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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第16章 獅子身中 ―バルドゥーバ―
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16-3.“感情”(福地)

『おかえりなさいませ、フクチさま。香草茶と白湯、ビンネ、何かお飲みになりますか?』

『白湯をくれるかな』

 バルドゥーバ城で最も高い塔、女王の居室の二階下に位置する自室に戻った福地を、補佐の立場を与えたイォテビが出迎えた。表向きは稀人の身の回りの世話をする役として、その実は間者として、元々は宰相がよこした者だ。

 両親が亡国の貴族だったという彼をその恨みを利用して寝返らせるのは、実に簡単なことだった。

 バルドゥーバの奴隷制を含めた身分制は、生まれつき劣る人間を見分けつつ、それぞれに相応の存在価値を与えてやるという意味で、実に優れた制度だと福地は思っている。だが、奴隷にも身分低き者にも、それぞれ“感情”があるということを忘れるあたりは、バルドゥーバ人の愚かさというしかない。


 自分は“感情”というものがどうも良くわからないらしいと福地が気付いたのは、小学生の頃だ。快・不快は当然福地にもあるから、その人に起こった良いことで喜ぶとか、悪いことで怒るとかいうのはまだ理解できる。だが、それ以上、例えば誰かのために喜ぶとか、正義感で怒るとか、まったく理解できなかった。

 そのせいだろう、普通にふるまい、当たり前に思うことを口にしているだけなのに、福地の周りの人はなぜか気分を害する。

 何が問題かといって、誰かが気分を害したということも当時の福地にはわからなかったことだ。そもそも人の顔を覚えられないのだ。その顔のどこがどう動いたとか、気付けるわけがない。

 周りがやたらと攻撃的になったり無視されたりというのは幼い福地にとって日常で、見かねたのだろう、ある時担任の教師が周りで何か起きているのか、丁寧に説明してくれた。その人が言ったのだ、「もう少し人の気持ちを知りなさい」と。気持ち、心、感情――論理性に欠け、曖昧模糊としてつかみがたいそれを、他の人は自然に察することができるのだと知って、福地は衝撃を受けた。

 自分にデメリットがない状態での“悲しい”というのもわからない。祖父の葬式の場で泣く母が不思議で仕方なかった。「死んでも別に困ることはないのになぜ」と口にしたら、「あんなに可愛がってくれたのにっ」とヒステリックに叫ばれて、それで学習した。どうやら感情について「わからない」と口にしたり、訊ねたりするのは、やめた方が良さそうだ、と。

 そうして福地は“感情”に分類されるものを、一人黙々と学習するようになった。本を読み、雑誌や漫画を読み漁り、ドラマや映画を見た。実際の人々を観察した。ある条件下で、人が顔のこの部分の筋肉をこう動かし、こういう声音を出し、こんな仕草を見せる時、その人の“感情”はこれもしくはこれ。そして、その感情の時人はこんな行動をする、それに対して自分がとるべき行動はこれ――。

 パターンとして覚えてしまえば、それまでが嘘のように人とのトラブルが減った。それどころか、逆に利用することで、親を含めて他人を操ることすらもできるようになっていく。

 大学に入って、江間和樹という人間を知ってから、その作業はますます効率化した。表情豊かで、言葉でも自分の気持ちを口にする、コミュニケーション能力が高い彼は、福地にとって格好の教材で、彼の判別だけは早々につくようになった。

 目に見えるトラブルがなくなっただけで、一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、人は福地から離れていくのに、親ですら陰で「気味が悪い」と言っているのに、江間は「お前はちょっと変わってるな」と言うぐらいで、避けたりすることもなかった。

 福地が人の感情を読み損ねて、場の空気がおかしくなった時もうまく流し、必要な時はフォローしてくれる。

 彼がいる時だけ、少し気を抜くことができたこともあって、福地はできるだけ彼のそばにいるようにし、ひたすら彼を観察し続けた。

 気を抜ける相手という意味では、宮部も同じだった。他人に興味のない彼女は、基本事務的な話しかしないし、福地の言動がずれていようがいまいが、どうでもいいようだった。

 「言わずとも察して欲しい」と望む行動は一切なく、福地のずれ故に支障が出る時は、曖昧な言い方ではなく、はっきり指摘し、こうしてほしいと伝えてくる。

 他の女子と違って感情の起伏がごく少ないせいか、声が安定していることに加え、いつも似たような見た目で判別しやすいとあって、宮部も福地にとって付き合いやすい相手だった。江間と違って、常に冷静、無表情で、“感情”の分析という意味では、全く参考にはならなかったけれど。


(よりによってその二人が先に死ぬなんて)

 この国にいるのが寺下や菊田なんかではなく、あの二人だったなら、ともう何度目かわからない繰り言を覚えつつ、福地はイォテビが差し出してきた白湯のカップを受け取った。

『ありがとう』

 礼を口にすれば、有能でありながら敗戦国出身者としてこの国で蔑まれることの多い彼は、それだけで福地に好意を抱く。“神聖なる稀人でいらっしゃるのに”と。目下の者であっても礼を言う、その有用さを福地に見せてくれたのも、そういえば江間だった。

『一刻ほど前に、テラシタさまが面会にいらっしゃいました。サノさまの捜索状況を知りたいとのことでしたが、お約束がありませんでしたので独断でお断りいたしました』

 申し訳ありません、と形式的に述べたイォテビに頷く。

『佐野さん、サノの死体? じゃないね、遺体は、見つかった?』

『郭内の水路から郭向こうの川まで捜索範囲を広げましたが、流行り病のせいか、おびただしい数の遺体が上がっております。腐敗や損傷が激しいため、中々確認も進まず……』

 ドルラーザから逃れて街に出た佐野だったが、疫病の恨みを一身に受けて、平民はおろか奴隷にまで追い詰められて矢を射かけられ、結局水路に身投げしたという。

 民衆の国への不満を逸らすため、“疫病をもたらした”稀人を処刑する予定が失敗し、逃げられた――女王の怒りを買った宰相に代わり、福地が後始末を命じられたのだが、そんな不始末を広げるわけにはいかない。

 福地は佐野が死んだことには変わりがないとし、公式には処刑執行とするとともに、逃げた佐野を目撃した者をすべて殺すよう命じた。

 それからもう一月、奴隷を使って水路とその先に繋がる河川を浚っているのだが……。

『雨期で増水した水路です。まず間違いなく死んでいると思いますが……』

 イォテビを始め、この国の人間に泳ぐという概念はないようで、落水イコール死らしい。だが、佐野は日本人だ。それなりに泳ぐことができるはず。

(万が一生きていたら、そして、保護した者が彼女を稀人として利用することを思いつけば面倒なことになるな)

 福地は小さく息を吐き出した。

 この世界では、稀人には特別な価値がある。擁しているだけで神聖視される。実際、今回四人の稀人を手に入れたバルドゥーバ女王ウフェルが神の寵児ともてはやされる一方で、応接に失敗したディケセル王の名声は地に落ちた。

 逆に言えば、稀人の扱いによっては一度持ち上がった女王の権威も堕ちる。

 病をもたらした稀人を神の許に返すためとして処刑が行われたにも拘わらず、その稀人、佐野は生き延びた――彼女を掲げ、「神意はバルドゥーバになし」と主張されれば、この世界では確実に不利益を被る。

(宰相もだけど、寺下さんこそ愚か以外に言葉がない)

 現代日本人でかつ理系の学問に身を置きながら、と思うとますます苛立った。生贄などで流行り病が泊まるわけがないと理解できなくなったのか、する気がなくなったのか。いずれにせよ害悪と言っていいレベルの頭の悪さだ。

(まあ、彼女の排除はもう決定事項だし、今考えるべきは佐野さんだ)

 福地は頭を切り替えようと、軽く首を振る。 

『最悪を考えて、彼女が生きていると、か、仮定? で通じるかな? ……仮定しよう。その場合、言葉が自由じゃなく、訛があって、この世界のことをよく知らない、音楽以外、能力? 才能?のない佐野が、あの状況で追ってくる人々から、逃げることはできるかな?』

『難しくはありますが、手助けする者がいれば、あるいは』

『国内の者は難しいね。もし出来ても、国内なら噂が聞こえてくる。では、稀人に関心があって、ええと、集団、いや組織? で、わかる? 組織的に佐野さんを捕まえる、保護できる外国なら、ディケセル。いや、メゼルディセルかな』

 王都セルを中心とするディケセル国王周辺は、完全にバルドゥーバが抑えている。あるとすれば、先ほどウフェルも口にしていた、ディケセル国王を上回る勢力を誇る王弟だろう。

『私は、第一にディケセルのコントーシャ神殿を考えております。彼らは稀人の保護を使命としておりますので』

『なるほど。では、コントーシャ神殿に、入れている者に、連絡をしておいてくれるかな?』

『承知いたしました』


 退室していくイォテビを見送った後、福地は白湯入りのカップを持って、窓辺へと歩み寄った。

 眼下に広がるのは芝に似た植物に覆われ、緑鮮やかな木々と花々が目を引く大庭園だ。

 乾季にほぼすべての植物が失われる土地の中で、大河バルから引いた水を張り巡らしているこの街は、その水をふんだんにまき続けることで、ここでは育たないはずの植物を維持している。

 この庭園はその最たるもので、あちこちに噴水が設置され、縦横に水路が張り巡らされていた。乾季には陽光に葉や色とりどりの花を煌めかせる植栽も、今はひたすら雨に打たれ、色褪せている。


 その奥に白い花崗岩質の石で舗装された幅五十メートルの大通りが、まっすぐ外壁へと伸びている。その両脇には背の高い木と、ピンクとオレンジの花を巻き付かせた白い建物が立ち並び、その間を縫うように路地が廻らされている。

 雨が降っていることもあるだろうが、昨今人々は病を恐れ、家から出ようとしなくなった。通りにも路地にも家々の庭にも人の気配はない。

 大通りが外壁に届く場所が正門だ。両端に塔を備えた黒の扉は固く閉ざされ、雨にその姿を霞ませていた。

「ここまで来るのに一年弱……」

 生活感のない、美しく整えられた街から天井に視線を移し、福地はぼそりと呟く。

 この部屋のすぐ上は宰相の部屋、そして、その上が女王――残り、あと二階。


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