと思う。指に残る初めての感触を言葉にしたくて、しかして四歳のガキに形容しがたい情動を表せるだけの語彙力はなかった。
だから、オレは音楽で伝えた。
家の近くにあった家電量販店。片隅に放置された売り物の年期の入った電子ピアノ。親を強引に連れて、オレは思いのままに打鍵を押さえた。
貯め込んだ感情と激情を、全て叩き込んだ。あの時ばかりは、抑圧してきた本能と理性が爆発、暴発したのだと思う。一心不乱に叩き続けて、時間を忘れて没頭した。
言葉にならないナニカを親へ伝えようとした目論見は、好きに音楽を奏でられる歓喜に塵へと消えた。
気付いた時には、弾き終えた頃には。万雷の拍手と、狂気にも似た達成感が残った。
次の日から、親は再びレッスンを受けさせた。プロを養成する教室で、高校生や大人に混じって高度なレッスンを。
愉しかった。やっと、オレの想いを受け取ってくれたのかと。
けれど、オレは貪欲で傲慢で、強欲だった。
満足できなかったんだ。砂漠に一滴の水を垂らそうと乾燥した大地が蘇る訳ではない。
音楽に飢えたオレは一日では足りなかった。音の濁流に身を委ねて、揉みくちゃにされて溺れたかった。
朝起きて先ずはピアノを弾く。他に何も要らなかったオレを見かねた親が強引に椅子から引き剥して昼食を食べさせて、オレはもう一度鍵盤へと向かう。同じ光景が夜にも見られて、誘蛾灯に引き寄せられるようにピアノの前へと戻った。そして、気を失うまで弾き続ける。
文字通り、肉体と精神の限界が来るまで。
そして、ピアノの前で目覚めたオレは、そのまま最後の記憶通りにピアノを弾く。
狂人だ。異常者だ。
生活の全てをピアノへ捧げた者はごまんといる。しかし、正存の全てをピアノに支配された者はそうそう見当たらない。
その頃から、オレは数あるコンクールで優勝を始めた。
メディアが騒ぐ程じゃない。何せ、出場したコンクールの数は嵩が知れているから。
そんなにピアノが好きで、音楽が好きで、両親も応援してくれるなら。何故、出場しなかったんだと疑問に思うだろう。
簡単な話だ。オレは課題曲を極度に嫌悪していたんだ。
どうして、オレが他人の趣味嗜好に縛られた選曲をしなければならないのか? と。今思えば幼稚なことこの上ない。
如何に音楽が自由だろうと、ショービジネスの枠組みからは逃げられない。
それを知るのも、少し先の話になる。
オレを語るには避けられない話をしよう。
どこかで聞いたこと、小耳に挟んだこともあるんじゃないか? ショパン国際コンクール、通称ショパン・コンクール。
確か、十六歳だったか。変わらずピアノを弾き続けていたオレは、気まぐれで出場したコンクールで初めての準優勝を取った。
正直なところ、コンクール自体、親への恩返しという側面もあった。如何に音楽至上主義者だろうと、高校一年生のオレは世界を知っていた。だから、せめて両親へ心配をかけないように、学校の成績も維持してコンクールでも大きいもので年に三度か四度優勝を掻っ攫った。
ただの経過報告。順位に拘泥したことはない。
それでいて、人生初の黒星が付いたことに衝撃を受けた……訳でもない。
オレを下して優勝した男。彼はオレと同じく十六歳だった。
名を御厨惟臣。高校一年生。三年前に大規模な火災に遭い、右脚を失い義足として杖を手放せない人。顔の右半分に負った火傷を隠す仮面を付けて、生まれ持った色盲のために赤い眼鏡をかけていた。
口調は穏やかで、凪か枯山水のような温厚さを持ちながら、樹齢千年の大木を彷彿とさせる威風堂々さを感じさせた。
不思議な人だ。
けれど、オレが受けた衝撃は外見や内面ではない。彼の、音だった。
ピアノであれ程に逼迫した音が出せるのかと驚き、身を焦がすような切迫さの中に胸を刺す感嘆と悲哀が込められていた。
初めて聴く類いの音で、彼の演奏の後はコンクールだというのにスタンディングオベーションしてしまった。
そこから彼とセッションを繰り返すうちに、ショパン・コンクールの話を聞いた。
惟臣は出場すると言った。審査や予選の倍率は桁違いだというのに、ファイナリストに名を連ねる前提で話を進めていた。
オレは、彼の視ている景色を、同じ舞台で臨みたいと思えた。
今まで慢性的に、義務感から出場していたコンクールへと。明確な目的と共に赴いたのだ。
ショパン国際コンクール。
予選経過だけで快挙とされる世界的に有名なプロへの登竜門だ。ここで優秀な成績を収めるとピアニストとしてのキャリアに拍が付き、世界を股にかけるピアニストになれる。
だから、出場するコンテスタントの数や技量も世界レベルとなる。
何故、ショパンで世界一かと疑問に思ったか? 理由は案外安直だ。無論、ベートーヴェンやモーツァルト、リストといった数多の英雄を下に置いている訳じゃない。単純に、ショパンは曲数が多く、全ての難易度が高く、その上で表現力を問うからだ。
その世代を代表するピアニストたちの中で、最も技量が優れていて、表現力にも豊かな最高のピアニストを決定する。
だから、必然的に世界一の名を冠することとなる。とはいえ、ショパン・コンクールで優勝したからといってプロへの道が確約された訳でもない。実力と、気運。それら全てを持ち合わせた者は、優勝どころか、出場せずとも必ず頭角を現すものだ。
話が逸れたな。
結局、一次予選、二次予選、三次予選とポーランドで行われた予選の全てをオレと惟臣は通過した。
厳しい戦いだったかって? あまり覚えてはいないな。オレは普段通りに、狂ったように弾いただけだからな。惟臣は……もしかすると、コンクールの意味を考えていたのかもしれないが。
オレにしてみれば、世界中のピアニストの演奏が聴けると喜び勇んだものだ。
ファイナリストに進んだ八人は今でも覚えている。最早、両親の顔すら曖昧で、声や癖、仕草だって思い出せないオレだが、あの八人のピアニズムだけは忘れられない。
イングランド出身のマイクは非常に繊細なピアニズムを持っていた。オレと並ぶ長身にも関わらず、見た目とは裏腹に気弱な性格だった。だから、彼の奏でるノクターンは自然と胸に染みた。
バレッタはアメリカの農村出身だった。見渡す限り黄金の麦畑の中で磨いた彼女のピアニズムは底なしの陽気さを誇り、それがどうしてショパンと競合せずに合致していた。今思い出しても奇妙な感覚だ。
ロシアと聞くと凝り固まった伝統主義と想像するだろう? だが、トレントは違った。彼のピアニズムは誰よりもショパンを投影していた。彼の表現力はレベルが違ったな。ポーランドのショパンを至上とする審査員には響いただろう。
雪美は小さかった。身長は百五十あったか分からない。けれど、ファイナリストの誰よりも大きく聴く者を圧倒した。使っているピアノが本当にオレたちと同じか疑いたくなる程に。正しく、小さな巨人だ。
ポーランドのショパンを継承した者は誰か、と問われるとオレはアーネストだと答える。トレントもまたショパンを寸分違わない解釈していたが、アーネストはショパンそのものだった。ポーランド出身の自負もあるだろうが、オレはステージに祖国を憂いた英雄の姿を確かに見た。
タダオミは言うに及ばずだな。八つ裂きにされるような緊張感の中に、羊水で揺蕩うような安心感があった。本来ならば混在することのない二つの感情が当然のように合致しているのだから、審査員と聴衆を例外なく虜にした。
そして、エミリーだ。彼女は、そうだな…………とにかく、圧倒的だったんだ。表現力、技巧、技術、人格、そして愛情。何が、どうして、あの演奏を生むのか分からなかった。一次予選で彼女の演奏を聞いた時点で理解した。彼女には、どう足搔いても勝てないと。オレだけじゃない。普段なら決して揺るがない自信を持っていた惟臣に唯一渋面を作らせたんだ。
格が違うと思ったな。
結果が出て、ずっと一人で殻に閉じこもっていた愚かしさに気づいた。
何が審査員に刺さったか分からないが、オレは第二位の栄冠に選ばれた。上にはエミリーがいたが、まあ。彼女は別次元の人間、そもそも同じ人間かも分からないから置いておこう。
正直な話、オレと惟臣、そして第四位のアーネストに差はなかったと思う。同率二位でもいい。というか、エミリーかそれ以外かで分けてくれてもいい。
本題は結果じゃない。
オレは初めて音楽の多様さに気が付いた。真の意味でだ。奏者によって音楽の質が変わるのは知っていた。
だが、ようやく。身に染みて理解できたのだと思う。
惟臣は日本に戻り学生をしながらコンサートを回ったが、オレは帰らなかった。イギリス、ヨーロッパ、アメリカ、中国、ロシア。ファイナリストを頼り世界中のステージに立った。同時に、それぞれの国々の音楽を学んだ。全てを吸収したとっても過言ではない。
重厚で、陽気で、健気で、圧倒的で、暴力的。あらゆる音楽を突き詰めて。
最終的に、オレはジャズピアニストの道を選んだ。
オレという人間のピアニズムを惜しみなく曝け出せる場を、見つけたんだ。
クラシックから身を引て、あらゆる方向から批判を受けた。中でも両親からは必死に止められたな。
だが、オレは止まらなかった。止まれなかった。二人には今までの費用を全額返金した。それだけの、コンサートをこなしたからな。
だから、憂いもなかった。
やっと、オレはオレだけの音が奏でられるのだと。
ショパン・コンクール第二位の看板はジャズの世界でも通用した。サックスプレイヤー、トランペット、ドラム、ベース、様々な最高峰と音を合わせて。
これが永劫続くと思っていた。
そして、目を醒ますと。
この世界にいた。




