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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第17章 明年の期 ―メゼル―
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17-3.内緒話(リカルィデ)

「わっ」

「走るな」

 後ろから襟をむんずっと掴まれたリカルィデが、ぎょっとして振り返れば、江間はさらに後ろを見ていた。

「……はぐれた」

「あ」

(ミヤベ、いない……)

 江間は深々とため息をつき、視線を背後に向けたまま、眉間にしわを寄せた。

 江間はどんな状況でも、余裕がある顔で笑っている。けれど、彼は時々こういう、どうしようもなく落ち着かないという顔を見せる。そして、それはいつも宮部がいない時だ。

「ごめん」

 自分のせいだ、はしゃぎすぎてしまった、としょんぼりしたリカルィデに、江間は目を見開くと、「お前のせいじゃない」と苦笑を浮かべた。

「俺たちが向かった方向は分かっているはずだから、そのうち落ち合えるさ」

 そうして、「こういう時、携帯があればいいんだけどなあ」とぶつぶつ言いながら、一緒に元の方向に歩き出した。

『「ケータイ」……』

とは何千トケル離れていても話せる、黒い鏡のような板で、確か別名「スマホ」だ。ただ、「デンキ」? 「バッテリ」? という、板にとってのご飯のようなものがないと働かないとか、あとは「デンパ」とかいう見えないのが、空中を飛んでいないといけないとか……。

『……』

 そういう話を聞く度に、リカルィデはあっちに行くのが、とても不安になってしまう。

 昔、「ジドウシャ」や「テレビ」を夢の中で見た時も驚いた。あんなのものや「ケータイ」が当たり前に作られ、使われている世界に行って、自分はやっていけるのだろうか。

 だから、つい思ってしまうのだ、このままでもいいんじゃないか、と。

 宮部と江間が稀人だとばれて困る気配はないし、一番懸念していた王弟にも、リカルィデがアーシャルだったことはばれていない。毎日三人で一緒にいられて、自由で、いっぱい笑えて、おなかを空かすこともなくいられる。

(でも、エマやミヤベも、やっぱりあっちに帰りたいんだろうな。サチコがそうだったみたいに……)

 斜め前を歩いていく江間の姿を見て、リカルィデは視線を伏せた。

(サチコにはショータがいた。マサチカさんも。でも、二人はそうじゃないんだし、一緒にいるのはこっちじゃ、だめなのかな。待ってる人はもういないって、ミヤベ、言ってたし……ああ、でもエマには仲のいい家族がいるって……でも、エマは大人なんだし、元の家族から離れるの、普通なんじゃ……?)

 別に帰るのを邪魔したわけではないのに、後ろめたい気持ちが湧き上がってきて、リカルィデは江間の後ろで、眉尻を下げた。

(まただ、私、また自分のことばっかり考えてる――)



「あ」

(あれは「マフラー」になりそうだ)

 夜店の陳列台に折りたたんで並べられた、帯用の布を見て、リカルィデは立ち止まった。

「どうした?」

「あ、ええと、もしよければ、だけど、この店、ちょっと見てもいい? ぷれぜん? を買いたい、んだけど」

「ぷれ……プレゼントのことか? 宮部?」

「うん、少しだけど、お金、ええと、おきゅ、きゅうりょう?をもらったから。これ、寒くなるからそのまま使えって、ミヤベが私にくれたんだ。今度は私がお返ししたい」

 リカルィデは、自分の首周りを温かく包む、白色に灰のひし形の模様の並ぶ「マフラー」を指さした。

「……わかった。通りは俺が見とく」

 苦笑しながらの江間の言葉に、リカルィデはほっと息を吐き出した。


(黒茶の髪と瞳、濃い紺色の外套、肌色は薄い……)

『うーん、どっちがいいかな。いや、でもなんかどっちも微妙に違うかも……てか、これ、私がもらったのとあんま変わんない……?』

 リカルィデは茶と白と緑の縞模様のものと、白っぽいものとを手にとって悩む。

 巻頭衣の懐にある内ポケットには、昨日貰った給料が入っている。

 書物棟の調べものをするのに、内務処手伝いという身分をもらったのだが、それで「お小遣い程度だけど、お給料が出ているよ」と、財務司官の顔見知りの老人がくれたのだ。そして、奥にいた財務司長も「それなりに役に立っているらしいな」と、声をかけてくれた。

 働いて、人の役にちゃんと立てた証拠としてもらえるものが自分に……、と受け取った時、呆然とした。

 手元のお金を見つめるうちに、ただ城にいて呼吸さえしていればいいとされていた王都セルでの日々が、急に掠れて行くのを感じた。

≪自分の心も、体も、財産も自由。人権ってそういうことよ≫

 嫌なことも好きなこともそう口にできる、信じたいものを信じ、信じたくないものを拒絶できる、体を不当に拘束されない、傷つけられない、自由にいろんなところに住める、行ける、お金や財産を誰にも不当に取り上げられない、なりたい自分になろうとする努力を邪魔されない――サチコの言っていた“自由”を、生まれて初めて感じることができた。

 全部宮部の、江間のおかげだ。だから、二人に何かしたい、そう思った。

「あ、そうだ。エマにもちゃんと、プレゼント、あるからね」

「……楽しみにしてる」

 振り返って、自分よりずっと高いところにある江間の顔を見上げれば、目をみはった彼が顔全体を緩めて笑い、大きな手で頭をくしゃくしゃっと撫でてくる。

「するなって言ってるのに」

 そう言ってむくれても江間は優しく笑ったままで、リカルィデはこの顔を見るたびになぜか安心する。ここは安全だ、と思えるのだ。

 お父さんという存在はあんな感じだろうか、と、以前雑貨店主のヒュリェルに、ぽろっと漏らしてしまったのだが、

『となると、あんたはエマが十歳の時の子…普通ならあり得ないって笑うとこだけど、エマならあり得そうで怖いわ…』

としみじみ漏らしていた。

 江間にもだけど、宮部にこそ言わないでおこうとリカルィデは決めた。彼女は絶対にヒュリェルに真顔で同意する。そうなったら、いい加減江間が可哀そうだ。


「……それ」

「ん? あーと、いや」

 通りを見ていたはずの江間が、少し離れたところにあった、白を基調に濃淡の様々なピンクが入っている布を手に取っている。リカルィデのかけた声に、彼は珍しく少し動揺した。

「……すごくきれい。絶対に似合うね、それ」

「あー、まあ、……俺もそう思う」

 頬が少し染まっているのを見て、少しいたずらしたくなった。

「エマに。もう一つプレゼントするね」

「え、いや、そうじゃな…………って、お前、からかってるな」

「うん。いつもやられる仕返し」

 唇を引き結んでむぅっという顔をした江間に笑いながら、リカルィデは彼の見立てた布を手に取った。

 こういう色のものを宮部が身につけているのを見たことはないけど、二人で選んだのだ、彼女はきっと喜んでくれるだろう。


 会計を済ませて、リカルィデは通りで待っていた江間と共に歩き出した。

 いい加減宮部と行き合ってもいいはずなのに、と首を傾げる。

「なあ、こっちの世界ではさ、どんなのをプレゼントするんだ?」

「サチコがゴダブリュイチエイチ? を、ちゃんとしなさいと言っていた。誰に、が抜けてたよ。恋人に――じゃないね、エマの場合、ちゃんと好きな人にって言うべきだ」

「だんっだん可愛くなくなってきたな……。お前、俺の妹と絶対に気が合うよ」

 恐ろしく整った顔に睨まれると、普通の顔に睨まれるよりずっと怖い。でも、顔が赤いのに気づくとその怖さも台無しだ。

「ミヤベってさ、不愛想で冷たく見えるけど、実は優しいし、たまに笑ったりするとめちゃくちゃかわいいよね」

 リカルィデは含み笑いながら、江間を下から見上げる。

「まあ、そう言えないこともないかもな」

 今の江間も大概愛想がない。宮部以外の女の人のことは、簡単に褒めるくせに。

「ミヤベを気にしてる人、結構いるって知ってた?」

「……知ってる」

「だよね、いつも邪魔してるもん。ねえ、なんで好きって言わないの?」

「……言った。返事は「私は嫌い」だった」

「え……」

 からかうつもりの言葉に、江間は想像とは全く違う言葉と表情を返してきた。

 なんでそんなことに、と愕然とする一方で、宮部ならそう言ってもおかしくない、と納得してしまう。問題は……。

「それ、信じたの……?」

 絶対に違うと思うのに、それをどう江間に伝えたらいいか、わからない。

「今更言葉で何を言ったって、信じてもらえないんだろ。覚悟を決めることも諦めることもできずにウダウダやってた報いだ」

 眉尻を下げたリカルィデを前に、江間はそう言って息を吐き出しながら、空を仰いだ。

 冬の夜空に白い吐息が広がって、次第に消えていく。賑やかな雑踏の中にいるのに、その光景は寂しげで、何だか悲しくなる。


「……恋人に贈るのは、帯飾りや髪飾りが多いと思う。あとは、月聖石のお守りとか」

 何をどう言えばいいか結局思いつかなくて、リカルィデはたださっきの質問の答えを返した。

「指輪は? って、この世界だと指輪は邪魔だな。ネックレスは目立たないし……腕輪?」

「アクセサリーだっけ? も結構あるって聞いた」

「そっか」

 眉間にしわを寄せて考え込む江間を、すれ違う人たちが振り返る。江間を見た後で、リカルィデを頭のてっぺんから足の爪まで舐めまわすように見る人も少なくない。

 確かにカッコいいもんな、とリカルィデは横目で江間を眺めた。

 結構な長身に長い手足、日に焼けた顔は小さめで、細身だけど、肩と胸板は外套の上からでも鍛えられているとわかる。顔は欠点なく整っていて、その表情の豊かさもあって、人目を引く。

 この江間と一緒にいて舞い上がっているのを見たことがないどころか、「あの顔のせいで、胡散臭さが増す」と言う宮部は、やはりかなり変わっているのだろう。

 彼女は江間の外見だけでなく、中身についてだって淡々としている。いつも「江間は根が善良で人に親切」と言い、彼女のために彼がすることを感謝しつつも、「本当に人がいい」と片付けて特別視はしない。

 リカルィデもそう思っていたけど、最近、実は違うかも、と思い始めた。きっかけは、オルゲィ内務処長のところのリィアーレ兄弟だ。

『あの人、大事な人とそうでない人で、かなり扱いが違ってない?』と言った末っ子のチシュアに、『今更だろ。あいつ、人当たりがいいだけで、実はめちゃくちゃきついぜ?』と次男のエナシャが応じた。続いて、長男のアムルゼが『出来ることはするけど、それ以上はしないって決めてるんだって』と。

 それで、よくよく考えてみたら、江間は確かに誰に対しても優しいし、親切だけど、なんというか、切る時はバッサリと切る。リカルィデにも甘い気がするが、基本は宮部に対してだ、宮部曰くの「どうしようもないお人好し」レベルの行動を江間がとるのは。

『なんで気付かないかな……』

 リカルィデは小さくぼやくと、江間の斜め後ろで『ミヤベ、変なところで鈍感だもんな……』とため息をついた。


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