15-2.アイデンティティ(リカルィデ)
(まだ眉がひりひりする……)
翌日、江間と宮部に連れられたリカルィデは顔を伏せたまま、内務処塔に向かってメゼル城内を足早に歩く。
『おはよう、エマ、ミヤベ、今日も仲いいな……って、リ、リカルィデ?』
前から来たのは江間と仲のいいコルトナというグルドザだ。所属は軍ではなく内務処で、主に江間の監視ではないかという。実家の位も青月、上から三番目でそれなりに身分が高い。だが、身分はおろか監視であることも全く感じさせない気さくな人柄で、ヒュリェルの雑貨屋『薫風堂』にもマメに顔を出して、いつも陽気に声をかけてくるのだが……。
『う、あ……』
ぽかんと口を空けたコルトナに顔を凝視されて、リカルィデは口の両端を限界まで下げると江間の背に隠れた。
『あー……しばらく城に手伝いに来ることになって緊張してるんだ、すまん』
『え!? 城に? じゃあ、リカルィデも毎日来るのか? マジで! ……って、嬉しいけど、その、なんか心配というか』
そういう間もコルトナの視線が自分から外されなくて、リカルィデはさらに身を縮めた。
昨日リカルィデは、宮部にあの火箸のようなもので眉毛を引っこ抜かれた。細いほうが女の子らしく見えるという理由だったが、涙が出るほど痛かった。
それから服を買いに街に連れていかれた。江間曰く、領都の若い女の子たちの間で評判の店らしく、それを聞いた宮部が『さすが江間、詳しいね』と冷たく微笑んで、その空気に別の意味でまた泣きそうになった。
でも本当に泣いてしまったのはその後――その店の女店主に選んでもらった服を試着した時のことだった。
城に見習いとしてあがるのに適した、落ち着いた服として店主が見繕ったのが、今着ている少し紫がかった、暗い赤のような茶のような色のリネルだ。城で下働きや侍女として働く女性たちが身につけている、布やレース、リボン飾りのある華やかな色合いのリネルと比べるとすごくシンプルで地味。見ていて可愛いとは思うものの、ああいう服を着るのは抵抗があったから、渡されたリネルに正直ほっとした。
なのに、いざ着てみたら愕然とした。
リネルの首周りと袖と裾には半透明の白糸で蔓草の刺繍がしてあって、動く度に微かに光る。首周りは大きく開いているわけではないけれど、ハートの形に中央に切り込みがあって、鎖骨の一部が見えてしまう。胸や胴、腰回りも、ゆとりはあるものの体のラインに沿う造りで……着替えて鏡を見た時、それが自分だとリカルィデはまったく思えなかった。
短かった髪は顎に届くぐらいには伸びた。長くなって初めて、それが光を反射するものだと知った。細く尖っていた顎にもそげていた頬にも少し肉がついている気がしたし、宮部のいう通り細く整えられた眉毛は男のものじゃない。
一番衝撃的だったのは、体が変わってきていることだった。前、宮部がくれたリネルを着た時とは比べ物にならないくらい、胸が、腰がはっきりと曲線を描いている。
『お似合いですよ。お嬢様のような美しい方に着ていただけるなんて、この稼業に身を置く者としてこの上ない喜びです』
『……』
鏡の中でそう微笑んでくれた店主に笑い返そうとして、できなかった。
(誰、なんだろう、私は……)
アーシャルと、ディケセル国の第一王子と呼ばれた。男らしくあれ、女だと疑われるな、と言われた。男たちがするようにふるまえば、名前も覚えていない誰かが自分をほめた。女たちの真似事をすれば、名前も知らない誰かにぶたれた。
サチコだけは「あなたがしたいように」と言い続けた。死の間際にも「今は無理かもしれない。でも、なりたい自分になる権利があることを忘れないで、諦めないで」と言い残した。
でも、「したいように」も「なりたい自分」もわからない。
(前は言われるまま男のようにふるまって、今度は? 女のように…? 私は一体誰なんだろう、何なんだろう――)
ガチャっと音を立てて、試着用の小部屋の戸が開いた。
『まあ、ご兄弟とはいえ、さすがに失礼でしょう』
女店主の言葉を無視して宮部はリカルィデを見つめ、「……やっぱり」と悲しそうにつぶやいた。気まずくて目を逸らせば、ずかずかと近寄ってきた宮部にぎゅっと抱きしめられ、宥めるように背をトントンと叩かれた。
「どんな格好をしていたって、名前がなんだって、リカルィデが、あなたがあなたであることに、変わりはない」
そして、耳元で日本語が、サチコの国の言葉が響いた。
「アーシャルでも、リカルィデでも、私はあなたが大好き」
小さく、けれど、はっきりと一語一語区切るように告げられた言葉がリカルィデの中にじわじわと広がっていく。別の意味で鼻の奥がツンとして来て、リカルィデは宮部にぎゅっと抱き付いた。
「……嫌ならいいぞって言ってやりたいんだが、すまん」
後から入ってきた江間にも戸惑っていたのを見抜かれたらしい。さっき女店主が見惚れていた奇麗な、でも男らしい感じの顔をしかめて、申し訳なさそうに近寄ってきた。
「ごめんね、リカルィデ」
二人の苦しそうな、申し訳なさそうな顔を見ていたら、死の間際まで自分を気にかけてくれた育て親の影が二人に重なった。彼女も心配そうに見ている。
『……』
(サチコ、私、今、結構自由だよ、自由になれたよ。でも、そうなったら、自分が何なのか、誰なのか、余計分からなくなったんだ。でも……自分がどうしたいかは、少しわかるようになった気がする。私はミヤベの、エマの力になりたい。彼らが私のためにそうしてくれるように――)
「……大丈夫、男か女かの違いはあっても、ふりをするのは得意だ」
そして、何でもできる気になって、そう調子に乗って言ってしまった。
のだが――
『だってこんな子を……。城って嫌な奴も変な奴もいっぱいいるしさ……』
眉間に皺を寄せたコルトナの淡い緑の目もここに来るまでにすれ違う人たちから受けた視線も、ものすごく居心地が悪い。
昨日はあんな風に言ってしまったけれど、やはり自分に女の子のふりは無理があったのではないか、とリカルィデは消え入りそうな気分になる。ふりも何も自分は本当は女だと思うと、情けなさは倍増した。
『ありがとう。じゃあ、コルトナ、悪いがリカルィデのことを気にかけてやってくれるか?』
『!? じゃ、じゃあ、ミヤベ、お義兄さんと呼ん』
『――却下』
宮部の『飛躍しすぎだ』という冷たい視線に、彼女より一ソケル以上背の高いコルトナが半泣きになった。
その様子を面白そうに見ていた江間がリカルィデと目を合わせ、「よろしくお願いしますって言いながら、笑いかけろ」と小声で伝えてきた。
頭を疑問でいっぱいにしながらも、江間が言うのだ、何か意味があるに違いない、とその通りにした。
『っ、もちろん、もちろん、俺を頼ってくれ! リカルィデが望むなら、なんだってするから! 本気で!』
……ら、リカルィデはそう叫んだコルトナに両手を握り締められ、その横で大笑いした江間は宮部に足を踏みつけられていた。
『……』
なんでだか、緊張がほぐれたことは感謝しようと思う。
他にも思うところは色々あるけれど、一つはっきり言えることがある。コルトナは監視としては、多分ダメだ。
あと、エマ、もう少し緊張してくれてもいいんじゃないか……?




