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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第15章 化かし合い、探り合い ―メゼル―
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15-10.“アヤ”

「……」

『……』

 霧立ち込める圃場の小道を、シャツェランと手をつないだまま無言で歩く。

 横から感じる視線が色々な意味で鬱陶しくて、逃れようと郁は首周りのマフラーの中に顔を埋めた。その瞬間、この世界に来て馴染むようになった香りが鼻を突いて、顔を跳ね上げる。自分でも顔が赤くなっているのが分かる。

『それはエマのか』

 後ろめたい気持ちになっているところに、まさにその話題を振られて、ぎくりと硬直した。

『いつ、婚約した?』

 ――というか、そんな関係には見えない。

 霧の中を静かに響いてきた言葉に、郁は緊張を取り戻す。慎重にシャツェランの表情をうかがおうとするが、霧のせいでうまくつかめない。

『最近です』

 余計な情報は出さないと決めて手短に答えると、相手に質問を振り直した。

『殿下こそご婚約は?』

『その話題はいらん』

「……」

『自分から言い出した癖にとでも言いたげだな』

 思わずジト目でシャツェランを見れば、彼は口をへの字に曲げた。その顔が子供そのもので、また十年前の記憶が呼び起こされる。口元がふよりと緩んでしまった瞬間、シャツェランが目をみはった。

「……」

 眉根を寄せて、正面へと視線を戻す。きっと霧のせいだ。どうも調子が狂う。

『……とりあえず一人と言われるが』

 繋いだ手に力が込められた。

『一人でいい――共に未来を見られる相手が欲しい』

『そう、です、か……』

 ひどく意外なことを聞いたような気がして、郁はまじまじと彼を見つめた。

 思うまま好きな妃を複数選んで、利用できるところだけ利用、面倒くさくなったら切っていくというイメージしかなかった。

『……それだけか?』

『では……賢明でいらっしゃるかと。人数が増えればめんど、大変なこともあると僭越ながら』

 彼の好みが郁の妹の佳乃のような人間だとすれば、あんなのを複数選べば、国が亡ぶ。

『今、面倒臭いと言おうとしただろう』

『気のせいです』

 明らかにむっとした顔をしたご領主様こそが、一番面倒なのだといい加減気付いてほしい。


 メゼルの湖から風が吹いてきて、霧が一段と濃くなる。


『なあ、ギャプフで「ガッコウ」には行ったんだろう? 意見を聞かせてくれ』

『うまい仕組みだと思いました』

『稀人から教わった。外から来た人間を平和裏にこの国に同化させるには、実に優れた方法だ』

 そう言いながら、シャツェランは殊更にゆっくり歩いて、先に先に行こうとする郁の手を後ろに引く。

『何より生まれに関わらず、優れた者を見つけ出し、その者の才能に合った仕事をさせることができる――稀人の国には、「テキザイテキショ」という言葉が、あるのだそうだ。適した者を適した場所に、という意味らしい』

≪田畑を耕す者と国を治める者に、同じ教育を施す必要もなければ、耕す者にはそもそも理解すらできないだろう≫

『……なるほど』

 昔あんなふうに言っていたのに、と郁は瞬きをして、幼馴染を見た。

(人は変わる。そして、彼を変えたのは、やはりリカルィデのサチコさんだった。あとで彼女に教えてやらなくては)

 そう思いながら、後ろに引っ張られる手を振った。何かを「シッシッ」と追い払う仕草に似てしまっているのは、きっと気のせいではない。

『本気でどこまでも無礼な奴だな』

 その通りなのだから嫌なら放せ、と思うのに、わざわざ握り直されて、郁はため息を吐いた。

 立ち止まると、霧の中のシャツェランを見る。

『私から見た「ガッコウ」の一番の利点は、貧しい人たちや避難民たちに希望を与えていることです』

 故郷を失くして着の身着のまま逃げてきた場所で、やり直す機会が、貧窮から逃げる手段が用意されている――。

 惑いの森から出てすぐ、ギャプフ村のキャンプに入るための審問を受けるべく、郁たちは避難民の列に紛れ込んだ。荒んだ目つきをして後ろに並んでいた若いロナーヴァ人が、「ガッコウ」で出会った時は、『ここで、いつか、お店持ちたい』と片言のディケセル語で笑っていた。

『その人たちを支える統官も管理官たちも役場の人たちも、みないい人でした』

 避難民たちが最初に出会う審問官もキャンプの管理官たちも、村とキャンプの両方を管轄する役場の人間も、そのトップの統官も、皆善良で真面目だった。

 メゼルの城で出会う人たちも基本同じだ。

 それはディケセル人の民族的な気質だけでなく、上に立つ人間の姿勢が反映されてのことだろうと思う。

『メゼルディセルは、良い“国”です』

 シャツェランは嫌いだ。でも、シャツェラン・ディケセルはいい領主だと思う。

『……』

 青い目を目いっぱい見開いている顔に、幼い頃の面影がそのまま重なる。口を小さく動かすのに、結局声が出てこない。それが彼らしくなくて、郁は笑いを零す。

 その隙に、抜かりなく手を振り払った。

『っ、おいっ』

 再度手を伸ばされて、すっとかわす。シャツェランの眉間に皺が寄ったが、霧にかこつけて、都合よく見えないことにした。

 自分でも大人げないと思うが、彼を見ていると、懐かしさと同時に必ず妹とトゥアンナの顔がちらつく。一緒にいたくない。話したくもない。まして触れられたくなどない。

 歩き出しながら、握られていた手を払う郁にシャツェランが追い付いてくる。

『霧の中でうろうろするな……っ』

『迷子になったりはしないので』

『っ、アヤっ』

『――アヤじゃない』

≪お前の本当の名はアヤじゃない≫

 彼に焦ったように名を呼ばれた瞬間、驚くほど低い声音が自分の喉から出た。その音を聞いて初めて、自分があの晩からずっと怒っていたことに気付く。

(ああ、そうだ、ずっと一緒に過ごしていたのに、彼は会って数か月の、妹の佳乃に言われるまま、郁の呼び名が「アヤ」ではなく、「カオル」だと信じた。自分と同じディケセル王族である、トゥアンナの非を認めたくないがために。彼女の非を、郁の最愛の祖父コトゥドに押し付けるために――)

『……ミヤベ、です』

 頭に上った血を何とか下げると、郁はシャツェランの目を冷たく見据えた。


 厚い雲がどこかで割れたらしい。射しこんできた日の光を、霧が乱反射する。周りが淡い光に包まれ、周囲にあるはずのものがうまく見えない。

 その光の真ん中で、キラキラと光るシャツェランの青い瞳は、怒っているようにも、何も考えていないようにも、悲しんでいるようにも見えた。

『……避難民キャンプで、何を考えて、疫病の患者を助けた?』

 平坦な声でのいきなりの質問に、郁は眉根を寄せる。何の意図があっての質問か、わからない。

『答えろ』

 高圧的な言葉なのに、高圧的な感じがしない。彼らしいのに、彼らしくない。

 郁は眉間の皺をさらに深くしつつも、あの悪夢のような日々の始まりを思い返した。

(始まりは……そうだ、フォーショだ。兄の一人を失った彼が江間に「助けて」と。それで一緒に彼の住まいに行って、惨状を目の当たりにして、私は怖くて固まった。なのに、江間は固まらなくて……)

 無意識に首元のマフラーに手をやる。

『約束を果たすためです』

 江間との約束、リカルィデとの約束、そして祖父母との約束――すべきことをする。そうして、彼らに顔向けできる自分でいたい。最初はそれだけだった。

 なのに、彼らとの約束は郁の日常をがらっと変えた。ずっと誰とも関わらないようにしてきたのに、約束を守ろうと必死になるうちに、色々な人と接さざるを得なくなった。

 そうしたら、統官や管理官たち、雑貨店主のヒュリェル、キャンプの世話人のお祖父さん、洗濯場で一緒だったおばさんたち、学校の顔見知りやフォーショの家族、患者、せっけんや経口補水液で助けられたと言う、それまで存在すら知らなかった人たち――たくさんの人がたくさんのものを郁に返してくれた。

 人々は郁とは関係ないところで暮らしていて、郁はそれをモニター越しに見るだけ。モニターの向こう側の世界に入れることはない、とずっと諦めていたのに、彼らは郁をそっちに入れてくれた。

 だから、約束を守ることで守ってもらったのは自分の方だ。祖父母だけじゃない、江間にもリカルィデにも自分はそうやって救われた。

「……」

 四人の顔を順に思い浮かべたら、シャツェランと一緒にいるせいで荒んだ気持ちが、少し凪いだ。

『……そうか』

 霧が晴れていく。シャツェランの向こうには兵士団長と、いつの間に集まっていたのか、グルドザたちが二人、控えていた。

『……霧が晴れたな』

 天から届く陽光が増えるにつれて、白い靄が散っていき、メゼル湖の青い水面が姿を見せる。

 そちらを見ていたシャツェランが、郁へと向き直った。その顔は自信と傲慢さに溢れた、いつものシャツェランだった。

『また話しに行く』

 静かな宣言に、郁は目を見開く。

『私も“また”約束が欲しい』

「……」

 疑念と嫌悪を隠しきれず、目を眇めた郁に、彼は口角だけを歪に上げると、『私はどこまでも強欲なんだ』

 そう言って、踵を返した。


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