4-3.籠鳥(佐野)
ぎゃんぎゃん騒ぎ続ける菊田となんとか別れ、佐野は自室に入り、その薄暗さにさらに気を滅入らせた。
このバルドゥーバという国の宮殿は、とにかく暗い。目の色が薄い人が多いせいか、砂漠のせいか、日差しを嫌うのかもしれない。建物が黒っぽい石造りな上に、窓が少ないのだ。しかも、建物の構造的な問題に加えて、そこにいる人々もとにかく暗い。
「……」
ため息をつきながら、卵の上半分を斜めに切り取ったような造りの椅子に座れば、微かな軋みが響いた。自分のいた世界とは何もかも違って不便この上ない中で、詰め物をしたクッションに半身を包まれる感じのする、この椅子だけは悪くない。
『どうぞ』
世話人として佐野につけられた男性は、佐野より結構年上なようで、顔つきが大人びている。バルドゥーバ人にしては肌の色が薄めで、オリーブグリーンの髪は地毛だそうだ。
かなり整った顔立ちで、江間には少し劣るが、福地よりはるかに上。城に来てすぐに佐野たちそれぞれに世話人が割り当てられた時、彼を紹介されて少し浮かれたのだが、バルドゥーバ人の例にもれず、彼も静かで陰鬱そのものの雰囲気だ。
めげている気分をぐっと抑えて、上目遣いに『ありがとう……で、合ってますか?』と微笑みかけてみる。本当はそんな言葉とっくに知っているが、わずかだが、彼に好意的な微笑みが浮かんだのを見て、胸をなでおろした。
「……江間先輩がいたらな」
厚手の湯飲みのようなガラス製のカップを口に運びながら、佐野はぼそりと呟いた。
見た目を言われがちな人だが、頭が良くて公平、リーダシップが取れて、何より場を明るくしてくれる人だった。
佐野があの研究室に入ったのだって、元は江間目当てだ。女子ばかり凄まじい倍率だったのを何とか勝ち上がって入ってみたら、菊田のような先輩はいるし、江間本人も優しくしてはくれるものの、佐野を特別扱いしてくれるわけではない。
それならとこっちからアピールしたが、SNSはやらないと言うし、メッセンジャーアプリなんかも返事の必要性がない限り既読スルーされた。手作りは料理も手芸も苦手と公言していて謝罪と共に拒絶され、相談事も感じ良く、だが当たり障りなく返される。ボディタッチしようとしても笑顔でかわされ、飲み会でも盛り上がるくせに、前後不覚には絶対にならず……。
佐野に対してだけじゃなく、彼は他の誰に対してもそんな感じで、明るく感じ良くふるまう一方で隙は絶対に見せない。彼女はいないと言っていたのに。
唯一彼がそばにいることを許し、他の人には見せない意地の悪さも含めて、素の表情を見せるのが、地味としか形容できない宮部だったこともあって、研究室に入って二か月経つ頃には、佐野の江間への熱はすっかり醒めてしまった。宮部の方は、江間に興味がなさそう、むしろ嫌いな感じなのに、と思ったら、ますます白けた。
そして、江間のような派手さはないものの、やはり整っていて、知的で優しい福地に惹かれ出したのだが、あれほど頼りにならないとは。
森でバルドゥーバ人たちに拾われた晩から、佐野たち四人はバルドゥーバの宰相だという英語を扱う男とずっと一緒にいた。その十日後、バルドゥーバ国の宮殿に入り、それぞれに個室と世話係があてがわれてからは、お互い自由に接触できないようにされている。
(集まって悪だくみしないように、監視してるんだろうな。福地先輩が英語で話せって言うのも、それを知ってるからで……)
「……」
もう何度目かわからないため息をつけば、湯呑みの中から湯気が立ち上って、視界を覆った。
佐野は福地の危惧を理解している。だが、納得できない。
旅の間、宰相は何かと彼に目をかけていたし、女王との謁見の際も、彼女が自分たちへと声をかけたのは一言二言だったのに、彼だけは別室に呼ばれて行き、そこで自分たちとは違う場所に居室をあてがわれたという。
その後も彼だけは完全に別行動だ。佐野たちがこの世界の公用語であるディケセル語をバルドゥーバ人から習う時も、逆に自分たちがあちらの世界のことを教える時も、福地は全く姿を見せない。
先ほど会った時の服装を見ても、彼の特別扱いがわかる。自分たちに与えられた巻頭衣は、ここで働く侍女のものとさほど変わらないように見えるのに、彼のものだけ明らかに質が違っていた。
女王の側近くに仕えているのだろうと推測できるのに、なぜ彼は自分たちの待遇が良くなるように交渉してくれないのだろう……?
「……」
(江間先輩なら、きっとその辺ちゃんとして、助けてくれるのに……)
と思ったところで、佐野はかぶりを振った。
その江間がなぜいないか――菊田が繰り返し「宮部さんのせい」と言っているが、本当は違う。
宮部は向こうで色々な嫌がらせを受けていた。原因は彼女の付き合いや愛想の悪さもあったかもしれないが、一番は江間だと思う。彼の彼女に対する態度は良くも悪くも他とまったく違っていたから。
菊田を始めとする彼の取り巻きが嫉妬半分、面白半分で、宮部に嫌がらせを繰り返していたが、佐野は自分に火の粉が飛んでこないように、注意してふるまっていた。
あんなあからさまな嫌がらせをする菊田たちが、馬鹿なのは確かだけど、それを何とかしようとしない宮部のことも理解できなかった。ものすごく頭のいい人のはずなのに、なぜ、と。
事実彼女は嫌がらせに対して無反応か、そうでなくても鬱陶しそうにするぐらいで、卑屈になる訳でも怯える訳でもなかった。
同情しない訳ではなかったが、本人が何も反応しないし、江間を始め、誰かが庇おうとすればするほど、陰で嫌がらせがエスカレートするというのもあって、正直どちらにも関わりたくなかった。
この前、菊田が泣きながら、宮部に階段から突き落とされそうになったと吹聴してまわっていた時もそうだ。佐野は「どうせ逆でしょ……」と思っていたが、そんなことをする人にもそんなのに絡まれ続ける人にも、近寄りたくない。巻き込まれたくない。
それがこっちに来て、狂ってしまった。
ちょっとした意地悪のつもりだったのだ。こんな異常な場所に来ても、宮部は取り乱さなかった。可愛げがないのは損だ、やはり要領が悪い、と向こうの世界でなら苦笑で流せたのに、誰に臆することも媚びることもなく、淡々と自分の意見を言い、自力で判断して行動する彼女に、なぜか佐野は苛ついた。
ウサギに似た生き物を捉えた時のことだ。「かわいそうで殺せない」と言った自分たちに対し、宮部は「食べなければ死ぬ」と言い、無表情にそのウサギを絞めた。江間もさすがに引くだろうと思ったのに、「信じられない」「かわいそうだと思わないんですか」と非難した自分たちを、彼は「手を汚せないのは仕方ない。けど、代わりにやってくれるやつを非難するのは無しだ」と逆に諫め、ウサギの解体を始めた宮部を手伝っていた。福地も苦笑しながら「感謝しようね」と……。
かわいそうで食べられないと思っていたのに、皮をはがれ、焼かれたそれは“肉”だった。その香ばしい匂いは、空腹に抗いがたい誘惑となって、結局食べてしまったのに、それでも宮部は何も言わない。本当なら感謝すべきだったのに、自分の偽善と勝手さ、考えの足りなさを思い知らされた気がして、恥ずかしくてみじめになった。
冴えない女の代名詞として嘲笑されているくせに、と彼女を逆恨みし始めてから、佐野は少しずつおかしくなっていった。
これまで佐野が距離を置いていた菊田と寺下は、淡々と目の前の問題に対処していた宮部や江間、福地と違って、おかしな世界に来てしまった佐野の怯えや苛立ちに共感してくれた。
気付けば、佐野は彼女たちと行動を共にし、一緒に宮部に嫌味を言い、嫌がらせめいたことをして、ストレスを発散するようになっていた。大丈夫、これぐらい、強い宮部は気にしない。やればやるほど、そう確信を持っていった。
挙句、森に置き去りすれば、宮部も少しは身の程を知るかも、という菊田の思いつきに飛びついた。最初ただの冗談だったそれは、佐野と寺下が賛同したことにより、本当に実行されてしまう。
「あの顔、見た? あーおかし」
「今頃、泣いてたり?」
「それは見てみたいですね……」
天罰はすぐに来た。彼女を笑いながら洞窟に帰る途中、化け物に襲われたのは佐野たちで、そのあまりの異様な姿に死を覚悟した瞬間、宮部が走ってやってきた。「大丈夫か」と……。
化け物は自分たちではなく、その彼女に襲い掛かり……自分たちは逃げた。ひどい扱いをしていたのに、それでも助けようとしてくれた彼女を再度見捨てて――
「……あんなことになるとは、思わなかったんだもん」
佐野は椅子に両足を上げ、膝に顔をうずめて小さく丸まる。
過去何度も宮部に助けられたことを今更思い出して、激しい後悔に襲われる。
卒論の方向性、データ解釈、院試対策、資料整理……助けてもらって礼を言う佐野に、いつも宮部は滅多に見せない笑顔を返してくれた。地味ながら実は欠点の少ない顔つきだと知っていたけれど、その顔が驚くぐらい優しくて可愛くて、ちょっと得した気分になって、ついでに「江間先輩もこの顔を知っているのかも」と勝手に想像したりしたのだった。
その江間は宮部を置き去りにしたと知るなり、激怒と軽蔑の目を自分たちに向け、「最低だな」と吐き捨てた。そして、手元にあった道具と棒きれをひっつかむと、福地の制止と縋り付く菊田を無視して、何のためらいもなく彼女の元へと行ってしまった。
その横顔を見て思い出したのだ。宮部が江間を見ていない時、彼が彼女をどんな目で見ていたか。横で見ている佐野が居たたまれなくなるような――。
その瞬間、誰かの大事な人を、遊び半分で殺せる人間に自分がなってしまったことに気付き、佐野は全身から血の気を失った。
その後はひどく長い夜になった。「様子を見に行きませんか……」と口にしたが、「行っても無駄じゃないかな」「今度は私たちが危険になりますし」と福地と寺下に返されて、佐野もそれを言い訳に結局彼らを探しに行かなかった。自責と後悔と化け物への恐怖で、ぐちゃぐちゃな気分だった。
そこに大トカゲに乗ったバルドゥーバ人がやってくる。
様々な問答を後回しにして、身振り手振りで、二人を一緒に探してほしいとバルドゥーバ人たちに必死に頼み、見つけたのは、大量の血と樹に打ち込まれた宮部の長い黒髪、そして、その彼女をかばうかのような、同じ樹についた江間のものと思しき真っ赤な手形だった。
あの化け物が何とかという危険なもので、遭遇したら生きていられない、むしろ佐野たちは運がいいと、バルドゥーバ人に慰められて以降、佐野は菊田の顔も寺下の顔も、正面から見られない。
(もう嫌だ。なんでこんなことになったんだろう。ここに来さえしなければ、あんなひどいことはしなかったのに)
「ごめんなさい……」
抱え込んだ膝に顔をつけたまま、佐野はもう何度目か判らない、宮部と江間への謝罪を口の中で繰り返す。
帰りたい。他には何も望まない。日本に帰って、お母さんに会いたい。ここはもう嫌だ。女王は怖いし、言葉もあまり通じないし、バルドゥーバ人は皆暗くてよそよそしい。
他の日本人ももう顔も見たくない。福地は自分だけうまくやっていて、佐野たちのことは知らん顔だし、菊田は不満を騒ぎ立てるだけ。一度宮部の名を出したら、ヒステリックに怒鳴られた。寺下は媚びる対象をバルドゥーバ人としたらしく、気まずそうな顔をして見せつつ、自分や菊田を無視するようになった。かつて宮部にしていたように。
ご飯もまずいし、茶と彼らが呼ぶ飲み物は変な味がする。服だって全くおしゃれじゃないし、せめて清潔にしようと思っても、たまにサウナのようなのに入って、全身を塩のようなものでこするだけ。
荷物もなんだかんだ理由をつけて持っていかれてしまって、返してもらえない。菊田のスマホはバラバラにされたらしいから、おそらく自分のも……。
(もう嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、なんでこんなことに――)
『「キクタセンパイ」?と、会わなくてすむようにしますか?』
控えめな声に、佐野は驚いて顔を上げる。
『彼女のせいで、疲れているのでは?』
眉間に小さく皺を寄せて佐野を見ている世話人の顔には、心配が載っている気がする。いつも冷静でほとんど表情を変えない、人形のような人だと思っていたのに。
『大丈夫ですか? ええと、I mean, are you OK?』
戸惑いを露にした世話人、テュオルが佐野へと近寄り、片膝を落とした。彼が痛ましげな顔をして半透明の布切れを差し出してきて、佐野は初めて自分が泣いていることに気づいた。




