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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第17章 明年の期 ―メゼル―
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17-2.“婚約”の価値

『ミヤベじゃないか』

 突然名を呼ばれて振り返った。以前ヒュリェルの店にきた防病師が、雑踏の中、こちらを見て人懐っこい微笑みを浮かべている。イエローオレンジ色の髪は、周囲に並ぶ屋台のランプの光にそっくりだ。

『こんばんは、ラッカ補佐』

『こんばんは。あ、そうだ、ええと、その、いつかの時は申し訳なかった。ほら、あれから、色々教えてもらったのに、いつも気が逸れてしまってちゃんと謝ってないとこの前気付いて』

 郁たちより結構年上だと思うし、立場的にも上だ。それなのに、しどろもどろになりながらもちゃんと謝罪してくる彼の様子に、郁は好感を覚えた。そういえば、ヒュリェルの店でちゃんと名乗ろうとしていたのも、彼だった。

『では、私もあの時の失礼をお詫びします』

 そう告げれば、彼はほっとしたように笑った。


『そういえば、温冷計、ええと「オンド、ケイ?」ってミヤベたちが言っているあれ、今日ホデアのガラス職人から試作品が届いたんだ。明年の期が明けたら、防病司に見においで。それから、専門の防病師を各地に配置するという話だけど、ボルバナ財務司長がようやく納得してくださって予算が付くことになったよ』

 統官たちの協力も得ないといけないから、忙しくなりそうだ、と笑うラッカに、郁は微笑み返す。

 あっちの世界での統計学の発展には、中世ヨーロッパにおける疫病の流行が深く関わっている。現代日本でも医療機関に対象の病気の報告を義務づけることで、病の発生や流行を探知しているはずだ。

 それらを踏まえて、メゼルディセルでも慣習や迷信などではなく、データを集めて統計的に疫病の発生を察知し、流行を早めに抑えられないかと、「保健所」に似た仕組みを提案したのだが、最初は気味の悪いものを見る目で見られた。

『これでこの夏みたいなことが減らせるといいな』

 真剣にそう呟くラッカを見つめ、めげずに説得してよかったとしみじみ思う。

(薬や感染症予防の効果もいずれ統計的に見極められるようになるといいんだけど、これ以上はしばらく厳しいかな)

 前回せっけんの効果を確かめたこと、そして今回の保健所の設置――なぜそんな知識を持っているのか、と郁たちに疑問を抱いている人が既にいるようだ。当然だ、人口統計すらまったく必要ないはずの辺境の少数民族に、人の動向をデータ化する知識があるなんて不自然すぎる。

(なんせ面倒だな……)

 リカルィデとも約束したのだから、できることはする。だが、素性を偽って自らの身を守りつつとなると、やはり枷が多い、と郁は静かにため息を吐き出した。


『それで、ええと、失礼だったら申し訳ないんだけど、ずっと気になっていることがあって…』

 再びラッカが落ち着きを失った。行きかう人々をきょろきょろと見た後、郁に心持ち身を寄せ、『その、ミヤベ、君は、女の人なんじゃないか、と僕は思ってるんだけど……』と言いにくそうに口にした。

『そうですね』

 ばれた――顔を歪めそうになるのを押しとどめて、淡々と頷く。

『そんな格好をしている理由は何かな、と思って……いや、言いたくないならいいんだけど』

『私たちの場合、女性のこんな髪も服も珍しくないので、好みに合わせています。誤解もされていますが、支障はないので』

『あー、なるほど、文化が違うのか……。確かに、男性だと誤解されているなら、その方が楽か。いや、うちのクナナも、必要以上に苦労していると、思うことがあるから』

 クナナとは、ヒュリェルの店に来ていた四人の中にいた女性のことだ。感じの悪い人だと思っていたが、防病司でせっけんの効果を確かめる実験をした際に二人で話してみれば、ごく普通の、真面目な人だった。男性ばかりの中で、居場所を保つために、本来の自分ではない自分を作っているその様子に、郁は内務処のタグィロを連想した。

 一度二人を会わせてみようか、と思いながら、郁は郁でここのところの疑問をラッカにぶつけてみることにした。

『街では男女関係なく働いているのに、なぜ城だけあんなふうなんでしょう?』

 それがひどく不思議だった。男女問わず同性婚が認められるこの国では、女性の権利は男性と変わらないし、力作業を要求される運送業などに男性が多い、細かい手先作業の要求される職人に女性が多いなど、職種による差は多少あるものの、基本働く男女の比率も同じくらいだ。

 なのに、城だけ明らかに違う。メゼルの城には、グルドザである武官とそれ以外の文官、シャツェランや高官の身の周りを世話する侍従や侍女、調理や掃除などの下働きといった仕事がある。下働きには伝手で主に庶民が、それ以外には試験を受けて受かった者が就くのだが、下働き以外の女性が圧倒的に少ない。武官であるグルドザに女性が少ないのは、体力もしくは彼らの伝統的な規範が理由かもしれないが、文官にもいないし、侍女もあまり見かけないのだ。

 ラッカは、侍女がいない理由を城主であるシャツェランに、妻や女性の身内がいないからだと説明した上で、

『それ以外に関しては、ディケセルの貴族社会がそうだから、としか言えないかな……。貴族の間では女性に期待される役割は、跡継ぎを産むことが中心となるから、外で女性が働くという発想自体がないんだ』

と苦笑した。

『そうなんですか?』

『市井では、男女問わず優秀な子を跡継ぎにするようだけど、ディケセル王族と貴族は、男系相続と決まっている。そして、当主が同性婚した場合、その相手は当主とほぼ同格とみなされる。例えば戦争で徴兵されるときも、代わりに結婚相手を代理とすることも可能なんだよ』

 そう言って、ラッカは第二師団の兵士団長など何人かの名前を挙げた。皆、結婚相手の義務や野望を代替して軍での職を得た人だ、と。

『だから、家を継げず、当主の代理としても認められない女性の価値は、貴族たちの間では低くなるんだと思う。もちろん異性婚が歓迎されないわけじゃないけど、その場合、結婚相手は子供を産むことと、家を守ること以外を期待されることはないね。その分、同性婚と違って、一方的な離婚は不可能で権利は保護される。けど、逆にそれを嫌がる男性も結構いるから』

『当主が同性婚の場合は、跡継ぎはどうなるんですか?』

『そこは市井と変わらない。妾と言う形にはなるけど、別途女性を娶るか、そのためだけに契約して産んでもらうか、親族から養子をとるか。だから、血の繋がった父親とその正式な配偶者の男性、そして妾としての生みの母親という家族構成の貴族も珍しくないよ。僕の家はしがない星辰の位だけど、そうだった』

『なる、ほど……』

 ラッカは当たり前の顔をして言うが、正直、理解しがたい。郁が微妙に引き気味になったことに気づいたのだろう、ラッカは『これも文化の違いかも』と苦笑する。

『シャツェラン殿下がご領主になられてからは、これでも少しマシになったんだ。なんでも、この間亡くなられた稀人が、とても優秀な女性だったんだって。登用試験の性別条件も、メゼルディセル領にはないから、クナナみたいに城で働く女の人も増えてきてる。やっぱり貴族出身の人より、役人や商人、豪農の娘、後は各地の統官やガッコウの先生から勧められた子が多いみたいだけどね』

『……そうなんですね』

 意識もせず、性別や生まれに基づいて人を見下していた幼い頃のシャツェランと、郁は何度もぶつかった。けれど、結局、彼の考えを変えることはできなくて、間接的にではあるが、それが彼と郁の別離に繋がった。

 リカルィデの育ての親であるサチコさんは、彼のその価値観を変えたのだ。そして、「ガッコウ」の設立や登用試験の改善につなげた。

 もう何度目だろう、郁にできなかったことをやってのけた女性の姿を、想像してみようとするが、うまくいかない。彼女に会ってみたかった。リカルィデを見ていてもわかるのだ、きっととても素敵な人だった、と。

 何より郁自身が彼女に生きていて欲しかった。そうしたら、リカルィデも含めて、みんなで一緒に帰ることができたかもしれないのに……。


『だから、ミヤベも性別を気にせず、登用試験を受けられるよ? 嫌がる人もいるけど、オルゲィ内務処長はじめ、うちの司長とか性別にこだわりがない方もいっぱいいるし。軍の上官のほとんどが貴族出身なせいか、武官はあまり採用がないみたいだけどね』

『この格好はただの趣味です。試験、そもそも受ける予定がないので』

 もったいないなあと首をひねりながらも、ラッカはそれ以上踏み入ってこなかった。

『じゃあ、まあ、僕も城では気付かなかったことにしておくとして……その、エマは知っているのかい?』

『ええ』

『……そうだよね』

 ほっとしたように頷いたラッカはさらに郁に身を寄せ、『その、先日のお詫びというわけじゃないんだけど、もう一つ耳に入れておくね』と声を潜めた。

『王族を始めとする高位貴族の同性婚は、世間からは好まれない。歴史上権力争いの種になってきたから。そういう意味でも、エマと君が婚約したというのはとてもいいことだと思う』

 最後を『気を付けて』と真剣に締めた彼に、郁は眉を跳ね上げた。

 江間とシャツェランの仲がいいと言うのは、もう城中に知れ渡っているのだろう。それゆえ、ラッカは心配してくれているのだ。

 なんて人のいいと、ラッカのことを認識する一方で、江間と自分の“婚約”の価値を見直した。密談のしやすさや、女もしくは男除けどころじゃない、権力闘争から江間を守るために必須だ。

 だけど、と郁は、自分とは違う硬い体や重い腕、香りを思い出して、眉を顰めた。手を握ったりはもちろん、人を勝手に抱きしめたりする時でさえ、江間は当たり前の顔をしているから、落ち着かない自分がひどく滑稽でしょうがない。


『そのエマは一緒じゃないのかい?』

『はぐれました』

『じゃあ、一緒に探すよ』

 穏やかに話すラッカと並んで、郁は江間とリカルィデの消えた方向に歩き出した。


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