16-4.メゼルのユーローニャ人
戸槌の音が響いた。
ただ扉を拳で叩く入室方法の方が安価で効率的だろうに、とその音を聞く度に、不思議になる。
イォテビが事前に約束のあった客人を案内しながら戻ってきた。
『フクチさま、拝顔叶いまして、恐悦至極にございます』
男――最近のし上がってきたという商人は両膝をつき、両掌を天に掲げて頭を下げるバルドゥーバ式の最敬礼を取る。
「……」
福地は特注の椅子に座ったまま柔和な笑みを浮かべ、男の顔を注視する。耳慣れない言葉を確かめてはいけない。女王の寵愛を受ける有能な宮宰であること以上に、“神聖な”稀人である必要があるのだ。
口を開かない福地の代わりに、基本的な事項はイォテビがすべて対応する。
『まずは、お近づきの機会をいただきましたことへの感謝の証として、こちらをお納めください』
立ち上がった商人が、応接室の広大なテーブルの上にずらりと並べてみせたのは、様々な宝石――女王が好むピジョンブラッドの、おそらくルビーと思われる宝石が多いのは、福地と女王の関係を熟知していることの表れだろう。
『そちらは?』
イォテビの視線の先にあるのは、宝石の横に置かれた美しい金細工の箱だった。
『メゼルの薫風堂の洗衛石に、好水布でございます』
『洗衛石はバルドゥーバでも重宝され始めたが、好水布とは?』
『織りを変えることにより、保温性や吸水性を高めました布でございます。最近発売されたところですが、あっという間に評判になりまして、メゼルの富裕者の間でも予約待ちの状況とかで……。特に、バルドゥーバのこの季節には重宝するかと』
「……」
福地の目くばせを受け、イォテビが箱を福地の元へと運んだ。机の前で畏まる商人の顔に一瞬、してやったりという笑みが広がって消えた。
(……タオル、だ……)
箱の中に折りたたまれて並んでいる、細かなループが縦糸と横糸の間から飛び出している布を、福地は驚愕を持って見つめた。
『フクチさま? いかがなされました?』
「……」
『……クルーシデの高地でのみ飼育可能な、カーコ種から取られる、最高級の糸で織られたものです。ぜひフクチさまに……』
衝撃のあまり笑顔を取り繕うこともイォテビの存在も忘れて、「タオル」を睨む福地に驚いたのかもしれない。商人は早口にそう言い添えた。
『…………ありがとう。とても興味深い』
福地は再び微笑を顔に貼り付けた。
『薫風堂というのは、とても珍しいものを、次々、売り出しているのですね』
『は、はい。メゼルディセルの出の、まだ若い女店主がやり手と評判でして……』
福地が滅多に話さないということを、あらかじめ聞いてきたのだろう商人は栄誉と喜び、戸惑いと恐怖が混ざった顔で、何度も唇を舐めながら返してきた。
『その女店主の考え、思いつき、なのだろうか?』
『っ』
福地の質問に商人は、露骨に息をのんだ。
『そう、ではないかと……。ほ、他にも短い髪であっても整えられる髪飾りなども、』
『――嘘をつかないで欲しい』
『は……』
穏やかな福地の声に商人は目を見開き、次に顔から血の気を失った。そのまま黙って見つめ続ければ、額に汗の玉が浮かび上がった。
『せ、聖なる稀人さまに、浅はかな隠し立てをいたしました。どうか、どうかお許しください……っ』
蚊の鳴くような声でそう絞り出すと、彼は再び跪き、床につかんばかりに頭を下げた。
『わ、たしの聞いたところでは、洗衛石・好水布ともに、女店主と懇意の山の蛮族の子孫が、と聞いております。バルドゥーバの方には、その、ご不快をお感じになられる方もいらっしゃるかと思い、咄嗟に隠してしまいました、申し訳ございません……っ』
『ユーローニャ族のことですね』
福地のみならずイォテビも商人の様子に気を留める気はないらしい。今から四十年ほど前に遡る、ユーローニャ族と呼ばれる山岳民族とバルドゥーバとの確執について、淡々と語っていく。
目の前の商人の顔は青を通り越して今や白色になった。額の汗が滴となって頬と滑り落ちる。
「……」
(滅んだ民族の子孫が、たまたま「せっけん」と「タオル」を思いついた……? 滅んだという事実からしても分布地を考えても、分業によって発明がなされるような、規模の大きい文明社会ではなさそうなのに?)
なにかがおかしい、と福地は緩く首を傾げた。
そのユーローニャ人は、実は稀人では、と思うものの、福地と寺下はここバルドゥーバに、菊田は砂漠の家畜小屋にいて、逃げたという報告は聞いていない。では佐野か、と思ったが、彼女が消えたのは一月前だ。タオルもそうだが、何より洗衛石と時期が会わない。
以前、この地に迷い込んだ稀人が伝えたものである可能性も低いはずだ。稀人はディケセルもしくはバルドゥーバで厳密に“管理”される。
では、自分たち以外にも稀人が来ているのだろうか? だが、稀人の到来を予知するコントーシャ神殿の情報は、ディケセルの王都セル経由でこちらに入ってくるようになっている……。
『実に面白い話だった』
福地は腑に落ちない思いを抱えながら、来た時と打って変わって死にそうな顔をしている商人をねぎらい、さりげなく退出を促した。
『あの話が広まったら、そのユーロ、ニャ人を殺しに、また人が送られるかな』
商人を送って戻ってきたイォテビに、福地は視線を向ける。
『私には判断できかねますが、ユーローニャ人の全滅を図っていたのは、先々代及び先代のバルドゥーバ国王陛下です』
イォテビの顔に、一瞬“嫌悪”とタグ付けされた表情が浮かんだ。福地は彼がユーローニャと同じく、バルドゥーバによって滅ぼされた国の出だったことを思い出す。
『密かに、探ってみて欲しい』
『承知いたしました』
福地の静かな言葉に、イォテビは無表情に頷く。
「……」
福地はテーブルに置かれたままのタオルへと、再び視線を落とした。
この世界に来て八か月――あと一月半で、福地たちが異界に来て、最初の年が終わるという。太陽が同じだと仮定してだが、冬至の日が新年の初日になるそうだ。
コントーシャ神への信仰をバルドゥーバから排する為に、作り上げられたのが双月教だ。それを国教化するのに伴い、この国では年越しと新年を祝う習慣が廃れたと聞いたが、年明けの五日間、明年の期間中の夜に雨であろうとそうでなかろうと、街中で夜通し篝火がたかれる習慣だけは残っているという。
ウフェルが暗闇の中、炎の赤で浮かび上がるバルドゥーバの街と城の眺めについて、語っていたこと思い出す。
(メゼルのユーローニャ人とやらは、コントーシャ神を寿ぐ新年を祝う習慣があるのだろうか? それともバルドゥーバ人のように別の習慣だろうか……?)
福地はその姿を思い描き、窓辺に寄る。そして、彼らがいるとされる南西の方角、メゼルへと視線を向けた。




