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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第6章 胎動 ―ルテゼル―
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6-2.嗅取(シャツェラン)

 侍女が去り、香草入りのサッ茶を口にしていたシャツェランは、再び口を開いた。

『アーシャルも死んだ、と』

『最後の最後まで戦っておられました。双月教の神官どもを仕留めようとも……』

『……そうか。哀れなことだ』

(最後の最後までバルドゥーバの意のままか……)

 数えるほどしか会ったことがないし、ろくに口をきいたこともないが、バルドゥーバ派の人間に囲まれ、おどおどと周囲を窺っていた幼い甥の様子を思い返すと気が沈んだ。あれの人生は一体何だったのだろう、と哀れむ気持ちが湧き上がってくる。あれの面倒を見、深く同情しているようだったサチコも同じように感じていたのだろうか。


『ですが……アーシャル殿下は、生きておられるかもしれません』

『生きている?』

 シャツェランはゼイギャクの言葉をつかみ損ねて、眉を寄せた。

『バルドゥーバの兵数は蜥蜴だけで五、そこに血の匂いを嗅ぎつけたイェリカ・ローダが計七匹来襲、その後、別種のイェリカ・ローダが集まってきたこともあって、あの場に残っていたバルドゥーバ兵は全滅。生き延びたのは、コクラミの洞窟に逃げ込むことができた我々だけです』

 王城セルで見た報告書の通りのことを説明したゼイギャクに、シャツェランが『大双月にもかかわらずそれだけ動けるイェリカ・ローダだ、さぞかし質の悪いものであったのだろう』と答えれば、ゼイギャクは『“空をしろしめすもの”でした』と静かに返した。

『…………よくも生き残れたものだ、さすがだな、ゼイギャク』

 呆気にとられた後、シャツェランは呻くように声を絞り出した。

 二中隊、二百人が束になってかかったのに、壊滅させられた挙句逃したという記録のある、化け物中の化け物だ。あまりの凶悪さに、その名を口にすることを憚る人間も多い。それが七匹――ゼイギャク自身も自身の幸運を思わずにはいられない。


『私の、部下たちの実力ではありません。“空をしろしめすもの”の気が私たちから逸れたからです』

 ゼイギャクはまだ血の気の戻っていない顔で、シャツェランを見つめた。

『“しろしめすもの”が我らに向かって降りてきた時、鮮烈な炎がそれの前を横切り、化け物はその炎を追って行きました。その直後に何者かがアーシャル殿下をさらい、我らをコクラミの洞窟へと押し遣った』

 思ってもみない話だったのだろう、シャツェランが束の間言葉を失った。


『……炎、が横切った』

『はい。投げても消えないほどの勢いで、燃えていたように思います』

『人数は?』

『二名です』

『二名……バルドゥーバに発見される前に死んだという稀人も、確か二名だったな』

 稀人が手に入る可能性がまだ残っているのか、と目の色を変えたシャツェランに、ゼイギャクは首を振った。

『コクラミの洞窟の近辺に、大量の血痕と人の手形、髪がありました。“切り裂くもの”に襲われたようです』

 ゼイギャクは寝台脇の机の引き出しを開けようとして、もたつく。

『…これだな。開けるぞ』

 ゼイギャクの怪我を見て、再度自責を顔に浮かべながら、シャツェランは代わりに中の紙包みを取り出した。


『……』

 生臭い香りに顔を顰めながら開けば、微妙に茶を帯びた、まっすぐな黒髪が姿を現した。乾いた赤黒い血がぼろぼろと紙に落ちている。

『“切り裂くもの”の鎌によって樹に打ち込まれていたものを回収しました』

『今回もニホン人だったと聞いたが、女か』

 シャツェランは目を眇め、手元の髪を観察する。ニソケルほどの長い髪と、七ケケルくらいの短めの髪は、共に血がこびり付いている。だが、もとは美しかったのだろう。癖のないその髪のうち汚れのない部分は、その状態でなお艶を放っていた。


≪美しくもないが、取り立てて不細工だとも思わない。だが、髪は美しい≫

 十年以上前、シャツェランが与えた言葉ににこりともしないで、『それは褒め言葉じゃない』と、しかめっ面を返してきた少女の記憶が重なる。

(そういえば、アヤはあっちの世界では、髪の短い女も長い男も珍しくないと言っていたが……)

 彼女を考える時いつもこみあげてくる苦みを抑え込もうと、シャツェランは小さく首を横に振った。


『その髪の脇についていた大きめの手形が男のものだとすれば、バルドゥーバにいる間者からの報告とも一致します。今回来た稀人はニホン人六名。うち二人が男、四人が女。そして、男女一名ずつが惑いの森で命を落とした、と』

 同じ情報を持っているシャツェランは、紙包みから目を離し、頷いた。

『何よりアーシャル殿下を攫い、我らに道を示した者は、訛りのないディケセル語を話していました。双月教の首司祭どもを襲い、彼らに化けた者たちではないかと考えます』

『つまり、その二名は双月教司祭どもを襲ってやつらに化け、バルドゥーバ兵をコクラミの洞窟に誘導した後、アーシャルを誘拐し、お前たちを助けた? ――目的はなんだ? 稀人の確保であれば、アーシャルやお前たちの方ではなく、宰相を追ったはずだ』

『シャツェラン様の手の者かと考えておりましたが……』

『であれば、お前たちを洞窟に置き去りにはしない。大体そうまでしてアーシャルを助ける理由は私にはない。サチコもいなくなった今、あれはバルドゥーバの人形でしかないと、お前も知っているだろう』

『……そのバルドゥーバに、殺されそうになっていらっしゃいました』

 罰は十分だろう、という響きを含んだゼイギャクの声に、シャツェランは苦笑を零す。

 彼は歴戦の英雄であると同時に、幼い頃のシャツェランの剣術指南役でもあった。グルドザらしく女子供に寛容であろうとする姿勢は今も変わらないらしい。


『ならば……アーシャル本人が手引きしたという可能性がある』

『確かに、コクラミの洞窟への道中、アーシャル殿下と神官どもの仲は、良くないように見えましたが……』

 ここのところアーシャルが言いなりにならなくなってきたことに、バルドゥーバ派が苛立っているという噂は耳にしていた。

(では、バルドゥーバ、そしてディケセルから逃げるために、アーシャルが独自に森に人を潜ませていた? だが、あれはそこまで小賢しい知恵が回るタイプだったか……?)

 シャツェランは儀式などの場面で見た、幼い甥の顔を何とか思い出そうと苦心したが、王妃やその側近たちの影に隠れて俯いている姿しか、浮かんでこない。

 稀人のサチコに育てられていると聞いていたから一度は話しかけたが、びくりと体を震わせて、応えを返すこともなく、俯いて固まっていた。

 それに、人並みに知恵が回るなら、そもそも廃され、殺されるような反抗の仕方はすまい。既に代わりとなる王子が生まれているのだ。

 アーシャルの葬儀は、遺体も見つかってないというのに既に済まされた。カッゼェニー王妃の意向だろう。今ディケセル王城はその息子アッジャスの太子就任式の準備で大騒ぎだ。


『内々に探しますか?』

 どうせ滅ぼす国だ。太子がアーシャルだろうとアッジャスだろうと関係ないし、サチコがいない以上敢えてアーシャルを連れ戻す理由は、シャツェランには欠片もない。アーシャル個人とてセルにすら居場所がなくなった今、何ができるわけではないだろうが……。

『所在ぐらいは把握しておくか』

 手駒として使える時が来るかもしれない。

『……御意』

 頷いたゼイギャクの表情にわずかな揺れを認めて、シャツェランは軽く眉を上げた。


≪王女だから、王子だから、そんな風に人を物みたいに扱うの≫

 直後に非難を込めて自分を見た黒茶の瞳が思い浮かんできて、シャツェランは唇を引き結ぶ。あれはちょうど自分たちがアーシャルぐらいの年の頃だった。そのすぐ後ぐらいだったか、彼女がシャツェランの日常から消えたのは。

≪人は生まれながらに平等で自由です。たとえ現実はそうでなくても、そうあるよう求め、行動する権利が皆にあります。権利というのは……≫

 その時意味が分からないと鼻で笑い捨てた少女のその言葉が「ジンケン」、人の権利という考えられない思想に基づくものだとシャツェランに教えたのは、前回の稀人サチコだった。なぜ「人権」が生まれたのか、あちらの世界でどういった仕組みでそれが保証されているか、自分が問えば、しかと答えを返してきた彼女は、残念ながら早世してしまったが。


≪……あの子を、アーシャル殿下をおいては、帰れません≫

≪アーシャル殿下を今少しお気にかけていただければ、と≫

 その彼女の言葉が蘇り、シャツェランは静かに息を吐き出した。

『静かに暮らしているようであれば、放っておいてやれ』

『承知いたしました』

 ゼイギャクの空気が安堵を含んで緩んだ。二十年以上前、王子である自分に容赦なく剣を叩きこんできた彼も、年を取ったということだろう。


(だが、このまま老け込まれては困る――)

 シャツェランは立ち上がると、ゼイギャクの背後に広がる大きな窓から彼方を見遣った。ディケセル中央にそびえる火山は、今日も薄い煙を青空に棚引かせている。


『バルドゥーバが、今度は聖クルーシデ国に攻め入るらしい』

 疲れたような顔をしていたゼイギャクの目が、一瞬で鋭さを取り戻した。驚愕と共に瞳に苛烈な色が宿る。

『ドルラーザを相手にする、と?』


 ディケセルの北に位置する聖クルーシデは小さな国ではあるが、四方を山や渓谷に囲まれた天然の要塞だ。気候にも恵まれており、各国の王族や富裕な商人の別荘地があって、商取引で栄えている。そして、どことも同盟を結ばずにいながら、もう三百年以上不可侵となっている国でもある。

 地形や人脈以上に、彼の国の独立と平和に貢献してきたのが、軍の中心に据えられた、固有の生物ドルラーザだ。伝説の神ドルラのモデルになったであろう、彼の生物の体は、体格のいいグルドザ二人分の径の円筒形をしていて、長さは同じくグルドザ十人分。その上、剣も槍も一切通さない硬質の鱗で全身をおおわれている。横長に広がった頭部の中央に穴があり、ここがぱっくりと左右に開く。口の役割を担うその裂け目の奥からは毒液が飛び出し、それを浴びた者は死なないまでも、皮膚を溶かされ、目に入れば視力を失う。口の両脇には、それぞれ目が三つあり、それが彼の生き物を双頭に見せかけていた。細長い、手足に相当するものが体の両脇についているものの、移動には用いられず、体全体をくねらせて前に進む。だが、それ自体が人間にとって圧死の恐怖となる始末だった。バルドゥーバの巨竜兵でさえ殺されにくいというだけで、まったく敵にはならないだろう。


『バルドゥーバ軍の鉄の質が飛躍的に上がったらしい。あの女王のことだ、大方ドルラーザ相手に試してみたいんだろう。悪趣味なことだ』

 吐き捨てた後、シャツェランは『どうやらバルドゥーバにわたった稀人は、相当優秀らしいな』と苦くつぶやいた。

『……』

 そして、思うともなしに、稀人の髪が包まれた包みに目を落とし、蒼玉の目を見開いた。毛根がない。

(振り下ろされた鎌に髪が掛かって、幹に打ち込まれたんじゃない……)

 ざっとその髪を指でばらけさせ、シャツェランは唇を引き結んだ。

 半ソケルほどの短めの髪と、二ソケルほどの長めの髪――多少のばらつきはあるものの、二種類の長さに綺麗に分けられる。


『……殿下?』

『ゼイギャク、稀人は生きている』

 生きている――そう口にした瞬間、確信めいたものが生まれ、シャツェランは総毛立った。


 何者かが意図的に髪を切り、それを“切り裂くもの”の鎌で木の幹に打ち込んだのだ。“切り裂くもの”に襲われて、稀人は死んだと偽装するために――。


 シャツェランは稀人の遺物を凝視したまま、自らの前髪をかき上げた。

『どこのどいつだ。双月教の神官を襲った者、アーシャルを攫った者もしくは全く違う第三者。いずれにせよバルドゥーバ派ではない。ならば、いずれ私に情報が入ってくる。問題はそうでない場合――』

 早口に思い付きを口にした後、肌を泡立てる。

(そうでない場合……?)

『稀人本人、だ……自力で逃げた……』

 

“空をしろしめすもの”を引き付けた炎は、この世界のものではない――。


『そ、のようなことが可能でしょうか……』

 滅多に表情を動かさない、まして動揺など見たことがないゼイギャクの反応が、異常を物語っている。

 シャツェランは放心気味に開けていた口の端をつり上げた。

『そいつは初見のイェリカ・ローダを返り討ちにし、自らを死んだように偽装して、同胞の稀人とバルドゥーバ、そして我々を謀り、異なるこの世界に静かに潜り込んだ。そして、今なおどこかに密やかに潜伏している……』

 この自分、シャツェラン・ディケセルの目をも掻い潜って――。

 シャツェランは、くつくつと笑い出す。一体どんな神経の主なのだろう、完全にイカれている。

『――捕らえるぞ、ゼイギャク』

 異界の地に降り立ちながら、逃げる気で逃げ、そして未だに捕まっていない稀人だ――絶対に手に入れる、どんな犠牲を払ってでも。




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