5-2.衣食住
「おー、おかえり」
「……ただいま」
「エマ、戻ってたの」
キャンプで割り当てられた家は、木の骨組みに麻に似たゴワゴワの布を張ったキャビンのようものだった。
その入り口の幕をめくって、郁とリカルィデは内部に入る。キャビン内部の広さは十二畳くらいで、白い布が日光を透かすせいで明るい。外の気温は二十五度を越えている気がするが、乾燥しているせいだろう、中は涼しく快適だ。
入り口のすぐ横には、土を浅い鉢状に固めてそこに灰と小石を敷き詰めた火鉢のようなもの、ゴーゴがあって、ここに木などの燃料を置き、暖をとったり煮炊きをしたりする。
「……なんだよ、その顔」
その前に陣取ってご機嫌で夕飯を作っていた江間は、郁の顔を見るなり、器用に片眉をひそめた。
「生まれつき。それよりこれ。子供の面倒を見てくれたお礼に江間にって渡された。ええと、クルーシデ人の、黄色い色の髪の……」
「ジョガのお母さん」
名前が出てこない郁に変わって、リカルィデが補足し、「顔、赤かった。なんて言ったっけ? もてる?ね、エマ。きんじゅ、じゃない、近所の人たちもそう言っていた」とジト目で彼を見た。
「いらん言葉を教えたな」と睨む江間に肩をすくめると、郁は木椀を傍らのかごから取り出し、江間に差し出した。
「……なあ、機嫌が悪いのはそれか?」
「別に悪くない」
横目で見てくる江間にすげなく返し、横に並んで配膳を手伝いながら思う。
ここに来る前は、視界に入るのも遠慮したいと思うくらい江間を避けていた。なのに、こっちで一緒に過ごすうちに少し慣れたように思う。相変わらず異性がらみ、たまに同性がらみで面倒なことは多いが。
江間の方もしょっちゅう皮肉と嫌みを口にしてきていたのに、いつの間にか減った。
「……」
盛り付けられた椀を机代わりにしている木箱に運びながら、昔を思い出す。
そもそも大学に入学して間もない頃は、結構仲が良かった。それどころか、正直に言うなら、郁は彼に対してかなりの好感を持っていた。
妹が郁の周囲の人間に付きまとうようになって、五年経っていた。旧友は皆去り、新しく親しくなってくれる人もいない。そんな中大学に入り、自分に普通に声をかけ、他愛ない話をしてくれる江間が現れて、本当に嬉しかった。
その後その妹だったり、彼の彼女だったり、周りの人間だったりが関わる色々が起きて、とどめにあの言葉をもらい、自分のような者が他者と関わりを持とうとすること自体、おこがましいと思い知ったのだが。
「そいや、スプーン、もらった」
「……お昼、またお箸で食べてた?」
「おう、木の枝で食事する可愛そうなやつに見えたらしい」
――それがなければ、ずっとこんな風に話していられたのだろうか。
この世界に来ることがなければ、江間との会話が再び苦痛でなくなることはなかったかも、と考えるとふとおかしくなって、残りの椀と木匙を運んで来た江間をまじまじ見上げた。
「……さっきからなんなんだよ」
「別に」
視線に気づいた彼が動揺して、それがなんだかおかしくて笑いを漏らす。
「別にって、笑ってるじゃねえか」
「機嫌が悪いより良いでしょ」
「そりゃそうだけど…………笑うな、なんか気に入らん」と郁を肘で小突いてきた彼も、笑いやまない郁につられてか、結局笑い出す。
江間の言葉を借りれば、異性としてはお互い「論外」なのだろう。けど、多分人間としてなら、なんとかやっていける。そう思えるようになって、あの頃の自分のみじめさも少しだけ救われた気がする。
「……」
背後ではリカルィデが訝しむように眉を顰め、その二人をじっと見つめていた。
「なんか……何作ってもドクダミ味になるな。この粉、癖が強すぎる」
木箱を並べただけの食卓に着いた江間は、スープに浮かんだ、シガのあく抜きに使われる香草、ソナを、つんつんと匙でつつく。そして、また匙を口に運び、「工夫してみたんだけどなあ」と肩を落とした。
「祖父がドクダミを好んで食べていた理由が、こっちに来てよく分かった。あったんだ、揚げたサツマイモに乾燥ドクダミをかけたおやつ……あれ、シガだったんだな……」
祖父は時々手料理をふるまってくれたが、あれは郁に故郷の味を披露したかったのだろう。トラウマものの味だったが、必死で完食しておいてよかった、と心底思う。危うく彼の想い出を否定するところだった。
「お前んちの食卓にあったあれはそういう用途か……」
江間の言葉に郁は目を瞬かせる。ああ、そうか、祖父が死んだ後の話だ、と思い当たって、視線を伏せた。大学に行く気になれなくてぼうっとしていたところに教授から電話がかかってきて、いきなり江間に変わった。その後彼が訪ねてきて驚いた覚えはある。
(あの時、食事、一緒にしたっけ……)
ぼんやりとした記憶を探る。
「ドクダミ? と言われても……普通だぞ? サチコだって文句は言っていなかった」
「げ。ここじゃ王族もこんな食事なのかよ」
「げとかこんなとか言うな、お前は本当に失礼な奴だな! 出された食べ物にあれこれ言うのはよくないことなんだぞ!」
「う、そう言われると……」
騒ぐリカルィデへと視線を移すと、微妙に言葉が荒くなってきた、彼女に日本語を教えたというサチコさんが嘆くのではなかろうか、思いながら郁は再び匙を動かし始めた。
「昨日、宮部が作ったスープの方がうまかった。完全に負けた……」
「何となくこうすればいいって予想がつくのはあるかも。祖母の料理、今思うと、こっち風の祖父の好みと日本人の味覚の折り合いをつけたものがいっぱいあったから。でも江間のもそんなに悪くは……」
彼女の手料理を懐かしく思ったところで、あっちで江間が手料理や手作りのお菓子をことごとく断っていたことを思い出した。
「そういえば、江間、人の手作り、ダメなんじゃなかった? ごめん、忘れてた」
こっちに来てからなんとなく二人で家事を分担していたが、ひょっとして料理は彼にすべて任せるべきだったのでは、と焦る。
江間は「あれ、嘘」と肩を竦めた。
「変な物、入れられてたりするんだよ。宮部のは平気」
「へん、なもの……」
「リカルィデもよく覚えとけよ。食事は信用できる人間と。そうでない時は、目ぇ離した食べ物・飲み物は口にするな」
嫌な記憶を思い出したように暗い目をした江間を前に、郁とリカルィデは顔を見合わせた。
「えーと、エマは、王族とかじゃないんだよね……?」
「違うけど、まあ、狙われてはいたかな、別の意味で。けど、そこまでされてたとは……」
「……神様から色んなものをもらった人だと思ってたけど、なんか結構、ええと、なんだっけ? 悲惨?なんだね」
「だね……」
「真剣に同情すんなっ」
ブスくれた江間を見ながら、郁は「そうか、平気なのか」と胸を撫でおろす。
次いで、なんとなく居心地が悪くなってきて、彼を見ないようにして、急いで夕飯を終わらせた。
片付けを済ませて、郁は獣の革でできた肩掛けから服を取り出し、リカルィデの前に広げた。
「……な、なんで『リネル』なんだ」
「お店の人にきかれて、十二歳の女の子だと言ったら、勧められた。着替えてみて」
「お、んな、のこ……い、いい、この服、まだ着れるし……」
「それ、ダボダボじゃない。病人の時はよかったけど、いい加減みっともない」
あの時の服をそのまま来ているリカルィデにと、郁は古着屋で見つけた『リネル』――あちらの世界で言う、ワンピースのようなものを買った。
こちらの世界の衣服は、基本男女共通の巻頭衣だと思っていたのだが、細部は違うらしい。
今リカルィデに見せているリネルは、ウェスト部分が絞られ、裾に向かって広がっていく造りで、丈は膝下だ。動きに合わせてふわりと揺れ、女の子らしい感じがする。もちろん古着で、その上かなりシンプル。お城の王女様が着ているようなものと比べるべくもないはずだが……。
口は否定的なのに、蒼玉色の目はリネルにくぎ付けになっている。予想が当たって、郁は複雑な気分になった。
彼女の服を新しく、と思った時、本人に選ばせれば、おそらく男装を選ぶだろうと思った。好きで男装をするならいい。でもそうでないなら……と思って、可愛いけれど女の子過ぎないものを悩んで選んで、まずリカルィデの反応を見ようと思ったのだ。
「今更、リネルなんて……」
小声でつぶやくのを聞いて、胸が痛くなった。
「見つかりにくくするためでもあるから。だってあなた、読み書きできるの、学校でばれたでしょ?」
「う……」
「貧しい少数民族の子が完璧に読み書き出来たら、怪しまれる。なら、この際性別ぐらいは変えて、というか、元に戻しておかない?」
「ミ、ミヤベは男の服のままじゃないか」
「私も同じ。稀人と疑われにくくなるし、その方が何かと便利だし」
この国では女性の髪は例外なく長い。シャツェランも言っていたように、かなり強い慣習のようで、短ければ疑いもなく男だと皆思い込む。それに助けられるのは事実なのだが……。
目の前で、幼い子が眉間にしわを寄せつつも、顔を赤くしているのを見ていると、少しぐらいなら、と思えてしまうのが不思議だ。
「リカルィデだけ服を変えるのが恥ずか……抵抗があるなら、私もお揃いにしようか?」
「いや、宮部はそのままで」
黙って成り行きを見ていた江間が発した声に、リカルィデははっとしたようにリネルから目を離し、彼を指さした。
「じゃ、じゃあ、エマは? 男の格好のままじゃないか。ばれにくくって言うならエマだって」
「行儀が悪いから人を指でさしてはダメ。それで、ええと、江間のことだった……これがふわふわひらひらのリネルを着たとこ、見たい? それでもってそんなのと一緒に過ごしたい?」
「行儀について語りながら、人のことをこれとかそんなのとか言うな。けど……俺、整ってるし、案外行けそうな気がしねえ?」
「整ってる、は美しいということだよな? ……自分で言うんだな」
郁からリネルを奪って体に当て、くるりと一回転して見せた江間に、リカルィデは郁と共に白い目を向けた。
整っているのは確かだが、身長百八十三センチ、ずっと剣道を続けてきたという細身ながら鍛えられた筋肉を持つ、男性そのものの体型に似合うものでは絶対にない。
「まあ、でもお前の方が断然似合う」
江間は、そのリカルィデに笑いかけてリネルを手渡し、「着替えて来い」と背をカーテンの向こう、リカルィデと郁の寝所へと押した。
顔を赤くしながらも、そのまま大人しく着替えに行ったリカルィデの後ろ姿を見てつくづく思う。
「……根っからの女たらし。ここまでくると、もういっそ尊敬する」
半眼でしみじみと呟いた郁へと、江間は「だーかーら、お前は人を変態みたいに言うんじゃねえ。てか、反応するのはそこか」と不満そうな顔を向けた。




