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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第11章 歪 ―バルドゥーバ―
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11-1.歪(寺下)

『テラシタ様、お飲み物をお持ちいたしました』

『……いらない』

『は、はい』

『違う。あなた、のこと』

 今朝新しく自分につけられた侍女が差し出してきたサッ茶を一瞥し、寺下は『いらない』と言うと、背後の付き人バガンレを振り返った。

『……畏まりました』

 あっさりと受け入れられたことで、サッ茶のせいで害した気分を上回る満足を手にし、寺下は微笑む。

 この世界の貴人が好んで飲むという“茶”が、寺下はどうしても好きになれない。この城に来てかなりの月日が経とうとしているのにそんなことすら知らない、気の利かない人間は自分にはふさわしくない。バガンレもその上役たちもそれを認めている――

「……」

 寺下は自信に満ちた笑みを顔に浮かべながら、自室の窓辺へと歩み寄る。耳に付けた金のイヤリングがシャラリと音を立てた。


 雲一つない青空の下、寺下の眼下に広がるのは、強い日差しに輝く白亜の街並み。広い街路にも砂漠から運んで来たという白い砂が敷き詰められ、両脇には向こうの世界でのヤシに似た植物が整然と植えられている。

 その光景が歪んでいるのは、ガラスが均質ではないせいだろう。

『バガンレ、ガラスの、て、ていと、が、悪いわ』

『……手配いたします』

 間違った単語をそうと指摘してもらえなかったことに気付かぬまま、寺下は彼の答えに寺下は微笑んだ。

(――私には価値がある)

 鼻を鳴らしながら顎を突き上げ、視線を巡らせる。

 黒い石で作られたこの城の美しさは、白い宝石のようなこの街の中で余計際立つ。

 惜しむらくは白く気高い街の外郭の向こうに見える、汚らしいスラムだろう。あれさえなければ完璧なのに、と寺下はこちら風に整えた眉を寄せた。

 あそこでは疫病が流行り、続々と死んでいっているというが、あれほどおぞましい場所に平気で住む者たちの街なのだから当たり前だ。

 嫌悪に目を眇めていた寺下は、次の瞬間、薄い唇の両端をにぃっと上に吊り上げた。

 すべて焼き払ってしまえばいい。これから雨期に入るそうだから、乾期の今のうちにやるべきだ。病人が死に絶えれば、病も消える。

 公衆衛生の面でも美観の面でもいいのだ。我ながらいいアイディアだ。早速宰相に提言することにしよう。


 寺下たちがこの世界に来たのは向こうの世界の三月、こちらでの生終の期だ。今は九月、継終の期の始まりだから、五か月は経ったことになる。

 最初は向こうに帰りたいと思っていたが、最近ではそれほどでもなくなってきた。

『――バガンレ、宰相様と、お約束は、いつ、ですか』

『降の二刻です。フクチさまもご一緒だとうかがっております』

 宰相だ、この国のNo.二――あの忌々しい森で寺下を佐野や菊田などと一緒に使えない人間扱いしたあの宰相が、今は会いたいと約束を取り付けてくる。城に来てしばらく会うこともできなかった福地とも、かなり自由に会えるようになった。それもこれも周りの空気を読み、期待に応える努力したからこそだ。

 寺下はバガンレの答えに、満足と誇りらしさで鼻を鳴らす。

(ここでようやく私は正当に評価されるようになった。私は菊田せんぱ、菊田や佐野とは違う――)



「普通そうよ。みんなもそうでしょう」

「他の人はどうなの? 仲間外れにならない?」

「あの子と付き合ってはダメ。あなたまで変だと思われるわ」

 寺下の母は、事ある毎にそう言った。そして、それは正しかった。

 “普通”から外れた子、“変”な子が仲間外れにされて、学校から塾から消えていく、みじめな顔をしながら。

 ああはなりたくない――そう思って、寺下は周りをよく見、反応を窺いながら、自分の行動を決めてきた。


 親の言うままひたすら勉強したけれど、勉強しすぎているようには見えないよう、細心の注意を払った。たとえいいことであっても、いや、いいことだからこそ目立ってはいけない。

 流行を押さえたおしゃれをしなくていけないので、その手の雑誌は何冊も買っていた。でも、行き過ぎないよう注意した。顔やスタイルのレベルに見合っていないと目を付けられる。

 部活も一応入っておいた方がいい。でも特にやりたいことが思いつかなかったので、親の勧めた通り茶道部に入って、そこで週に二時間程度適当に話をして過ごした。友達がいないと変に思われる。

 どこかのグループに入り、そこからはじかれないように過ごす。誰がグループのリーダーで誰がはぶかれる可能性があるのか、自分がそうならないためにどうすればいいか、よくよく注意した。

 一人でいる子や目立つ子とは距離を置いた。出る杭は打たれる。それに付き合わされるのはごめんだった。


 そうして寺下は“外される”ことなく生きてきた。その中で寺下のようにうまくふるまえず、外される子を見かけることもあった。ちゃんと周りの空気を読んで上位の子の機嫌を取って、はぶかれないようにふるまえばいいだけなのに、それができないのだ。なんてみじめなのかと離れた場所から嘲笑した。

 外れている子に近づけば、自分が外される。こんなに努力している自分がそんな目に遭うのは絶対に納得がいかない。


 十八になった寺下は、必死の勉強の甲斐もあって晴れて憧れの大学に入った。そこで特別な人を見つけた。

 その彼、福地は寺下と同じように周りをよく見、よく考えて行動する人だった。頭は寺下より断然良いと思うのに、そうとは見せず周りの信頼も得ている。

 すごいのは寺下と違って彼は目立つ人間――例えば、芸能人と言われても驚かないほど整った、陽キャそのものの江間や、人と全く交流しようとせず、周りから外されまくっている宮部のような変人とでもうまくやれることだった。

 そして、そんな完全な彼に「寺下さんは一緒にいて居心地がいい」と言われた瞬間、寺下は恋に落ちた。

 自分も彼と同じように、彼といると居心地がいい。初めて目立ちたいと思った。彼の前だけでいい、彼の目を惹きたい、と。


 だが、中々うまくいかなかった。ひたすら目立たないことばかり考えてきたから、どうやれば誰かの注意を惹けるのかまったくわからない。

「江間君はすごいよね。天は二物を与えずと言うけれど、彼に限っては当てはまらない」

 福地が特に親しいのは江間。何かと一緒にいるし、よく彼を誉めている。だが、江間のようにあれだけ目立ちまくっていながら、外されることがないどころか、常に大勢の中心にいることができる才能は寺下にはない。

 そもそも寺下は江間が苦手だった。集団から外されるのは本人の自業自得なのに、彼はそんな人間に当たり前の顔で声をかける。それで助かって集団に受け入れられるようになっていく人間もだが、そんな彼こそ許せなかった。偽善者め、と思っていた。

 一度、寺下はそのイライラを顔に出し、うかつにもそれを江間本人に見られた。非難されるかと身構えたのに、目が合った彼は微笑んだ。その整った顔に見惚れた瞬間、「――ただの傍観者より性質が悪そうだ」と、彼は美しい笑顔のまま呟いた。全部ばれていると悟って、寺下はそれから江間を避け続けている。

 彼は陽気で親切、寛容にふるまう一方で、恐ろしく鋭くて冷静、媚びが通じない。人を惹き付けて常に中心にいる上、本人の能力にも容姿にも欠点がないあんな人間に目を付けられたら、ひとたまりもない。いくら福地に気に入られるためとはいえ、そんな江間をまねることなど寺下には不可能でしかなかった。


「宮部さんのレポート、読んだ? 彼女、本当に優秀だよね。江間君とどっちが上かなあ。あんなふうだけど、教授たちの受けはいいんだよね」

 福地が目を止めている様子がある女性は宮部だった。皆から外されている彼女がなぜ、と最初は憤った。

 寺下と同じくらい地味な見た目でありながら、堂々と孤立する神経の主だ。しかも寺下がこれまで見てきた人たちと違って、周囲や寺下がそのことで宮部を嘲笑っても、欠片も気にする様子がない。

 寺下の人生で最もイライラする相手である宮部が、福地の彼女になることだけは許せなかった。

 だが、よくよく見ていれば、福地は異性を意識するように宮部を見ているわけではない。さりげなく聞いてみたら、福地本人も否定してくれて胸を撫で下ろしたのだが、それで福地と寺下の関係の何が変わるわけでもない。

 寺下はどうしたらいいかわからないまま、福地に女性たちが寄ってくるのを、ただただ指をくわえて見ていた。


 そんな時だ、この世界に来てしまったのは。

 一緒に来たのは福地と江間、菊田、佐野、そして宮部だ。

 福地と並ぶほどに頭の良かった宮部と江間は、早々に不幸なことになった。周りへの同調を怠った結果“外されて”、まず宮部が死んだ。次にみんなで止めたのに、既に死んでいるだろう彼女のところへわざわざ行った江間。

 この世界であれば、宮部にも色々使い出があったのだから、もう少し空気を読んで大人しくできていれば、誰も外そうとはしなかった。江間も偽善者ぶってそんな宮部なんかに肩入れするから、死ぬ羽目になったのだ。二人とも自業自得でしかない。

 皆に同調して心配したり悲しんだりして見せたが、寺下は一番目障りな二人が消えたことに歓喜していた。特に江間が死んだことは、寺下に大きな安堵をもたらした。寺下の集団から外されないための苦労など、彼のような人間の気分を損ねればまったく意味がなくなる。


 二人とは比べ物にならないが、三か月前に砂漠にやった菊田も邪魔だった。せっかく福地が苦心してこの国に連れてきてくれたのに、立場もわきまえずただ不満を言い連ね、何の努力もしなかった。

 結果、バルドゥーバ人たちの不興を買って“外された”というのに、それに気付きもしない。彼女のような無能な人間のせいで、努力している自分まで危うくなるのはごめんだし、砂漠なら気を使う必要のある人間はいない。彼女としても幸せだろう。



「次の問題は……」

 寺下は佐野の顔を思い浮かべながら、目を眇める。


 昨日開かれた城の夜会で久しぶりに出会った佐野は、福地や寺下には劣るが、拙いながらもディケセル語で会話ができるようになっていた。もともと英語が苦手だったことを考えれば、恐ろしいスピードで習得している。そして、ソシャと呼ばれる横笛を披露していた。大勢の耳目を引いて――。

 演奏後の彼女の周囲には、人だかりができていた。皆興奮気味に彼女の音楽を、そして彼女自身を褒めちぎっていた。


「あんなの、向こうの世界の音楽だからじゃない……」

(佐野自身がすごいわけでも何でもないのに――)

 奥歯がギリリと音を立てる。


 彼女は宮部や江間、菊田のように好きにやるタイプではない。福地や寺下同様、周囲の空気を読んで行動する。

 いつまでも泣きわめき続けた菊田と違って、彼女は早い段階で口を噤み、バルドゥーバに馴染もうと言葉や礼儀作法を大人しく学んでいた。

 しばらくして菊田が砂漠に行ったことも影響したのだろう、彼女は必死で努力していたようだった。


 そうして彼女は本領を発揮していったのだろう。

 小柄で顔立ちも可愛らしい彼女は、明るい声でよく話し、よく笑う。機転に富んだ会話で周囲を笑わせるのも、相手の自尊心をくすぐりながら甘えるのもうまい。向こうでそうだったようにこちらでも人を、男を引き寄せて、その中心で笑っていた。

(その上、楽器を弾く才能があっただなんて……)


『佐野さん、落ち着いてくれたみたいで、良かった』

『……本当。心配して、いた、です。ほうと、しました』

 夜会に遅れてやって来た福地とディケセル語で会話をしながら、寺下は人だかりの中心にいる佐野を知らず睨みつける。

『女王陛下も、可愛らしいと、仰っていた』

『陛下と……お目、お目通し?した、ですか?』

 福地から、バルドゥーバ女王との親密さをうかがわせる言葉が出るたびに広がる黒い気持ちとは別の感情が、佐野に対して湧き上がってきた。

『陛下の、ご親族の、彼女の横の彼と、親しくしているとお聞きになった……なって、興味を持たれたんだ』

『したしく、とは……』

(付き合う、恋人、ということ……?)

 信じられない思いで寺下が佐野を凝視する間に、福地は『この場合の親しいは、「付き合う」という意味』と解説してくれた。

 そこで初めて寺下は佐野の横にいるのが、この城に来た時“付き人”として佐野につけられた男だと気付いた。大き目の耳の先はとがり気味で、てっきり下層の人間だと思っていたのに、自分につけられたのは普通の見た目のバガンレでよかったと思っていたのに、彼が女王の身内……?

『……』

 佐野のドレス、ここではリネーリアと呼ばれているが、それをまじまじと見て寺下は愕然とした。

 前は寺下よりよほど下、城の侍女のものと変わらない、麻のような生地だったのに、今彼女が来ているのは、半透明の薄手の生地コーカを重ねたものだ。重ね方を工夫し、光の加減によって変わる微妙な色合いでセンスを見せるのが、高い階級の女性の嗜みとされている。それを、佐野が……?


『福地さん、寺下さん、ご、ごさぶた、しています』

『それを言うなら、ご無沙汰だね』

 人垣の向こうから、佐野が女王の身内の男を連れてやって来る。眩しいほどの笑顔で、やはり眩しいほどの笑顔を横の彼から受けながら。

『近いうちに、陛下のお身内に、仲間入りするかもと、聞きました』

 福地がそう軽口を口にし、佐野が女王の従弟と顔を見合わせて照れたように微笑むが、寺下は言葉を発することができなかった。

 伏せた視線に、自分の中途半端なリネーリアが入った。



「問題、そう問題……」

(佐野には問題がある。でも……何が? 問題なのは……そう、目立つから。目立ってはいけない。でも……なんで? 彼女が目立つと……そうだ、私に、同じ稀人の私にまで迷惑がかかるから)

 寺下は、自分の嫉妬をそう正当化する。

「……」

 そして、白い街並みの向こう、汚れたゴミ捨て場にしか見えないスラムに再度目をやり、線のような目をさらに細めると、薄い唇に歪んだ笑いを浮かべた。



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