掌編〈子守〉
〈子守〉
「眉唾だな」
ザルファはグラスに注がれた琥珀色の液体を口に含む。鼻を抜ける芳醇な香り。舌を辷る硬質な味わい。咽喉を灼く高いアルコール。「美味いな」残りの火酒を一気に呑み下し、ザルファは対面の男に向かってグラスを突き出す。「悪くない酒だ。もう一杯くれよ」
「少しは味わって呑んだらどうだ、ザルファ」
「自分で注ぐからボトルごと寄こせ」
「馬鹿なことを」男はザルファのグラスに酒を注ぎ、「これが一本幾らすると思ってる。冗談でもそんなことを口にするな」
「冗談ってのは今お前が口にした話のことだ」グラスに口をつけ、ザルファは鼻を鳴らす。「西部に弐號種が出た? それももぐりの狩人がその弐號種を殺した? どう考えても眉唾だろ。そんなくだらない話をする為にいちいち俺を呼びつけるなよ。一級ってのはお前が思っているほど暇じゃない」
「心配するなザルファ。向こうふた月に渡って君の任務予定は私が責任を持って空けておいた。今の君にはたっぷりとした時間のゆとりがある」
「まさか俺を西部に行かせるつもりじゃないだろうな」
「西部協会に所属する狩人三名からの正式な報告が届いている。我々協会本部としてもこの報告を看過することはできない。上層部との審議の結果、我々は西部への〈調査団〉の派遣を決定した。その調査団に、君も同行してもらう」
「オイオイ、俺に子守をしろってか?」
「君からすれば赤児の手を捻るよりも楽な仕事の筈だ」
「俺が好きなのは狩りだ」ザルファは椅子から立ち上がり、毛足の長い絨毯を踏み締めながらゆっくりと男の傍らに移動する。上等な樫材のテーブルに片腕をつき、もう片方の腕を男の肩に廻し、ザルファはぐいと貌を近づける。「俺は獸を殺す為に協会にいる。あの化け物どもを戮す為にな。判るか?」燃えるような赤毛が男の頬を撫でる。虎のように獰猛な眸が、その横貌を睨めあげる。「調査団の子守なんて雑務は俺には役不足だ。そんなくだらない仕事は他の奴にやらせろ。云ったろ、俺は忙しいんだよ」
「君が忙しいのは〈裏〉の仕事に精を出しているからだろう」男は冷ややかな声色で云う。「私は君にお願いをしている訳じゃない、これは命令だ、ザルファ。協会本部の長として、一級狩人である君に調査団の護衛を正式に命じる。断るというのなら、それなりの処分を覚悟して貰うことになる」
「へぇ、どんな」
「狩人証を没収する」
「俺からコイツを奪うってのか?」ザルファは協会長の前にじゃらりと鎖を垂らす。兇暴な獸の横貌、填め込まれた鮮烈な色彩の紅玉、純銀性の円徽章。この国に於いて六人の狩人だけが手にすることを赦された、最高の狩人の証。「ただでさえ人出が足りず、直に〈澱底〉も濃霧に包まれる。そうなると南部も荒れる。いま俺から狩人証を没収するのは、あまり得策とはいえないんじゃないか?」
「君が粛々とこの任務を引き受けさえすれば問題ない。観測班の話では〈澱底〉が濃霧の時期に突入するのは、早くともふた月ほどの月日を要する。つまり、今なら君は西部で仕事を終わらせ、〈澱底〉が荒れ始める前に南部に帰還することができる。そう、今ならな」男はグラスの中の火酒を一気に呷り、「……私としても、君にこの任務を宛がうのは本意ではない」アルコールに灼けた熱い吐息を静かに吐き出す。「君がどういう人間なのかは、私も知っている。君はこのような任務に全く適性がない。君の実力が遺憾なく発揮されるのは南部の前線に於いて、そして〈澱底〉の中だけだ。それは重々承知している。だが、いま君も云っただろう、人手が不足している。折り悪くも他の五人は任務で出払っている。君しかいないんだ、ザルファ。弐號種の調査に同行できる程に腕の立つ狩人は、君しかな」男は肩に廻されたザルファの腕を振り払い、ゆっくりと立ち上がる。威儀を正し、ザルファと向かい合う。「協会長として、今一度命じる。調査団の護衛として、西部の弐號種調査隊に同行しろ」
ザルファは協会長の瞳を視る。
揺るぎのない、真剣な眼差し。信念に裏打ちされた、強かで真っ直ぐな眼差し。それは間違いなく狩人の眼差し。──そう、協会長もまた、現在の役職に就く以前は、二級狩人として南部の前線で地獄のような獸狩りに明け暮れていた。
”獸と戦い血を流す者は、等しく俺の同胞”
「……仕方ないか」ザルファはテーブルに置かれた火酒の瓶を手に取り、そのまま喇叭飲みする。「餞別としてコイツは貰ってくぜ」半分ほどに中身の減った瓶を振りながら、ザルファは部屋の戸口に向かって歩き出す。「俺ももうガキじゃないからな。判った。引き受けてやるよ」
「出発は明日の朝一番だ。飲み過ぎに注意しろ」
「知ってるだろ? 俺は酒じゃ酔わない」
「餞別ならもうひとつやろう。護衛任務が終わり次第、君に長期休暇を与える。西部でゆっくり休んでこい」
「どういうことだ?」
「言葉のままの意味だ。長らくまともな休暇など取っていないだろう。ゆっくりしてこい」
「なるほど、それが報酬ってわけか」
「破格の報酬だろう。〈澱底〉が濃霧に覆われる前に帰ってきさえすれば、期限は問わない。存分に西部を満喫してこい」
「そのまま帰ってこないかもしれないな」
「それはない」協会長は苦笑し、ザルファの背に語り掛ける。「君がどういう人間なのか判っていると、先ほど云っただろう。そう、君は酒では酔わない。金を稼ごうと、女を抱こうと、どれだけ放蕩を重ねようとも、君は素面のままだ。君を酔わせることのできるものは、戮しだ。”獸狩り”だけが、君のことを心底酔わせることができるただひとつのもの。だから君は必ず帰ってくる」
「御名答」ザルファは長外套の裾をひらめかせ、扉を開ける。協会長を振り返り、虎の眸に兇暴な光を湛え、ザルファは云う。「お前の云う通りだ。つまるところ、俺が酔えるのはそれだけだ。だから、ああ、俺は帰ってくる」心底愉しそうに、ザルファは嗤う。「何せ俺がこの国で満足できる場所は、此処だけだからな」
〈了〉
特典のSSとして考えていたが収録自体が無くなったのでお蔵入りになっていたザルファの掌編。せっかくなので載せておきます。
もしかしたらもう一本くらい、お蔵入りしていた掌編を載せることがあるかもしれません。いつの日か。
『ラドゥと旅路と獣狩り』を読んでくださり、ありがとうございました。




