水鈴の姫 12
水鈴の姫12
「ここが、水鈴の姫の神殿……」
私は今、水鈴の姫の神殿の前で口を大きく開けて立っている。
神殿と言われてローマの神殿を想像していたけど、それを裏腹に教科書に載ってそうな和風の宮殿がそこにはあった。
なんで洋風ではなく和風の建物に作ったのかと疑問を抱くくらい神殿の違和感は大きかった。
神殿は巨大で、白い壁にはツタが何本が掛かってあり、その隙間から綺麗な水が流れ落ちる。そして、その下にある水溜りと一緒になり神殿の至る所に流れているようだった。
「水羽、早く行かないと前の方で見れなくなるよ?」
ぼんやり立っていると手を引かれる感覚に自分の状況を自覚させられる。
サイに言われた通りまだ始まる30分前だというのに神殿の中は人だかりができていた。
これではもう前の方へ行くのは無理だと思うけど彼女に無理という単語はないらしい。
「私は後ろの方で大丈夫だよ」
「なに言ってるの!せっかくだから前に行って聴かないと。ほら、ギルさんも行きますよ」
「俺はここでタバコでも吸ってるからお前らで行ってこい」
そう言い、ポケットからタバコを取り出し火を付ける彼の姿にサイは頬を膨らませた。
「もう。それじゃあ、二人で行ってきますからね」
「おう。行って来い」
私の意見は通らなくて一人だけ抜け出した彼を羨ましそうに見るが、その瞳はもう私達を向いてなかった。
仕方ないと神殿へ足を踏み出したその時。
ぽた……。
水の音が聞こえた。
「どうしたの、水羽?何処か痛い?」
急に止まって動かなくなった私を彼女は心配そうに顔を覗き込んてくる。
「今、水の音しなかった?」
「水?水ならいっぱいあるけど……」
確かにここには何処も水だらけ。
だけど、私が聞いたのはそんな音ではない。
何回も聞いた、一粒の雫が落ちる、誰かの悲しみが混ざったオト。
そう。あれは……
あの子の涙のオト
「大丈夫?ギルさんの所に戻ろうか?」
「ううん、行こう。一番前の方に行こうよ」
彼女は突然の積極的な私の態度に戸惑いながらも「わ、わかった」と返事をしてくれる。
今の私には余裕がなくて、そんな彼女を気遣うことができなかった。
行かなくちゃ。行って確かめなくちゃ。
お兄ちゃんが、私がこの世界に来た理由も、夢の中のあの子も、水鈴の姫のことも。何より私に……歌えって事も。
行ったら全てが分かりそうな気がして私はサイと握った手をぎゅっと力強く握りしめ、震える足を無理矢理動かした。
サイを凄いと思った。
ううん、ずっと凄いと思っていたけど、今日は特にそう感じた。
だって、気がついたら無理だと思っていた列の一番前に立っているんだから。
あの後、サイに手を引かれるままにただ体を任せていただけなのに、人混みを抜けることができたのだ。私には凄いとしか言えない。しかも彼女の顔には疲れが一切見えなかった。ただその瞳を輝かして前を向いていた。
私も自然と目を動かすとそこには水に囲まれた野外ステージが建っていた。水面には見たこともないくらい綺麗なピンク色の睡蓮の花が咲いていてとても幻想的で素敵で「わあ……!」とつい声が溢れてしまう。
ステージの後ろには階段があり、親衛隊と思われる人が立っていて警備は厳重そう。
色々と神殿を観察してたらサイが戸惑ってる声で耳打ちをしてきた。
「ねえ、あそこの人って……」
「あそこ?」
彼女の指差す方向には高価な服を身にまとった、どう見ても身分が高そうな男性の人が椅子に座っていた。その周りにも親衛隊の人が何人と後は他の制服を着た人が彼を守っているようだった。
その席は神殿の中の二階にあり、ステージを見るには最適だと思う。
でも、彼は誰なのだろう?
「あの人って誰?偉い人?」
「水羽、それ本気?」
ありえないとでも言いたげなその瞳に私はゆっくりと首を縦に動かす。彼女はしょうがないと軽く溜息を吐いて説明を始めてくれた。
「彼の方はエルフィンストン・オリバー王。この国の王様よ」
「国?王様?」
ここが街で国があるのはわかるけど、まさか王様がいたとは。そう驚いた。
前、ギルさんが水鈴の姫は神様みたいな存在だと言っていたので、ここでは王様はいないと勝手に思っていたのだ。
「あれ、でも私、王宮とか見たことないかも」
この世界に来てもうすぐ二ヶ月。その間、街の全ての所を回れたわけじゃないけど、立派な建物はこの神殿以外なかった。
「それはそうよ。王宮は首都にあるから」
「ファヴールが首都じゃなかったの?」
初めて知る真実に驚きを隠せなかった。
ファヴールには色んな店や物、人口も多いと思っていたのに首都じゃないなんて。
「前から思ったけど、水羽はどこの田舎から来たの?本当にここのこと何一つわからないんだね」
あんまりの私の無知さにちょっと疑いを持つ彼女。
それもそうだ。私はこの世界の人間ではないのだから。でも、真実を今更教えることもできず、私はただ困ったように笑うだけ。
「まあ、いいか。ファヴールはね、リュミエール帝国の街の一つなの。首都はラグロスって名前でここから少し離れた場所にあるんだ。盛んでるし、土地もとても広いんだよね。でもね、ここも負けないくらい盛んでるんだよ。なにせ水鈴の姫がいらっしゃるからね!」
えへんと自慢気の彼女はかつてのディランくんの様だった。
彼女の話にどれ程私がこの世界をわかろうとしなかったのを痛感した。今まで、ただこの世界に慣れることが必死だったのだ。
ここまでくると何も知らない自分が恥ずかしい。
「盛んでいる理由としてはね、神殿の地下に泉があるんだって。その泉は水鈴の姫やその部下達の中でも隊長の人達しか入れないみたいで、泉の水がこの街を回ってそれから他の街に流れて行くの。だから、ここの水が一番澄んでいるんだよ」
現世、私が住んでいた世界では海の水などが蒸発してそれが雨になって、川に流れまたそれを繰り返すけど、この世界は違うみたい。
どうやってその泉の水が果てしなく流れていくのか想像もつかなかった。
「その泉の水って無くなったりしないの?」
「それがね、不思議に無くなったりしないんだって。でも……」
今まで楽しく話してた彼女の顔が一瞬で曇る。
「最近水が減ってるって噂があるんだよ」
「えっ」
そう言えば、前ディランくんが水玉飴を買ってくれた時、そんな話をしていた。
水が少なくなっている事とあの子の姿が痛々しくなった事と関係があるのかな。
つい真剣に考え込む私を見て彼女は焦り、声のトーンを上げる。まるで自分の不安も消す様に。
「でも、きっと水鈴の姫がなんとかしてくれるはずよ!って、こんな事話ししていたらもう始まるみたい」
彼女の言う通り五月蝿かった周りが静かになり、何処かでちりん、と綺麗な鈴の音が聞こえた。
なんて透き通った音色なのだろうと目線を前へと移す。そこには現世でよく見る巫女の衣装を身にまとった二人の女性が階段の下で鈴を鳴らしていた。
規則正しいその音に合わせて神殿の中から誰かが姿を現す。その人たちはディランくんを入れた親衛隊だった。リアムさんや他に知らない男性と女性が一人ずつ居た。
四人が階段の下で二列になり立ち、そして片足を跪く。その瞬間、鈴の音がぴったり止まり、周りがざわめき始めた。それはあの日見た寂しそうな黄金の瞳を持った女性が立っていたから。
「水鈴の姫!」
「姫様!」
あっちこっちから水鈴の姫の歓声が上がる。
彼女は私達を一回見渡した後、ゆっくりと階段を一つ、一つ降りてきてステージの上に立った。そして片手を上げるとそれを合図として皆んなが静まり返る。
「今日は集まっていただきありがとうございます。今年もこうやって無事に水祭が開催することができて嬉しく思っています。それも全部皆様のおかげです」
そう言って彼女は優しく微笑む。
なんて綺麗な人なのだろう。本当に神様、女神だと言われても信じちゃうくらい周りがキラキラ輝いていた。
「それでは水祭最後のイベントをお楽しみください」
ゆっくり腰を落としてお辞儀をした彼女は自分の胸に右手を乗せる。そして、淡いピンク色の唇が動き出す。彼女が奏でる音色がこの空間を埋めていく。
なんと美しい声。
伴奏も何も無いのに、誰もが聴き入ってしまうほど彼女の歌声は完璧だった。そう。皆んなが目を輝かせるくらいに。
でも、どうして私は彼女の歌が悲しいと思うの?
「悲しい」
胸の苦しさに私の目から一粒の涙が流れた次の瞬間。
バーーーン!!
大きい音、爆発音らしき音と一緒にステージの周りの水が飛び散る。急な出来事に人達は身構え、親衛隊は水鈴の姫の元へと走ってくる。そして、それを阻止した彼女だけは何一つ表情を変えなかった。
その姿に誰かが声を上げた。
「ああ、なんて素敵な日なの…!」
「水鈴の姫の力だ!」
「これでこの街はずっと平和だ!」
嬉しそうな彼らとは正反対に私は戸惑っていた。
おかしい。おかしいよ。先の音はどう聞いても何が爆発した感じだったのに。
皆んなどうしてそんな笑顔で居られるの?
本当にこれは水鈴の姫の力なの?
「ねえ、さ……」
サイの名前を最後まで呼ぶことができなかった。だって、彼女もまた神様に救いを求めてる表情をしていたから。
「やっ!な、なに!?」
突然右の手首に冷たい感触がして目線を移すと私は息を飲み込んだ。それはステージの水がまるで生き物みたいに伸びて私の手に絡みついていたから。
「何これ、離して……!」
急いでそれを離そうとするけど、水そのもので掴むことができない。寧ろ、力一杯引っ張ってきて、どんどんステージへと近づいて行く。
誰か助けて……!
そう思って前を向くと驚いている水鈴の姫と目が合う。私は無意識に彼女へと手を伸ばせていた。助けて欲しいと。
彼女もまた私へと手を伸ばすが、その手が私に辿り着くことはなかった。
水の冷たい感触と一緒に私は奥底へと沈んでいった。




