17-5.年の瀬(江間)
今年は今日で最後という日。
「明年の二日、チシュアに泊まりにおいでって誘われたんだけど、行っていい?」
この世界での餅にあたる物だというレシピをヒュリェルからもらい、ふかしたシガをつぶしている江間は、リカルィデの声にすり鉢から顔をあげた。
「……」
横の宮部がイララ牛のミルクから作ったバターをそこに入れる。江間はシガとバターを緩く混ぜながら、宮部の表情をうかがった。
「もちろん。あ、でも、内務処長やサハリーダさんはご存知?」
(またあっさりと……)
二人きりになるということに、気付いていないのか、気にしていないのか、と江間は小さくため息を吐く。
「うん、許可貰ったって」
そう答えながら、リカルィデがちらりと江間を見た。こっちは完全に気付いてやっている。
「そう、楽しみだね。必要な物、買わなきゃ」
ひどく嬉しそうに微笑んだ宮部は、リカルィデ以外やはり目に入っていなさそうだ。
なんだか微妙に面白くなくて、八つ当たり気味に木製のボールの中の生地を練れば、解けたバターが江間の顔にピシャッとはねた。
「……」
眉を上げた宮部が、布でそれを拭いてくれる。
ごく近い距離と優しい手つき、普段通りの平静な顔に、ますます複雑な気分になって、江間は「……ありがとう」と呟いた後、口をへの字に曲げた。
「リカルィデ、こっちで布巾を抑えてくれる?」
宮部は江間から離れると、すりおろしたシガと、あく抜き目的のソナの葉を入れておいた水を再度かき混ぜ、鍋に張った布巾の上に空けた。
休みの今、前々から言っていたでん粉作りにようやく取り掛かっているのだ。
「今度は絞るから、そっち、ねじってくれる?」
「「デンプン」を取るんだっけ? シガをそのまま食べたほうが良くない?」
布巾の上に残った固形物をまとめ、含まれている水分を搾り取ろうと二人で力を合わせる。
「でん粉だけにすれば、保存も効くし、料理のバリエーションが増えるから。竜田揚げ、餡かけ、わらび餅……何より、何回も水を入れ替えていくことで、ソナのドクダミ臭を消せないかと」
「だーかーらー、なんでそんなにソナを嫌がるのさー」
「癖が強すぎるんだってば!」
二人そろってむくれながら、強く絞ろうと四苦八苦するが、布に対して中身が多いのか、うまくいかない。
「二回に分けようか……」
「その方が早いかも」
「代わる」
ディケセル版の餅の準備を終えて、江間は二人から布包みを受け取った。大きな手でシガの入る部分を鷲掴みにし、ねじっていけば、ジョーと音を立てて、白っぽい液体が鍋へと落ちていく。
「二人で頑張ったのに、エマ一人に負けた……なんかむかつく」
「足りないのは腕力、握力、手の大きさ、いや、全部……」
「……褒めろよ」
こういう時「すごい、さすが江間君、頼りになる」的な反応に慣れてきた江間は、二人の反応に笑いを零しつつ、最後まで絞り切った。
「あ、なんか白っぽいのが底に溜まってる」
リカルィデの声に、宮部が珍しく歓声を上げた。
「ねえ、江間、成功したら、江間は何が食べたい?」
「…………、あー、と、竜田揚げ?」
明るく無邪気に問いかけられて、言葉を失って見惚れた。慌てて向こうでの好物を上げたが、実のところ宮部が作ってくれるものなら何でもいい。
宮部は「じゃあ、まずそれ」と笑った後、「醤油があれば、なおいいんだけど…」と無念そうな顔をした。
「……」
(なんか、本当に表情が豊かになってきた……)
知らず彼女を見つめていたところに、視線を感じてリカルィデを見れば、“にやり”としか形容できない笑みを返されて、江間は顔を隠そうと、額へと手をやった。
時刻は降の九刻半――あと半刻で没の刻となり、ディケセルの新年となる。
特別に夜更かしを許されたリカルィデだったが、先ほど寝落ちしそうになって駄々をこね初め、宮部が苦笑しながら寝室に連れて行った。
ギャプフ村の避難民キャンプのキャビンで、リカルィデの看病をしていた時、傷の痛みで寝るに寝られない彼女の気を紛らわせようと、宮部は彼女が眠りに落ちるまで、穏やかに話しながら、ずっと頭を撫ででいた。今日もきっと同じことをしているのだろう。
江間の方は、二人とお休みの挨拶を交わして、自室に入ったものの、まったく眠気がやってこない。諦めて身を起こすと、寝台に片膝を立てて座り込んだ。
気にかかっているのは、明年の期二日――。
「誘う、か……」
宮部の性格だと、よほどうまく誘わない限り素で断ってきそうだ、と考えて江間は顔を顰めた。
薄暗い四畳ほどの部屋は寝台がほとんどを占めていて、他においてあるのは、最低限の服と木刀だけだ。
本や雑誌、ポスターや地球儀、PCや周辺機器、なんであるのか分からないボールやガラクタなんかが雑多に転がっていた、下宿の部屋が少し懐かしい。
だが、あっちの世界であれば、江間が宮部と同じ空間で過ごすなど、あり得ないことだった。
彼女と一緒にあれこれ家事をして、お茶を飲んで、食事をして、同じベッドに座って話す。「いってきます」と「いってらっしゃい」、「ただいま」と「お帰り」を言い合う。
同棲でも始めたような感じがして、面映ゆかったのは江間だけで、宮部は素だった。
だが、そんな彼女も次第にリラックスした、柔らかい表情を見せるようになっていく。口数も多くはないが、昔よりはるかに増えた。冗談を言うこともある。
すべて向こうでは想像もできなかったことで、幸せで、幸せで……。なのに、ふと不安になる。森で誰かが言っていた台詞を思い出すのだ。事故に遭ったことで、意識を失くして見ている夢なんじゃないかと。
「大体、夢じゃなくたって、向こうにいた時と、実は何も変わっていないんだよなあ」
はっきりそう口にしたわけではないが、シャツェランは彼女が自分のはとこであり、昔夢で会っていた幼馴染だとおそらく勘づいてる。それより何より確かかつ問題なのは、彼が彼女に強い関心を持っていることだ。
その彼を牽制しようと『婚約している』ことにしたが、宮部は「この世界にいる便宜上、そういうことにしている」としか思っていない。
「いい加減、何とかしないと……って、ほんと、なんであんな鈍いんだよ……」
江間は長々と息を吐き、向こうの世界のものと比べて長めの寝台に後ろ手に手をついた。そして、見るともなしに寝台横の小さな窓から、外の通りに目をやる。
歪なガラス越しでも、そこかしこで自分や宮部と同年代の二人連れが身を寄せ合ったり、語り合ったりしているのはわかる。
ここでも年越しを恋人と過ごすことは珍しくないようだ。バーやクラブのようなものもあるらしく、そういった店の前を通りかかった時は、恋人たちや出会いを求める若者たちであふれていた。
リカルィデが一緒にいる以上、そういうところに行く気はもちろんなかったが、宮部の反応はなんとなく気になる。気を付けて見ていたが、案の定というか、興味がある様子はなかった。
そもそも飲み会とか、酒のある場に出てくることが、ほとんどなかった、と大学での日々を思い返す。
買い物が好きということも多分ない。必要があれば買いに行くという程度で、服もアクセサリーも、どうでもよさそうだ。雑貨も特にこだわりはない。小さい頃、妹に色々強請られて譲っていたと話していたから、関係しているのかもしれない。
食べ歩きは興味があるようだ。一昨日も屋台で色々買って、リカルィデと一緒にはしゃいでいた。
以前、街を一緒に歩いている時もそうだった。屋台の串焼きに興味を持った宮部に、一本買って渡したら、彼女は驚きつつ、子供のように目をきらきらさせて受け取った。祖母さんに昔風に躾けられていたようだし、妹のせいで同年代と付き合いがなかったのであれば、初体験だったのかもしれない。
串焼きを口にする間も嬉しそうで、その後赤くなりながら「ええと、半分こ、する? その、嫌じゃなければ、だけど」とおずおずと言われた時は、もう死んでもいいかも、と半ば本気で思った。
だが、この世界には、日本人の自分たちの口に合うものが、そもそもあまりない。その時の串焼きも、本気で死ねるかも、という味だったし、おとといの屋台のも大半はリカルィデの胃に収まったし。
スイーツはよくわからない。卒業生の先輩が研究室に差し入れてくれたケーキは、「先輩辛党ですよね」と言った後輩が、宮部の返事を聞くことなく、攫っていった。
自分に取り分けられたタルトを指して、「いるか?」と聞いたが、その返事も「ありがとう、いらない」。ただ遠慮したのか、本当に辛党なのか……。
やりたがっていることは……かまくら作り。以前雪が積もった時、屋上で雪遊びをしていた宮部が、「かまくらには量が足りないか……」とぼそっと漏らしたことがあった。が、メゼルディセルでは雪が降らない。
「マジで何にも知らないんだよなあ……」
彼女が何を好きで、何を嫌うのか。だから、一緒に出掛けようと誘おうとしても、何も思いつかない。
(いや、そもそも自分から人を誘ったこと、あったっけ……?)
思いつきに、江間は右手で顔の下半分を覆う。
初デートと呼べるが微妙だが、小学生の時、両想いだった子も含め、複数でテーマパークに行ったことがある。自分が企画した覚えはない。
次は、告白されて付き合った同級生と水族館。あれも彼女が言い出した。その後もなんとなく会う約束をして、なんとなく街をぶらついて……。
その次は……思い出せない。
≪兄さん、自分で本気で好きになった人と付き合ったこと、ないでしょ?≫
妹にいつか言われた言葉が蘇る。あの時は否定したけど、デートだけじゃない、自分から告白をしたこともない。なんとなくいいなと思ったら、それが相手に伝わって、向こうから、とか、なんとなくというパターンばかりだった。
「マジか……」
≪そんな楽な付き合い方ばっかしてると、大事な時にひどい目に遭うからね。というか、遭え≫
自分とよく似た顔立ちの妹が笑いながら吐いた言葉が呪いに思えてきて、江間は立てた膝の上にかくりと顔を落とした。




