18-2.味覚
買い込んだ昼食を持ち、街で一番の賑わいを見せる大通りを、城に向かっていく。
緩やかな傾斜の向こうに、少し青みがかった白い石で作られたメゼル城が見えた。ここに来てから毎日のように通っている道を途中で左に逸れる。
今度は湖に通じる、緩やかな下り道だ。右手は城を支える石垣、左手には小洒落た雑貨店や土産物が並ぶ。大通りほどでないにしても、それなりに人がいて、ゆったりと散歩したり、店頭に並んだ商品を手に取ったりしている。
(ここは裕福なんだろうな)
スポーツなどの娯楽が産業になるレベルではもちろんないけれど、人々には非日常を楽しむ心の余裕や、生活に直結しない贅沢品をあーだこーだ言いながら吟味して、購入する金銭的な余裕がある。機械化とまではいかなくても、分業化は進んでいるから、時間的な余裕もあるのだろう。
「わ」
カーブを曲がった瞬間、視界が開け、郁は思わず声をあげた。
冬空は青く澄み、高く上がった日の光が、余すところなく地上に降り注ぐ。空の色を映した湖は、冷たい風にさざめき、波が陽光に煌めいていて、目に眩しい。
湖の手前、遊歩道の脇には柳のような形の木が、冬風に赤色と銀色の葉を揺らし、キラキラ輝く。その道を奥へと進んでいけば、背の高い草が湖岸をそって生えていて、間にたくさんに水鳥たちが羽を休めているのが見えた。はるか向こうには黒いほどに深い森が見える。
「今日ははっきり見えるな、惑いの森」
「昔はあそこまで大きくなかったって。ここ十年位でイェリカ・ローダの数が増えて、それで人が近寄らなくなって、森も少しずつ大きくなっていった、北の方では見捨てられた村もかなりあるって、蔵書師のカチムさんが教えてくれた。去年はイェリカ・ローダの被害が特に多かったんだって。霧が増えて、それに乗ってイェリカ・ローダが人里にまで出てくるせいで、死者も出てるらしい」
「そのイェリカ・ローダを飼い馴らす、か……。正気の沙汰とは思えないな」
シャツェランから聞かされた話を思い出して呟いた江間は、「まあ、福地は“正気”と“狂気”の境が、人と違うやつだからな……」と顔を顰めた。
「……」
「ま、とりあえず忘れとこう」
あの晩、殺し合う羽目になったカマキリの化け物のようなイェリカ・ローダと、得体の知れないところの多い同級生を思い出して、郁は眉根を寄せる。
その頭に、「今日ぐらい、いいだろ」と江間の手が落ちた。
「行こう、宮部」
また勝手に手を取って、引いていく。
郁に向けられる江間の黒い瞳は、風に踊る髪の間で楽しげに輝き、目元は弧を描いている。
「……」
(江間は一体何が楽しいんだろう。というか、本当に楽しいのか……?)
以前彼が言っていた論外というのは、郁自身、至極納得できるものだと思っている。
愛想があるとは口が裂けても言えないし、可愛げもないし、それは江間だってしょっちゅう言っている。気の利いた会話ができる訳でもまったくない。
もっと人を頼れと江間はよく文句を言うけど、郁は大抵のことを自分でできる。必要性を感じないのに、人の手を煩わせるのは申し訳ない気がするし、何よりめんどくさい。
見た目にしたって、美人なんて言葉とはもちろん無縁。高すぎると身長をあげつらう人もいっぱいいる。
「重かったら持つぞ、そっちも」
そんな郁に声をかけて、口元を綻ばせる彼は、やっぱりお人好しだし、何よりとことん変わっている。
けれど――自分を見て笑ってくれる人がこの世にいるというのは、とてつもなく幸せなことなのだ、と思い出させてくれた。
「江間って変人って言われたこと、ない?」
「……せっかくの親切に、そんな返しをしてくるお前こそ、大概だ」
半眼で睨んできた江間に小さく笑うと、郁は握られたままの手を握り返した。
これぐらいなら、きっと許されるだろう。
木でできた遊歩道には所々小さな橋が架かっていて、その下に湖に注ぐ小川の澄んだ水と水草、色とりどりの小さな魚たちが見えた。熱帯魚のようで可愛らしい。
日差しはあるが、湖面を渡ってくる風は冷気を含んでいて、湖畔の枝垂れた木から赤と銀の葉がくるくると輪をかきながら、舞い落ちていく。
同じ風に、先日リカルィデがくれた桜色のマフラーの先が揺れた。
「……」
横を見上げれば、メゼル城の本塔が高くそびえている。ふと、シャツェランは今日もあそこにいるのだろうか、と思った。
「どうした?」
「昔王弟が明年の期に街に降りたがってたな、と」
江間が「夢の中の話か」と微妙な顔をする。まあ、そうだろう、ひどく異常な話だ、と郁は苦笑を返した。
「だとすれば、警備のグルドザたちは大変だろうな」
「うん、江間も大概だけど、彼の護衛のグルドザこそ、悲惨極まりないと思う。オルゲィもだ。あの傲慢な男の側近というだけで、彼への尊敬の念が増す」
嫌そうな顔をして塔に目をやれば、窓辺に人影が見えた気がして、郁は忌まわしいものを見たような心地で首を左右に振った。
「そ、こまで悪い奴でもないよーな気が……」
「そう?」
本気でお人好しだ、と郁は、顔を引きつらせる江間を呆れと共に見遣った。
≪私もまた約束が欲しい≫
(“また”……? 何か約束をしたことがあった……?)
彼の言葉が呼び水になったのかもしれない。いつかの霧の日の、どこか様子のおかしかったシャツェランを思い出し、郁は片眉を顰めながら、もう一度塔を見上げた。
同じように湖岸を散歩する人たちとすれ違いながら、二人は半トケル、向こうの世界の単位的に一キロほど先にあるという公園を目指した。
親に手を繋がられた一歳ぐらいの男の子の真っ赤な瞳に、じぃっと凝視されて、江間はにこりと笑う。行き違った後、振り返れば、その子もこっちを見ていて、手を振ってきた。江間はそれに笑い、手を振り返した。
「この辺でいいか」
頷いて、郁は肩掛けに入れていた布を取り出し、芝に似た草の上に敷いた。
そこに江間が座り、バスケットによく似た素材と造りのバッグから、屋台で買った様々な料理を取り出し、並べる。
美味しそうなもの、怪しい見た目のもの、明らかにおかしい匂いを放っているもの――感動したり、呻いたり、驚いたり、後悔したりしながら、二人で次々に分け合っていく。
「なあ、これ、豆だよな? 味に癖がないし、触感も大豆に似てる」
「あ、うちの祖父、大豆大好きだった。ディケセルにも同じようなのがあったと言っていたから、ひょっとしてそれかも」
「なら、窒素固定もあるかな。その辺は後でセゼンジュと話すとして……宮部、今、最も気にかけるべきはそこじゃない――醤油だ。豆腐もだけど醤油ができる。つまり竜田揚げが完成する!」
「じゃあ、リバルから帰ったら、ヒュリェルかサハリーダさんに知恵を借りて、色々試してみる?」
なるほど、江間は竜田揚げがよほど好きらしい。思わず笑った郁に、彼は嬉しそうに同意を返し、次の料理を手に取った。
「こっちは、出汁の味がする」
海岸地方から来たという屋台で買った、大きな葉に包まれたシガと魚の蒸し物を口にした江間が、それを匙に乗せ、郁の顔の前に差し出してきた。いわゆる「あーん」という構図に固まるが、匙の向こうに見える江間は平静そのもの。
「……」
戸惑う自分が馬鹿に思えるのは、これで何度目だろうと、郁は半ば自棄気味に、江間の匙を口に入れた。
江間の言う通り、日本で馴染んだ風味が口の中に広がった。後で何で出汁を取ったか、聞きに行ってみよう、お味噌汁や茶碗蒸しとかもできるかも、と逃避気味に考える。
「そっちもくれ」
「……」
郁の手元にあるのは、ツル草のような素材で簡単に編まれた籠に、大きな葉を入れた器に入った煮込み料理だ。それを両手で指し出せば、江間は人の悪い微笑を見せた。
「一口」
「……性悪」
(まただ、江間は全部わかっていて、私をからかっている――)
口をへの字に曲げた郁に、江間は声を立てて笑う。その口に、郁は料理を目いっぱい乗せた匙を突っ込んだ。
「っ、辛っ」
咳き込んだ江間に、郁は舌を出した。
目の前に並べた料理は、そうして次々に空になっていった。
「……これ、妙な感じしないか? なんか、後味が苦いというか。なんだろ」
それまで上機嫌で、料理を口に運んでいた江間が、不意に動きを止めた。
基本的に好き嫌いがなく、嫌いなものであっても、出されたものを食べ切る江間が、口にしていたスープの匙を下ろす。
差し出された器から匙でひとすくいすると、郁はその味を確かめた。
「美味しくはないけど……」
(苦い……?)
咀嚼して飲み込んだが、苦味もえぐ味も郁は感じない。
「そっか」と首を傾げ、再び匙を口に運ぼうとした江間の手を、郁は咄嗟に抑えた。昔、自分が作った黄色と緑の料理が脳裏に思い浮かぶ。
「そう感じる時は食べるな」
「……わかった」
目を微かに見張った彼が、大人しく料理を手放して、郁は息を吐き出した。




