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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第15章 化かし合い、探り合い ―メゼル―
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15-3.図書館と叔父(リカルィデ)

 記録のために用いられる物は、石や木から粘土、ホダ革、植物の繊維を砕いて乾かす今の紙というように時代を経て変化してきた。ここメゼル城には王弟殿下が集めた古今東西のありとあらゆる書物が保管されているとのことで、それに相応しい、美しい書物棟がある。

「ここだな」

 江間が知の女神アリュナの彫刻が施された大きな扉を押す。巻頭衣の長袖から覗く彼の前腕の筋肉が、加わる力に応じて盛り上がった。

 ぎぎぃっと重い音を立て、分厚い扉がリカルィデの目の前で押し開かれる。

『……わあ』

 ここまで抱えてきた緊張を上まわる感動に、思わず声が漏れ出た。

「体育館四つ分はある……?」

「天井も高……すごいな」

 宮部と江間も目を丸くしていて、なんだか嬉しくなった。


 リカルィデの思い出の場所である、ディケセル王城の書物庫は数代前の王までは他国に羨まれるほどの蔵書を誇り、たくさんの蔵書師が働く美しい場所だったらしい。けれど、リカルィデの頃には数人の年老いた蔵書師が乱雑に書物を積み上げるだけの、埃まみれの陰気な場所に変わり果てていた。

 それでもサチコが用事で側にいない時などリカルィデはずっとそこの片隅にいて、本を読んで過ごしていた。性別を隠すため、誰とも接触してはいけないと王妃たちに言われていたリカルィデが居られる場所は訪れる人が滅多にいない、そこしかないという事情もあった。

 その書物庫でリカルィデはあらゆる本を手に取った。古い伝承を読んで昔を想像し、今を考える。これまで知らなかった知識に胸をときめかせ、自分の身の回りのことに当てはめてみる。物語の中に入っていって、自分だったら、と想像することもよくやった。現実のリカルィデは誰の目からも隠れてこそこそ生きていたけれど、本の中でならどんな自分にもなれた。

 蔵書師たちはそんなリカルィデのためにこっそり本を選んで、積んでおいてくれた。人目を避けるように、それぞれが本にかこつけて話しかけてくれることさえあった。書架を挟んで背中合わせの形をとりながら、独り言のように色々なことを教えてくれた。

 中でも一番楽しかったのは、帰ってきたサチコにその日読んだ本について話すことだった。微笑みながら話を聞いてくれて、疑問に答えてくれて、サチコもわからない時には一緒に考えたり調べたり。

 あっちの世界、日本には「トショカン」というのがあって、誰でも自由に本を借りて読めるのだ、とリカルィデに教えてくれたのもサチコだった。

“アーシャル”だった自分を救ってくれたのはサチコと、そして本だとリカルィデは思っている。

 だから、噂に聞く王弟の領地の書物棟を一度見てみたい、とずっと思ってきた。期せずして、“アーシャル・ディケセル”ではなく、ただの“リカルィデ”として憧れの書物棟を見ることができたわけだが、喜びは束の間だったらしい。


『話は聞いております。学処の蔵書司長、ガクレモ・セデアルです。この者はスムザ・リィアーレ、わからないことは彼女に聞いてください』

『エマです、しばらくお世話になります』

『ミヤベです』

『……リカルィデと申します。よろしくお願いいたします』

『は、はははい、スムザです、お、お役に立てるよう、尽力します』

 担当として紹介されたまだ若い蔵書師の顔は真っ青で、同じ心境のリカルィデは強い親近感を覚えた。

 奥へとずらりと連なっている書架の前に設置された、三ガケルほどの受付机。その前に立つ彼女のすぐ横に並んでいるのが、蔵書司長だ。そこまでは理解できる。

 問題はその横にオルゲィ内務処長を含む、見るからに身分の高そうな人がずらりと並んでいること、その中心で本棚にもたれてこっちを見ているのがディケセル王弟にしてここメゼルディセルの領主、シャツェラン・ディケセルということだろう。

『……』

 王城で何度か会った叔父と目が合った瞬間、リカルィデの心臓はぎゅっと縮まった。以前と同じように顔を俯けそうになるのを、必死に押しとどめる。

(違う人間だと印象付けなくてはいけないんだ、動揺するな――大丈夫、私はやれる)

 サチコが授けてくれたおまじないを思い出しながら、リカルィデは江間と郁に合わせて礼をとる。彼らと違って女性用の跪礼だ。

(左手を胸にあて、右手指を動かしてリネルを摘まむ。左へと巻き寄せて左足を引き、膝をつく。顔は挨拶の相手からそらしてはいけない――)

 ただリネルをつまむ指先の震えだけはどうにもならなかった。

 サチコは王弟を褒めていたし、亡くなる間際にも「どうしようもなくなったら、王弟殿下を頼りなさい。私の唯一の願いだと言いなさい」と言っていた。惑いの森で王弟の元に行こうと宮部達に言ったのもそのせいだったのだが、正直に言えば、リカルィデは王弟が怖い。

 王弟はいつもリカルィデ、いや、アーシャルを蔑む目線で見ていた。一度話しかけられた時に当時の王妃の側仕えの者が代わりに答えてからは、視線が一層冷たくなったように思う。

 何より彼がまとう空気がリカルィデは恐ろしい。側にいるだけで身が竦んでしまう。同じく疎遠だった、父でもあるディケセル国王にそんな感覚を覚えたことはないのに。

 今も感情の読めない、深い青の瞳に無言で見つめられて、心臓が痛くなってきた。サチコが手放しに絶賛していた人だ、何もかも見透かされていたりしないだろうか……?

『あー、怯えてますねえ』

『……エマ』

 王弟とリカルィデのひそかなやり取りを目敏く認めた江間が、リカルィデを見てそう口にすれば、王弟は呆れたような声を出した。リカルィデもこっそり息を吐き出す。

『お、お前は文官見習いどころの話ではない、行儀見習いからやり直してこいっ』

『あー、大変失礼しました。皆様への紹介の、なんだっけ? きっかけ?』

『タイミング』

『いつもありがとうなー、宮部。紹介のタイミングがわからなくて』

 泡を飛ばして怒鳴りつけてきた男性にひょうひょうと笑いながら、江間は王弟たちへとリカルィデを紹介した。その次に逆も。それによれば、先ほど怒鳴っていたのがボルバナ財務司長、その横がアドガン見聞処長ということらしい。

『……』

 彼らに向けて先ほどと同じ、ただし膝を軽く曲げるだけの礼をとる間、目の三方の白眼が目立つアドガンから全身に視線を感じた。

(私が公用通知文を読んだことをこの人が調べ上げた……)

 王都セルの城でも見かけた、他人が知り得ない情報に精通する者特有の雰囲気に、リカルィデは額に汗を浮かべる。

 彼と出会った覚えはない。だか、本当に? 彼は自分の正体をアーシャルだと知っていたりはしないだろうか……?

『随分と緊張しているようだが』

『こ、ちらの書物棟を拝見することができたのは嬉しい、ですが、私が本当にお役に立てるかどうか、と……でも、精いっぱい努めさせていただきます』

 その彼に話しかけられて、心臓がバクバクと音を立てる中、リカルィデは震える声で返事をする。

『公用通知文が読めるほどだ。謙遜することはないのでは?』

『あの、通知文が読めるというのは、そこまで珍しいことなのでしょうか……すみません、私の知識はどうも偏っているらしくて』

『メゼルディセルのようなガッコウがない場所では書物どころか、そもそも文字に接する機会が限られています』

 来るだろうと予想していた質問に、リカルィデと宮部は練習通りに答え、地方の役場などで掲示される通知文を見て学んだ、とほのめかす。

『あ、あの、だから、こちらで勉強できる機会をいただいて、本当に幸せです。ええと、アドガン様とボルバナ様にも、お口添えいただいたと伺いました。ありがとうございます』

(ええと、両の口角を自然に引き上げて、唇は薄く開く。歯を見せすぎない。下瞼を心持ち上げながら、幸せそうに、はにかんだように……)

 昨日鏡の前で顔の筋肉が引きつるまで江間に練習させられた笑顔は、ちゃんと再現できているだろうか?

『が、頑張りたまえ』

『……』

 片眉を微妙に跳ね上げて自分を見る王弟の横で、財務司長が一瞬言葉に詰まってからもごもごと答え、見聞処長は無表情に頷いた。ちらりと横を窺えば、宮部が複雑そうな顔をしている。彼らの様子を見る限り、それなりに成功したとみていいのだろう、とリカルィデは胸をなでおろした。


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