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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第9章 追放 ―バハルー
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9-3.恐怖(菊田)

『私はいいです、から、トッカ、囲う、に入れて』

『あ、そうだっ、こら、食うなっ、これはお前らには毒なんだよっ』

 足元で白い花を咲かせている草を食み出したトッカを牧童たちが慌てて小屋の方へと追い立てていくのを見て、菊田は息を吐き出した。


 菊田は動物が好きだった。家族も同じで幼少のころから猫や犬、鳥、トカゲ、ウサギ、色々な動物が家にいて、ずっと一緒に育ってきた。

 必要なことだとわかっていたのに、森でウサギを殺した宮部を罵ってしまったのも、自分が飼っているウサギに重ねてしまってのことだった。江間や福地に咎められて反省したのに、結局宮部には謝れなかったから、今度ぐらいは人の役に立ちたいと思った。


 死んでいくトッカのためになけなしの金を払って、双月教の神官を呼んで祈祷したり、呪い師に薬を買い求めたりする牧童たちを横目に、菊田はトッカをひたすら観察した。その上でトッカの元々の生息地や食べ物、死んだ時の状況を聞いて、害になっているのは川沿いの林の床に生えている、かわいらしい花をつける草でないかと推測した。

 トッカは皮膚が硬い上に足の毛も密で、サボテンモドキの棘でも傷つかない。試しに元の生息地に近い砂漠での放牧を提案したところ、トッカの死亡は止まり、秋の角の収穫も無事終わった。次の春には子供が生まれて、数を増やすことができるだろう。


 その角を髪飾りに使いたいからと野生生物を捉え、生態もわからぬのに奴隷たちに増やせと言い、できねば殺すと言うあの女王はやはり好きになれない。

 それでも腐ったような食事を、一日一回与えられるだけの“奴隷”たちを、何とかしてやりたい。

 そう思って、トッカに関する報告と一緒に、“奴隷”たちに十分な食料を、とバルドゥーバ城の福地宛に書いて送ったが、開封もされないで送り返された。今度は“奴隷”の中で、元々バルドゥーバの平民だったという老人にディケセル語で代筆してもらい、なんとか受け付けてもらったが、寺下のみならず福地もあてにはできない、そう痛感している。

(佐野さんは一体どうしているだろう……)

 菊田がここに追いやられた時は、まだバルドゥーバの城にいたはずだ。日本語を禁じられてから、いや、宮部と江間が死んだ夜から、ほとんどコミュニケーションをとれていなかった後輩の顔を思い出して、菊田は顔を歪めた。



『キクタ、城からの書状だ』

 遠くからの声にベニたちは顔を強張らせると菊田から離れ、跪いた。硬く小さく身を縮込め、よく見れば震えている者もいる。

 バルドゥーバでは“奴隷”たちは使い捨てだ。あちこちに戦争を仕掛け、負けた国から何千、何万人レベルで連れてくるという。体に、時には顔に焼き印を押し、自由を奪って酷使し、虐待し、暴力を振るう。面白半分で殺すことすらある。

 近寄ってくるバルドゥーバの軍人を見て、菊田は『私が、参る、ます』と返すと、足早に牧童舎に向かった。ベニたちにバルドゥーバ人を近寄らせたくない。


 バルドゥーバ兵などが使う、この小屋の中では一番マシな十畳ほどの部屋に入れば、兵士たちの中で一番偉い、確か『大隊長』と呼ばれている人がいた。中央に据えられた木製のテーブルセットの脇の椅子に座り、一番奥に座る、見たことのない人に何事か話しかけている。

 彼が身につけているのは兵たちが着る丈の短いタイプの巻頭衣だったが、その生地は城で時々見かけた、光を微妙に透かす柔らかそうなものだ。

『なんとも醜い。さっさと下がらんか』

 茶の準備をしてきてくれたソラに大隊長がそう吐き捨てた瞬間、目に見えて彼女が震え出す。

『私、やる。戻、戻っていて』

 菊田は慌ててソラに近寄ると、道具を受け取り、手ずから茶を注いだ。


 バルドゥーバのやり方で挨拶をかわす。城にいた頃にそれだけは覚えたが、もう少しちゃんと学んでおけばよかった。ここにいるのは“奴隷”たちにはもちろん、菊田にも好意的とは決して言えない軍人たちだけで、教えてくれる人がいない。バルドゥーバのやり方をもう少し知っていれば、言葉をもっと勉強していれば、ベニやソラ達をもっとうまく助けられるかもしれないのに。


 城からの使者と思しき軍人は金で装飾された筒を恭しく両手に掲げ、礼をすると、蓋を開けて中から紙を取り出した。

『王命である。慎んで受けよ』

「……」

 どう受け取ればいいのか戸惑いながら両手で受け取り、使者に倣って両手に掲げて頭を下げる。ちらりと彼の顔を見たが、怒っている様子はない。

 安堵の息を吐き出しながら、麻に似た手触りの悪い紐でくくられた紙筒を開く。が、ディケセル語で書かれたそれは、もちろん読めなかった。日本語かせめて英語を期待した自分の甘さを思い知る。


『あの、申し訳ありません。読む、読んでいた、いだけますか?』

 見下しを露に鼻を鳴らすと、使者から書状を受け取った大隊長がその内容を読み上げる。

『トッカの飼育に成功した功績を鑑み、褒美として服飾品一式と洗衛石を授ける。引き続きかの生物の飼育及び繁殖に努めることを推奨するとともに……』

 トッカの件が認められて、何かをもらえるらしいことは分かった。服?と何かの石っぽい。宝石などだろうか? ……そんなもの貰っても、ここでは何の役にも立たないのに。

 大隊長は菊田が褒められていること自体が面白くないようで、途中不愉快そうに鼻を鳴らした。

 だが、直後に顔色を変えた。読み進める声が微妙に震え始める。

(なんなの……)

 何か良くない内容なのだろうかと不安になるが、早口なのと馴染みのない単語が多いせいで、よく理解できない。


『これ、は、本当なのでしょうか。いえっ、その、陛下のお考えを疑うなどという意図ではもちろんなく、ただその、イェリカ・ローダを飼い馴らす、など、可能なのか、と……』

『あの忌々しい稀人、フクチの考えらしい。神など恐るるに足りず、ということだろうよ』

 福地君? 神様を怖がる、いや、怖がらない、とは一体どういうことだろう? 飼い馴らすは分かる。でも飼うのはトッカではなくて、いえりろーだとは何だろう?

『同じ稀人であるというのにこうも違うとは……哀れだな』

 戸惑う菊田に使者は憐れみと嘲笑を、大隊長はいつにない同情を向けてきた。不安が増す。

『トッカを手懐けたことを評価されたのだ、せいぜい励め』



 王命の内容、そして使者の蔑みと大隊長の同情の理由を菊田が理解したのは、それから一月ほど後のことだった。


 その日、既に雨期に入った空は半分ほどが雲に覆われていて、涼しい風が吹いていた。

 大地は変わらず乾燥していて、遠くに砂煙が見えた。最初点でしかなかったそれが、だんだん大きくなり、サボテンモドキに手間取りながら、ゆっくりゆっくりこちらに向かってくる。

 装甲を身につけたホダの群れが姿を現し、菊田はそれらが引く台車の上に、巨大な檻があることに気付く。中の“生物”は、金属の網をかけられ、動きを封じられているようだ。


 都から使いが来るということで、家畜小屋に入れておいたトッカが騒ぎ始めた。壁を隔てているというのに、落ち着きがなく、足で敷き藁をかき回す音が響き、鼻息が荒くなっている。徐々に声が漏れ出し、最後にはヒステリックな鳴き声に変わった。

『キクタ様……』

 ベニが菊田にぴったりとくっついてき、巻頭衣の裾を握った。

「……」

 顔を見て「大丈夫」と言ってやりたいのに、姿が見えてきた囚われの“生物”から目が離せない。

 いつの間にかたまった唾液が音を立てて喉を下っていった。


 “それ”は、日差しから逃げるように身を伏せ、上から金網で抑えつけられているのに、それでも体高が二メートルほどあった。丸太ほどの尾のようなものが見える。

 遮るもののない広大な空を雲が渡る。そのうちの一つの影が檻に落ちた瞬間だった。

 キシャーという金切声と共に、ジャっと金網がこすれる音がした。ビュンっと何かが飛び、轟音と共に檻が揺れる。一部外れた金網の下でその生き物が蠢き、尾が激しく動き出す。

 尾の反対側にあった巨大な丸いもの、顔が一瞬菊田の方を向いた。まだ影の中にあるその中央で、二つの赤い球が光る。

「っ」

 菊田の心臓が音を立てて縮まった。


『抑えろ』

『早く、この役立たずどもめっ』

 檻の周囲を囲んでいた奴隷たちが、傾いた檻を支える。異様だったのは、彼らを虐待するのが趣味のバルドゥーバ人たちが、鞭を手にしているのに罵るばかりで、決して彼らに近寄らないことだった。

『網を元に戻せっ、化け物に殺されるか、我らに殺されるか、どっちがいいっ』

 檻から離れて逃げようとした奴隷が剣を突き付けられ、悲愴な顔をしてうごめく尾に近寄る。

『ぎゃっ』

 だが、檻に手を差し込んだ瞬間、その顔面を尾が襲った。血しぶきをあげて倒れ込む。


 音を立てて金網の残りの留め具を引きちぎり、その“生き物”が立ち上がる。その頂、頭部にあるのは、無数の斑点の浮く、バレーボール大の赤い二つの目――

 誰もが声を出せない中、それは「キシャシャシャシャッ」と愉悦としか思えない鳴き声をあげた。


『嘘、だろ、あんなの、どうしろって言うんだ……』

 菊田の背後で誰かが呆然と呟いたのを合図にある者は泣き出し、ある者は呪いを、ある者は神への祈りを唱え始める。

「……」

 傾いたままの檻に再び差し込んだ日差しに、化け物が身じろぐ。その瞬間、陽光を反射したのは、あの鎌、だった。


 菊田の全身から汗が噴き出した。心臓が恐ろしい速さで早鐘をうつ。耳の奥がガンガンする中で、目の前の砂漠が深い森に、青空が夕焼け空に変わった。

(あれ、は、あの時の、化け物――)

 あの化け物の体の向こう、夕日に照らされた宮部の白い顔は血のように真っ赤だった。踵を返して逃げ出す瞬間、彼女が自分を見た目が蘇る。

「……」

 ガタガタと全身が震え出す。膝から力が抜けて、菊田は砂の上にへたり込んだ。ベニが慌てて手を伸ばす。

『キクタ様っ』

「っ」

 それにかまうこともできず、菊田はこみあげてきた胃液を吐き出した。



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