7-2."正義"と努力
「前より賑やかになっている気がする」
「もう病気のピークは過ぎたから、今まで我慢していた分、弾けてるのかも」
「はじける……ポンッ? って、ええと、爆ぜる? 木とかの燃やす時の……」
「その意味で正しいけど、この場合は鬱憤、ストレス、ええと、不満や我慢していたものが解消、なくなって、浮かれてはしゃいじゃうこと……で、わかる?」
「なんとなく」
感染症騒動の最中に、郁たちの住まいは避難民たちが集められたキャンプからその西端、村の役場にあたる敷地の一角に移された。ギャプフ村とキャンプ両方の責任者である統官の命だ。
そこからさらに西、村の中心地への大通りを辿りながら、郁とリカルィデは周囲の様子を眺める。
フォーショが泣き叫んで助けを求めてきた日はひどく暑かったけれど、今頬を撫でていく風にはかすかに冷気がある。もうすぐ秋、『静の期』が来ると実感する。
(……後でフォーショ一家の様子を見に行こう)
移ろいつつある季節を感じて、郁は自分たちが双月教を信じたばかりに、息子を一人失ったと嘆き続けているフォーショの両親を思い浮かべた。
大事な人を失くした人たちの時は止まっているのに、時は容赦なく過ぎていく。
時間薬は救いであると同時に、残酷でもあると知っている郁は眉根を寄せた。
(誰一人いなくなってしまったら、死んでもそれはそれでいっかって思えるんだけどな……)
それが許されず、それでも生きていかなくてはいけない彼らは、郁よりきっとずっとつらいだろう。
『いたぞ、邪教徒だっ』
背後から響く声に、郁は天を仰いだ。リカルィデはリカルィデで緊張しつつも、慣れた様子で郁の前方に移動する。
「真剣に襲うつもりなら、黙って切りかかってくればいいのに……」
ぶつぶつと言いながら、アヤは腰につるしている三叉の短剣『スオッキ』を左手に掴み、振り向きざまに、頭上に振り上げた。
ガキンという金属のかち合う音と同時に左手首をひねり、相手の武器――金笏を挟み捉えて軌道を逸らし、相手の体勢を崩した。
右につるしていた金棒を、焦りを露にする男の左わき腹に叩き込む。
奇妙な音を発して崩れ落ちていく男を見ながら、後ろのリカルィデが「……折れた?」と顔をひそめた。
「さあ。加減はしたけど」
そう言いながら、郁は残りの一人、女の方へと向き直る。
唖然としていた、全身アクセサリーだらけの女は、あたふたと右手を郁にかざした。いくつもの指輪が目立つその手に何か握られている。
投げつけられる前にと、郁は一気に間合いを詰めた。だが、その瞬間女は悲鳴を上げ、慌てふためて逃げていった。
郁は息を吐き出しながら、スオッキと棒をしまうと、先ほど襲い掛かってきた男を振り返った。這いつくばり痛みで苦悶の声をあげながらも、男は郁への罵りをやめない。ある意味見上げたものだ。
郁にはピンとこないが、周囲に集まってきた村人の顔を見る限り、かなり悪質な言葉を吐いているようだ。
(……若い。同じぐらいの年かも)
郁はしげしげとその顔を眺めた。肌の色が濃く、耳が大きめ、瞳の色が薄いのは、バルドゥーバ人に多い特徴だ。だが、痩せこけていて、身なりも明らかに貧しい。逃げて行った女の方はふくよかで、きれいな服を着ていたのに。
そうこうしているうちに、ひどく不思議な気分になってきて、郁は男の目の前に屈みこんだ。
『双月教で何をしたい?』
『何をって……、っ、た、正しい教えを広げて、みなを救うんだっ。そうすれば、俺だって』
平静な顔で自分を見下ろしていた郁に正面から問われ、男は一瞬驚いたようだが、すぐに彼らがいつも言う言葉を口にした。
『救われているようにまったく見えない』
『……っ』
郁は真顔で男の顔を指さす。
口をパクパクさせた後、顔を怒りに赤く染めていく男に、郁は『“正しい”は、一つじゃないと知っている?』と静かに話しかける。
(昔、それでいつもシャツェランと衝突したっけ)
と苦みと共に思い出した。
『逃げたあの女の正しいと私の正しい、それからあなたの正しいは多分それぞれ違う』
『わ、我々はタジボーグ様の教えに従っている、不信心な邪教徒め…っ』
『そうだね。私の考える“正しい”は、どんな神様も関係ない』
郁は自分を睨む、灰色の中に青が混ざった目をじっと見返す。
『ご飯がちゃんと食べられること。病気とかで大事な人を失って泣かなくてすむこと。人同士が争わず、笑いあっていられること――全部人がどうにかできるはずのことだ』
その目が大きく見開かれていく。
『私はみながそうあるべきだと思うし、あなたもそうであってほしいと思う。そのためにできることをする』
昔、“正しい”をめぐって、シャツェランとよく衝突した。自分だけが正しいわけじゃないはずだと何度も話した。だが、違う世界に生まれ育った彼には結局うまくわかってもらえなかった。だが、成長した今なら、文化や価値観の違いを越えて、理解してもらうことができないだろうか――。
男から反応が消えたのを見て眉を下げると、郁は立ち上がった。微妙に落ち込みながら歩き出せば、行く先で見物の人垣が割れた。
軽く会釈して通り過ぎる郁の後ろで、『あの、お騒がせしました』とリカルィデが言い、『あんたたちも大変だね』『私はあんたたちに感謝してるからね』『気を付けておくれよ』と声をかけられている。
「……」
人の中心で真っ赤になりながら、時々つっかえつつも一生懸命に話している少女の姿は、とても好ましい。
あの処世術は、江間が彼女に教えたのだろう。人に好かれることは、特にリカルィデのような状況にいる場合、自衛の手段にもなる。
(この子についているのが私だけじゃなくて本当によかった……)
郁だけだったらあっという間に排除対象だったかもしれない、そうしみじみ思う。
追いついてきたリカルィデが、「ねえ、ミヤベ」と話しかけてきた。
「ミヤベはスオッキを使うよね? お爺さん、コトゥドに教わったの? コトゥドは……向こうでどう暮らしていた?」
向こうの世界の暮らしに興味を持ってくれるようになったということだろうか?
向こうに帰る時、できれば彼女を連れて行きたいと郁は考えている。江間も賛同していて、冗談めかしながら、事あるごとに「一緒に帰ろうなー」とリカルィデに言っているのだが、これまでは反発しか返ってきていなかった。
リカルィデの質問に郁は微笑むと、脳裏に祖父の顔を思い浮かべた。元々茶色だったという髪は、郁の記憶では白が過半を占めている。顔立ちの彫りは深く、はしばみ色の目をしていて、純粋な日本人には見えなかった。
「祖母が言語学者、言葉の勉強をする人だったの。それでディケセル語に興味を持って、彼にディケセル語を教わるついでに、日本語を教えたと聞いた」
「祖母ってお婆さん……? 春に咲く花の名前の人? 確かサクラ……」
「そう、リカルィデとお揃い。世界は違うけどね」と笑えば、彼女ははにかんだように笑う。すっかり女の子の顔に見えたが、口には出せない。
「それで話せるようになった祖父は仕事を探して、」
「仕事? ……トゥアンナは?」
「あの人は自分さえよければいい人だから」
「……自分が連れて行ったのに、放っておいたってこと? 王女、主人なのに? ……恋人にそ、そそのかされて、国を捨てたと聞いた時から嫌いだったけど、ますます嫌いになった」
「言っておくけど、恋人でもないし、そそのかしてもないからね?」
「うん、今はわかってる……王女が逃げたなんて言えないから、全部ミヤベのお爺さんのせいにしたんだろうって」
ごめんという顔をするリカルィデに、「リカルィデのせいじゃないでしょ」と郁は苦笑した。
祖父母はトゥアンナの悪口を一言も言わなかったけれど、郁ももう一人の祖母であるトゥアンナが吐き気がするほど嫌いだ。
「それでディケセル出身のグルドザが日本でできることを探して、警備の会社。会社は知ってる? うん、そう。そこで見つけたのが身辺警護の仕事――偉い人や何か危険にさらされている人の護衛。と言っても小さな会社だったらしいけど。護身術としてその彼が教えてくれた中に、スオッキも入っていた」
「なん、ていうか、ミヤベのお爺さんってすごくまじめな人だというイメージがあったんだけど……なんだっけ、『たくましい』って?」
「『たくましい』はたくましい、ね。うん、真面目で、たくましい人でもあったよ。でも、あまり話さなかっただけで、たくさん苦労したみたい。戸籍とかも当然なかったし、こっちと違って向こうの世界では祖父の外見は目立つこともあって、ひたすら我慢と努力を重ねていたと祖母が言っていた」
「そっか。すごいね……」
どこでどう生きていくにしても、みな努力はいる。でも、必要な努力の量は人によって違って、そういう意味で人は平等じゃない。
よりたくさん努力しなくては生きていけない状況にある時、他人の人生を妬まず、腐らずに努力できるか――その意味でも郁は祖父を、その祖父を支えた祖母を尊敬する。
「それに比べたら、この世界の言葉が最初から話せた私は、恵まれているかもね」
「じゃあ、エマは偉いね――女に囲まれてへらへら?しているところは、なんだっけ? 最悪すぎ?だけど」
前半と後半のリカルィデの表情の落差を江間が見たら泣くかも、と肩をすくめながら、郁は目当ての商店の木戸を押し開いた。




