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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第10章 化 ―ギャプフー
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10-1.面影(リカルィデ)

『そりゃここのご領主さまはえらい方だけど……お城勤めは大変だよ? 商売やるほうがいいと思うんだけどねえ、洗衛石の人気だって出てきたし』

 村の雑貨店に「せっけん」を届けたリカルィデは、女店主ヒュリェルに領都メゼルに行くことになったという話をした。


 客足が途絶えた昼下がりの店の隅でヒュリェルが出してくれた白湯を、リカルィデは口にする。城でよく飲んでいたサッ茶のような花の香りもしないし、甘みも旨味もないけれど、こちらの方がはるかに美味しい。

 店の窓の外では人々が楽しそうに話をしながら、行き交っている。そして、あの人たちと同様今のリカルィデは、誰に咎められることもなく、行きたい所に行ける。

 城の一画に閉じ込められて誰とも話さず、ただ『早く死にたい、誰か殺してくれないだろうか』と思いながら過ごしていた半年ほど前の日々を思うと、夢を見ているとしか思えない。


『なんだったら店を任せたっていいんだ。新しくコブフェ村に店を出そうと思っててさあ。あんたとエマを店頭に置いといたら、それだけで客を寄せられそうだろ?』

 露骨に顔を顰めたリカルィデに、『……あんたねえ、自分がすごい美人だって自覚をお持ち。今に男どもがあんたを前に列をなすよ?』とヒュリェルは呆れの目線をよこした。

『そんな話じゃない。ミヤベはどうするんだと思っただけだ』

『あの子が客商売に向くわけないだろ』

『それは……そう、かもしれないけど』

『仲間外れにしようって言うんじゃないよ。裏方をやってもらう気だったんだ。愛想はないけど、賢い子だもの』

 なんだか宮部が蔑ろにされた気がして口をへの字に曲げたリカルィデに、ヒュリェルは笑った。

『あんた、エマだけじゃなくて、ミヤベのことも好きなんだねえ』

『っ、べ、別にそんなんじゃない』

 口にしていたカップをテーブルに下ろして抗議すれば、思いのほか勢いが強くなり、白湯がこぼれてしまった。


『……あんたたちはちょっと変わっているね』

 謝るリカルィデを前に笑って机を布巾で拭きながら、ヒュリェルがふと呟いた。

『お互いを大事に、大事に想ってるのに、みんなそれを隠そうとする』

『……』

(大事? お互い? みんな? それって……)

 思いもよらない言葉をかけられて、リカルィデはヒュリェルを凝視した。

『エマとミヤベがお互いのことを大事に思ってるのは、気付いてるだろ? あの子ら、それだけじゃなくて、あんたのことも可愛くて仕方ないんだよ』

 なんとなくでもちゃんと伝わってるだろ?と笑いながら、ヒュリェルは新しい湯を注いだ。

『親戚だって言うけど、あんだけ若いんだもの。あんたを引き取るのに覚悟だっていっただろうし、苦労だってあるはずだよ』

『……うん』

(ただの身寄りのない子とかじゃない、ばれたら即殺されるレベルの、どうしようもない曰くつきなんだよ、私――)

 ヒュリェルにも誰にも言えない自分の生まれを思って、リカルィデは視線を伏せた。


 ディケセル国王の子として生まれて、キャンプの子たちのように食べるものや着るものに困ることはなかった。字も読み書きできるし、算術も歴史も地理も学ぶことができた。本も王宮の蔵書庫にこもって好きなだけ読めた。具合が悪くなれば、少なくとも医者は来たし、薬も届けられた。何かが欲しいと言えば、翌日には部屋においてある。

 でも、名を呼ばれて目を合わせたら笑ってくれる、名を呼んだらちゃんと振り返ってくれて目を合わせてくれて、やっぱり笑ってくれる、そんな人はリカルィデにはサチコだけだった。

 血の繋がりはおろか、生まれた世界すら違うけれど、サチコこそがリカルィデの母親だった。サチコが向こうに残してきた息子を心配するたびに、羨んで悲しくなって、でも彼女が「あなたも私の可愛い子」と言ってくれるのに救われた。


 その彼女が死んでしまって、永久に消えたと思ったものを、江間と宮部はまたくれた。

 最初はこっちの世界を知るリカルィデに利用価値があるから惑いの森で助け、一緒に来いと言ったのだと思っていた。

 けれど、彼らはサチコのように話してくれる、話を聞いてくれる。悲しい時に一緒に悲しんでくれて、楽しい時に一緒に笑ってくれて、素敵な物や事を一緒に分け合おうとしてくれる。やってはいけないことをすれば、ちゃんと怒ってくれるし、リカルィデの望みをできるだけかなえようと助けてくれる。心配もしてくれる。優しく頭を撫でてくれたり、抱きしめてくれたりする仕草もサチコと同じ。

 惑いの森からずっとそうだ。あの晩受けた傷のせいでまともに動けないリカルィデを、彼らはずっと背負って歩いてくれた。少ない食べ物を分けてくれた。イェリカ・ローダに襲われた時も、危ない所だったのに見捨てようとはしなかった。

 キャンプについてからも、一日中寝込む日が続いたというのに、目覚めるたびに必ず横に江間と宮部がいて、何か欲しいものはないか、苦しくはないかと聞いてくるのだ、かつてサチコだけがそうしてくれたように。

 外に出るようになってからも二人は一緒にいてくれた。この世界を知らない彼らこそ不安だろうに、がらりと変わった生活に怯え、戸惑うリカルィデを、そうと感じさせないように気遣ってくれる。

 どう考えても足手まといで、本当にここにいていいのだろうか、と思うのに、事ある毎に彼らは「助けて」と言ってくれて、その通りにすれば、その度にお礼を言ってくれて逆に救われた。

 流行り病が出てからは、二人と一緒に走り回ることになって、気付いたら街も人も前ほど怖くなくなっていた。

 なんでだろう、と何度も思った。二人と会ったのはたった半年ほど前。宮部はともかく江間は全くの他人だ。血のつながりのある宮部にしたって、脅し合うような形で一緒にいることになっただけだ。

 なのに、なぜ笑いかけてくれるのだろう、なぜ心配してくれるのだろう、なぜ頭を撫でてくれるのだろう、なぜ……。


『わがまますぎる、かな……』

 リカルィデは視線を落として自分の体を見つめる。

 身につけているのは宮部がくれた、同じ年ごろの女の子たちが身につけているようなリネルだ。それまでの服とは比べ物にならないくらい粗末で肌触りも悪い。でも……大事だ。自分のことには構わない宮部が店に何日も通い、迷いに迷って選んでいたと人に聞いてから、余計にそう思うようになった。

 それでも、この服を着ると胸が膨らみ始めていることがわかってしまう。前はそれが泣きたくなるくらい嫌だったのに、江間が「似合ってる」だの「可愛いぞ」だの言って、大きな手でわしわしと頭を撫でてくれる度に、複雑になる一方で嫌悪が少し薄れていることにも気付く。

 髪が伸びているのに気づく度に落ち着かなくなって、頭を掻きむしりたくなる。城にいる頃、二十日と明けずに髪切りが来るたびに感じていたイライラから、髪を切らなくてよくなっても逃げられない。絶望に似た気持ちを持っているのに、宮部が自分の使っていた髪留めで中途半端な髪を綺麗に整えてくれて、リカルィデの顔を覗き込み、柔らかく笑いかけてくる度に落ち着く。

 体力がなくて、出かけた先や学校で倒れたり動けなくなったりするリカルィデを背負って帰ってくれるのは江間だ。広い背中は安定していて温かくて、体を通して直接響いてくる声も優しくて、いつも泣きそうになる。

 初めてリカルィデがヒュリェルの店に一人でお使いに行くと決断した時、二人はこっそり後をつけていたのだそうだ。ヒュリェルの店の従業員にそう教えられて、リカルィデは真っ赤になって二人に怒ったのだが、本当は嬉しくもあった。

 なのに――お礼すら一度も言えていない。

 彼らは自分がこの世界の些細なことを教えるたびに、ちゃんとお礼を言ってくれるのに。自分とした約束を守ろうと、命や稀人だとばれる危険を冒してでも奔走してくれるのに。サチコも『ありがとう』と『ごめんなさい』を言える人間でいなさいといつも言っていたのに。


『大丈夫、あんたが思ってることなんて、あの子ら全部知ってるよ、きっと』

 ヒュリェルが顔のしわを深めてにこりと笑ってくれて、また泣きたくなった。彼女もサチコに似ている気がした。


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