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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第16章 獅子身中 ―バルドゥーバ―
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16-1.虎視(福地)

 黒い石でできたバルドゥーバ城の一角。女王ウフェルは、広大な湯浴み場に相応しい大きな石造りの浴槽に一人ゆったりと身を沈めている。日本では当たり前だった湯船に浸かるという行為は、砂漠のこの国では女王にだけ許される特権中の特権だそうだ。

『これは……』

『メゼルディセルで流行り出した洗衛石というものらしい。ここのところ商人どもがこぞって献上してきよる。良い香りがするが、それより何より病に効くという触れ込みがついておる』

 浴槽の縁、ウフェルの傍らに控える福地は、彼女から手元で弄んでいたオレンジと灰が混ざったような桃色の直方体を投げてよこされて、目を見開く。

『こっちではまだ流行り病が抜けておらぬ故、目の色を変えて買い求める者も多いそうじゃ。あの地域の流行り病が他と比べて早く収まったのは、それのおかげだと言う者もおる』

 面白くなさそうに『とは言え、奴らは商品の価値を釣り上げるのが仕事じゃ、どこまで本当かはわからんがな』と言い、女王は赤と紫の花びらの浮かぶ湯船に裸体を深く沈めた。豊かな、長い緑の髪が水面に浮かんで広がる。

 女王が湯から右手をつっと上げた。色味と照りの強い肌から透明な雫が滴り落ちる。側に控えていた奴隷の女が進み出てきて、別の直方体をそこに押し当てるように動かした。

 すると気に入らなかったのか、ウフェルはその女の顔を裏拳で打ち据えた。

 小さな悲鳴を上げて吹っ飛んだ女を、控えていたグルドザたちが抱えて連れ出していく。黒と金のタイルにぽたぽたと血が落ち、侍従の一人が這いつくばって急いで赤い点線を拭っていく。

『フクチ』

 呼ばれて立ち上がると、福地はウフェルの傍で膝をつき、先ほど渡された『洗衛石』を左手に載せた。じっと見つめ、爪で小さく削る。

『やはりお前にはそれがわかるか』

『向こうで「せっけん」と、呼ぶ、呼ばれるもの、に、似ています』

 福地は湯船に手を浸すとそれを泡立てた。ぬめりと共に細かい泡が立ち、どこか嗅いだ香りが立ち上る。間違いない。

『「殺菌」……病のもと、げいいん……原因、になる、目に見えない、小さな物を、殺す働き、あります。正しく使えたなら、病を抑える、ことが、できるはずです』

『では商人どもの言いようも、あながち嘘ではないというわけか』

 福地はこんもりとたてた泡を乗せた手を、鼻を鳴らした女王の脇から滑り込ませ、腕を彼女の身に絡ませるように首から鎖骨、控えめな胸、腹へと動かしていく。そして一通り洗い終わったところで、女王が息を漏らした胸へと再び手を這わせた。

 執拗にその頂を嬲りながら、首筋から耳朶へと、ついばむように唇を辿らせる。

『……作れるか?』

『そう難しいものでは、ありません』

 喘ぎを混ぜた声にそう応じながら、福地はせっけんについての知識を引き出そうと試みる。出てきたのは、水酸化ナトリウム――アルカリと油脂。だが、水酸化ナトリウムに変わるアルカリをこの世界でどう調達すればいいかについての知識は、少し心もとない。木灰、石灰……確信できない。

(それを悟られず、どうこの場をしのぐか――)

『そうか。まあ、よい。放っておいても商人どもがこの国に貢いでくるものを、わざわざお前が作ることもあるまい』

 面倒を免れたという安堵を押し隠す福知をウフェルが振り返った。

『それよりフクチ、宰相に代わりお前が流行り病の対策にあたれ。元グルドザのあれには荷が勝っておった。テラシタの助力があればと思ったが、使えぬ』

『御意。全ての力を、尽くします、陛下の御為に』

 神妙に首を垂れつつ、福地は内心でほくそ笑んだ。

 初夏に発生し、今なおバルドゥーバで人々の命を奪い続けている病の正確な正体を福地はもちろん知らない。だが、特徴を人づてに聞く限り、対処する方法については考えがある。

 にも拘らず、福地はずっと口を噤んできた。そして、猛威を振るい続ける病と、その対策としてまったく効果がないことをし続ける宰相と寺下を心から歓迎していた。

 ――すべては宰相を追い落とし、福地へと権力を集めるため。

『……』

 腕を伸ばしてきた女王の薄緑の目に色欲を確認し、福地はあちらの世界の同期、江間がごくたまに宮部に見せていた表情をまね、深く口づけた。同時に下肢の付け根へと手を伸ばす。

 この国に来てから九ヶ月、記憶の中にある彼の表情の模倣はもう完全に板に付きつつあった。



 他人の目を一切気にせず、行為を要求するウフェルにその通り応じた後、福地は彼女を再度清め直すためにせっけんを手に新たに泡を作る。

「……」

 気だるげに湯船に浸かり、こちらを見るその目から情欲が消えていることを確認した後、あたかも愛しくて仕方がないと思っているかのように目元と口元を緩めてみせれば、ウフェルは鼻を鳴らして、そっぽを向いた。

 彼女のこの態度は気分を害している時のものではない。むしろ逆、上機嫌――どうやら満足したらしいと冷めた判断を下す。

 ウフェルは他者に自らの痴態を披露する性癖を持っているわけではない。単純に今周囲にいる者たちはウフェルにとって人ではない、それだけのことだ。宰相を始めとする重臣たちや貴族などがいる場ではそういった行動に出ないことからも、その推測は正しいと見ている。

 福地にはウフェルのその感覚が理解できた。そもそも性欲自体ごく薄いのだ。敢えて人前でとはもちろん思わないが、かといって人がいるからと嫌がる理由も別にないように思う。生得的なものか、環境的かの違いはあるが、福地が初めて共感できる感覚の主が異世界人とは、と福知は半ば感動し、半ば呆れている。

(江間君ならどうしただろう)

 福地はふと思い浮かんだ疑問に、一瞬動きを止めた。

 福地にとってはどうでもいい問題だが、人前で行為をするというのが一般に受け入れがたいというのは知識として判断できる。だが、彼なら?

(相手が宮部さんなら死んでもしない。彼女の寝顔を他人に見せることすら嫌がっていた。でも彼女以外の相手なら案外割り切って僕と同じことをするような気も……)

「……」

 生きていてくれたら確かめられたのに、と考えたところで、不毛さに気付いて福知は目を瞬かせた。ウフェルの前で気を緩めれば、死ぬこともある。実際に殺される人間を何人も見た。一体何をやっているのか。

『……失礼いたします』

 気を取り直し、手のひらの泡をウフェルの背筋へとあて、うなじに向けて逆撫でた。彼女の体が震えたのを確認、その後横から顔つきを慎重にうかがう。睨まれている。が、本気で怒っているわけではない――微妙に気に入らないながら、相手を憎めず、それゆえ怒れないという表情だ。

(だから正解は……)

 ウフェルへと再度微笑みかければ、見込み通り彼女は小さく眉をひそめ、『大人しく洗うがよい』と言って息を吐き出した。


 言われたまま、彼女の全身を泡で洗っていく。

『これはメゼルで、作られた、のですか?』

(せっけんの存在自体は古いはずだ。だからこの世界で作り出されてもおかしくないが……)

 作業の中途訊ねた福知に、ウフェルは不機嫌を露わに頭を斜にした。

『大陸中の美しいもの、稀なものが集まる、趣のある古い街だ。いずれ手に入れるが、あそこの領主、ディケセル国王の弟が中々食えない奴でな』

『確か、シャテラン、ディケセル殿下、でしたか。兄王の信頼がおおく? ディケセル国内で、次々に領地を、増やしていると、聞きました』

『ああ、兄王の愚鈍さに引き立てられている面はあるが、それを差し引いても有能な男だ。何より美しい。わらわのコレクションに加わるなら、王配の地位をくれてやると寛大に言うてやったのに逃げおった』

≪シャテラン・ディケセル殿下に、お会い、たしました。私、稀人に、たくさん、ご興味、を、お持ちで、日本語を、お話しください、り、ました≫

 宰相についてディケセルの王都セルを訪れた寺下が、ディケセル王弟に会った印象を語っていたことを思い出す。その時に妙に高揚していると思ったのだが、なるほど、そういうことだったのか、と福地はディケセル王弟に関する情報を上書きする。

『シュジギのような男だ。……なるほど、わらわをこのまま拒み続けるようであれば、いっそ剥製にして飾ってやるのもよいやもしれぬな』

(『シュジギ』とは、確か山に住むヒョウに似た大型の野生の獣のはず……)

 遠くを見つめ、攻撃的な笑いを見せたウフェルの様子を福地は仔細に観察する。間違いない。ディケセル王弟を女王はかなり強く意識している。

(――つまりそれだけ利用価値がある)

 跪いてウフェルの足を洗いながら、福地は口角を微かに上げた。この女と相討ちするよう仕向けられないか、情報を集め、策を練るとしよう。



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