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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第17章 明年の期 ―メゼル―
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17-6.側にいる(江間)

 気分を変えようと、江間は立ち上がり、ダイニングへの扉を開いた。扉の隙間からかすかな光が射しこんで来る。

 室内が思ったより明るいのは、表通りに面した窓から月明かりが注いでいるからだろう。

「……」

 そうだったらいいのに、と思った通りに、宮部がいた。月光を浴びて、窓辺に長椅子を寄せ、通りを眺めている。

 髪を短くしたせいで、白い顎と首筋が明かりの中で浮かび上がって見えて、そこに目が引き寄せられた。

 人目を引くタイプの美人じゃない。でも、きれいだ、と思ってしまう。もうやめようと何度も思ったのに、どうしようもなく惹かれてしまう。


≪賭けをしよう。勝った方がア……ミヤベを手にするというのはどうだ?≫

≪っ、断る。人を、宮部を、物扱いするな……っ≫

≪……同じ台詞だな――気に入らない≫

 一月ほど前、城の鍛錬場で王弟と手合わせした際、木刀と剣を互いに押し合いながら交わした会話を思い出して、江間は顔を歪めた。

 彼はおそらく宮部の正体に気付いている――それで? 手に入れたがっている?

 だが、彼が江間を呼び出すことはあっても、宮部を呼ぶことはない。一緒にいる時も、彼は宮部を見はするが、話しかけることは稀だ。

(何を考えている……?)

 今一番宮部の近くにいる男は自分だ。だが、気を許してもらえている訳じゃない。そんな状況で、昔一番近くにいたのはあいつがどう出てくるか、そしてそれに宮部がどう反応するのか。それを考えるたびに落ち着かなくなる。


「寝ないの」

「宮部こそ」

 不安と焦りのまま、足を踏み出せば、宮部がこちらを振り返った。

 そのまま近づいて、彼女のすぐ横に腰掛ける。この世界に来る直前くらいは、近づくだけで嫌そうな顔をされていたことを考えれば、格段の進歩だろう。

 窓辺の空気の冷たさに身が震えた。その直後、宮部は無表情に膝にかけていた毛布を江間へとずらしてくる。そして、無言のまま、また外、夜空に浮かぶ青の月へと視線を向けた。

「……」

 嬉しいような、気に入らないような微妙な気分になって、江間は毛布を取り払うと、背中側から腕を回し、宮部と自分を包んだ。

 目を丸くした後、眉根を寄せて自分を見てきた宮部に、にっと笑いを零せば、彼女はため息をついて、また外へと顔を向けた。


 肩が触れ合い、毛布で仕切られた空間の中がお互いの熱で温かくなっていく。

「大双月かあ。あれから九ヶ月経ったんだな。長いんだか、短いんだか」

 向かいの木造りの集合住宅の影から、姿をのぞかせた黄の月に思わずつぶやいた。不均質なガラス越しのその月は、微妙に曲がってはいるが、欠けているところがない。

「どうなるのかって思ってたけど、何とかなるもんだな」

「どうなるのかと思っていたようには、見えなかったけど」

 呆れたような顔をした後、宮部は「全部江間とリカルィデのおかげだと思ってる。ありがとう」と小さく微笑んだ。

「……別に」

(こいつのこういうところが苦手なんだ)

 普段信じられないくらい不愛想で無口なくせに、いきなり何のてらいもなく、ストレートに礼を口にする。

「むしろ宮部と、宮部の祖父さんたちのおかげだろ」

 ようやく探し当てた江間の返答に、だが、宮部は表情を削ぎ落とし、胸元に手をやった。

 昔から彼女が時々していた仕草――何か不安や迷いがある時に、多分無意識に触っている、そう気づいたのはいつだっただろう。

 あの頃はそこにあるのが、彼女が祖父母から手渡された守り袋だとは知らなかった。知ってからは、微笑ましさと苛立ちと嫉妬がないまぜになった気分を抱えてきたのだが……。

「何があった?」

「……あった、というか、神殿の大神官は、祖父の姉だし、オルゲィが会いに行けと言ったのが偶然なのかどうか、とか、何をどこまで話していいのか、とか」

 一瞬言葉を詰まらせただけで、宮部は平坦に返してきた。これはおそらく本当だ。だが、多分他に隠していることがある。

「オルゲィのおっさんも、油断できないからな。悪人ではないけど」

 江間は気付かないふりをして、そう返した。


「……外、賑やかだな」

「うん」

「去年の年越し、何してた?」

「寝てた。江間は何して遊んでた?」

「遊んでるの、前提かよ」

 宮部がくすっと笑った。囁くようなその音を耳にした瞬間、抱きしめようと腕が勝手に動く。が、今この時が消えるのが嫌で、咄嗟に抑え込んだ。

「……親友と二人で飲んでた。高校卒業からずっと海外にいる奴で、久々に帰ってきてたんだ」

≪片思い? 五年間? お前がか!≫

その時、そう言って大笑いしていた親友を思い出して、江間は苦笑を零す。

≪カズらしくないな。当たって砕けたら、組み立て直して、また当たれ。粉々になってどうしようもなくなったら、拾い集めてやる。お前がやってくれたみたいにな≫

 意外そうに、「いつも賑やかに騒いでると思ってた」と言う宮部に、「お前、俺のこと、やっぱ誤解してるだろ」と言い返して睨めば、彼女は肩を竦めた。


「葉月さんとか江間のご家族も、心配していらっしゃるだろうね」

「あー、そうかもな」

「かもじゃない……って、知ってるか。今年中には何とか戻る算段を付けたいな」

「……だな」

 そう答えた瞬間、江間の脳裏に、宮部の祖父が亡くなった後、彼女を訪ねて行った夜の光景が思い浮かんだ。あの時、宮部はあのだだっ広い家で一人、ぽつんと縁側に座っていた。一年前の今頃も宮部は一人だった。それだけじゃない、この世界から帰れたとしても――。

「なあ、宮部、宮部は本当に……」

 ――帰りたいと思っているのか?

 何気なく訊こうとして、その質問の持つ意味に気づき、江間は戦慄した。

(帰ったら? 俺は家族と、友人たちと、日常に戻る。でも宮部は……? あの妹がいる限り、彼女はおそらくそこには入ってこない。前のように迷惑をかけまいと、人を拒絶して、すべてをあきらめて一人で生きていくだろう。おそらく俺も遠ざけられる。また七十センチの向こう側に逆戻りだ。もし彼女の側に居続けられる存在があるとすれば、リカルィデぐらいだ……)

 大学でずっと言われていたように、宮部は人嫌いな訳じゃない。リカルィデに、ギャプフ村や避難民キャンプで知り合った人々、ヒュリェル、オルゲィ一家、内務処の同僚、鉄師たち、食料司や防病司の連中――愛想はないが、彼女はいつもちゃんと相手と向き合う。実は面倒見もいいし、わかりにくいけど、相手を思いやる。

 相手にもそれが伝わるんだろう。最初喧嘩腰だった奴らも、いつの間にか宮部に笑いかけるようになって、宮部も彼らに笑い返すようになっていった。

 ここは、俺の、宮部の世界じゃない。でも、こっちの方が、ひょっとしたら宮部は……。

「江間? どうした?」

 もし、宮部が帰りたくないのだとしたら? もし、もしそう言われたら――

 返事を返すことができず、すぐ目の前の、白さが目立つ顔を見つめた。不審が黒茶色の目に宿る。

「江間こそ何かあるんだろう」

「っ」

 宮部が眉間にしわを寄せて、まっすぐこっちを見つめてきた。三十センチしか離れていないのに、ひどく遠い。

「宮部、だってあるだろ……」

 苦し紛れに出した言葉に、宮部が目を見開いた。そして視線が外される。


 通りに笑い声が響いた。遠くからかすかに音楽も聞こえる。当然というべきか、馴染みのない調べで、ここが異国であることを強く感じさせる。

 沈黙の下りた室内の静けさが際立つ。


 前下がりの横髪のせいで、正面を向いてしまった宮部の表情が見えない。誰よりも近くにいるのに、いられるようになったのに、お互い隠し事だらけ――。

「……」

 江間はぐっと拳を握り締める。

 いつもそうだ。少し近づいたと思うたびに離れてしまう。けど……、と江間は息を吸い込んだ。

「言わないこと、言えないことはこの先もある。でも、側にいる。それだけは誓う」

≪言わないこと、嘘をつくことはこの先もある。でも、受けた恩は必ず返す。それだけは誓う≫

 彼女のいつかの台詞をまねてみれば、彼女は再び江間を見た。瞳に驚きが宿っているのを見て、江間はようやく笑みを顔に浮かべた。

「……わざと?」

「嘘をつくと言わないだけ、俺の方が善人だろ?」

「……本当の善人は、自分で自分を善人とは言わない」

 顔を顰める宮部に江間は笑いを零すと、腕を伸ばし、間にあった三十センチの距離をゼロにする。戸惑いはしても、大人しく胸に収まってくれたことで、江間は息を吐き出した。

 温かい熱がお互いの体に直接伝わってくる。宮部の耳に口づけ、江間はその顔を覗き込んだ。彼女が身を硬くしていることには、気付かないふりをする。

「なあ、明後日、ってもう明日か、どっか行きたいとこ、あるか?」

 切れ長の目を丸め、驚きを露にした宮部に、「デートしよう」という言葉がさらっと口をついて出た。江間自身動揺したが、宮部が「で……」と絶句し、闇の中でわかるほどに頬を染めたことで、緊張が解けた。

 笑い出しそうになるのを堪え、「どこでもいいぞ」と宮部の眉間に唇を落とすと、彼女はおろおろと視線を揺らした。

「え、あ、と……行きたい、ところ……」

「考えておいてくれ」

 明日、リカルィデをオルゲィのうちに送って行ったら、そのまま出かけよう、二人で。


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