六歳児、いかさま屋台を詰ませる
「はい残念、またハズレだ! さあ次いくよ次!」
くじ箱の前で、鉢巻きのおじさんが白い紙をひらひら振ってみせた。中身は真っ白。拓也の顔がみるみる歪んでいく。
「大当たりはもうすぐそこだぞ! 引かなきゃ当たらねえ、ほら並んだ並んだ!」
声だけは威勢がいい。だが目は笑っていない。おじさんの視線が、箱の左手前の角をちらりと確かめるのを、俺は見逃さなかった。
――ひと目で答えは出ていた。この箱には仕込みがある。
四十年生きた頭で見れば、六つの子どもの目にも、屋台の嘘くらいは透けて見える。
夏祭りの境内は、蝉の声とソースの焦げる匂いで飽和していた。提灯が等間隔に灯り、暮れ残りの空をぬるいオレンジ色に染める。金魚すくい、輪投げ、綿あめ。浴衣の子どもたちが列をなし、握った小銭を屋台に吸われていく。その一角の小さなくじ屋台に、俺と同じ歳ごろの子が群がっていた。拓也もその一人だ。握った百円玉を、もう五枚も箱に沈めている。友達が帰ろうと袖を引いても、聞く耳を持たない。
四十年ぶりの景色だった。まぶたの裏で色あせていたはずの景色が、いま目の前で灯り直している。……とはいえ、懐かしさに浸る前に、片付けるべきものが目の前にあった。
白い鉢巻きを締めた、いかにも人の良さそうな笑顔のおじさんだった。少なくとも、傍から見ればそう見える。
「あと一回で当たる気がするんだ」
握りしめた百円玉を見かねて、俺は口を挟んだ。
「拓ちゃん、その百円は貯金しときな。このくじ、当たらないよ」
「なんでそんなこと分かるんだよ」
「見れば分かる。……まあ、六歳児の言うことだと思って聞き流してくれてもいいけど」
実際、見れば分かった。子どもの姿を借りていても、頭の中身までは変わらない。もっとも、この時点ではただの勘に近い。だが六歳児が偉そうにベイズだの何だのと語り出すのも面倒なので、俺は口をつぐんで箱を観察することにした。
もう一つ気になる点があった。さっき隣にいた小学生くらいの男の子が一度だけ当たりを引いていた。プラスチックの指輪一つ。歓声は上がったが、それだけだ。信用を保つためのまき餌だろう。当たりを完全に無くせば、誰も並ばなくなる。
――もっとも、鼻先を漂ってきた焼きとうもろこしの匂いに五秒ほど気を取られたのは否定できない。この体は、脳より先に腹が減る。厄介なものだ。
普通のくじ箱よりも心なしか分厚い。底に何か仕込める余裕がある高さだ。そして、おじさんは客が箱に手を入れるたびに、右足のつま先をそっと地面にこすりつける。一見、ただの貧乏ゆすりだ。だが動くのは決まって、客の指が箱の奥へ伸びた時だけ。手前をつまむ子には、足はぴくりともしない。
あとは足元を見ればいい。俺はしゃがんで靴紐を結び直すふりをした。子どもの背丈がこういう時だけ役に立つ。台の裾から覗くと、脚に細い糸が這っている。先は、おじさんの下駄の鼻緒に結ばれていた。
透明な糸だ。ぱっと見はただの釣り糸、テグスの類い。だが妙に張りが強く、たるみがない。普通のナイロンなら、この長さを渡せばもう少し垂れて丸まる。伸びの少ない高強度の糸をわざわざ選んでいる。つまり、下駄をほんの数ミリ動かすだけで箱の中まで力が正確に伝わる。素人の思いつきではない。
踏み方を変えるたびに、箱の中の仕切りが動く仕組みだろう。客の指が奥へ届きそうになると、足で仕切りをずらし、当たり札を壁際のさらに奥へ逃がす。手前の列には、いつだってハズレしか残らない。要するに、この台は当たりが構造的に手の届く場所へ来ない。何回引こうが、期待値はゼロに固定されている。三流にしては、よく考えたものだ。
俺は拓也の手から百円玉を取り上げ、代わりに自分の一枚を箱の前に置いた。
「おじさん、一枚もらうよ。ところで、この箱は変わった台の作りだね。どこで仕入れたの?」
なんでもいい質問だった。両手と口を同時にふさぐのが目的だ。おじさんは「あー、これは知り合いのつてで……」と喋り始め、右足はそのまま地面に張りついた。
こういう手合いは、種を突かれた時の逃げ口上まで、判で押したように同じだ。どうせ「これはただの飾りだ」と言う。賭けてもいい。
俺はその隙に、箱の台の裾を勢いよくめくった。下駄の鼻緒へと伸びる細い糸が、露わになる。それを見て、周りの子どもたちが「あ」と声を上げた。通りすがりの母親らしき人が足を止めて、こちらを覗き込んだ。「あら、何かしら」という顔だ。人が増えれば、おじさんも逃げ場を失う。願ったり叶ったりだった。背後では、さっき当たりを引いた男の子まで足を止めてこちらを見ている。指輪一つの当たりが、急に安っぽく見えてきたらしい。
「おじさん。拓也が五回引いて全部ハズレなのは、べつにおかしくないよ。くじの数がこれだけ多けりゃ、当たり三本くらい、何回外そうが不思議じゃない。ただの不運かもしれない」
一拍おいて、俺は続けた。
「でも、それとは別の話。おじさん、客が箱の奥へ手を伸ばすたびに、右足で仕切りを動かしてるよね。当たり札を、指の届かない奥へ逃がすために。──だからこのくじ、当たりは手前に来ない。何回引こうが、当たらないようにできてる」
できるだけ低い声で言ったつもりだが、実際に出たのは高い子どもの声だった。迫力は正直半分も出ていない。それでも、言葉の効き目は十分だったらしい。
おじさんの顔から笑顔がすっと引いた。
「ただの飾りだ。屋台の脚は元々こういう形で……」
――ほら、言った通りだ。俺は胸の内で小さく答え合わせをした。
「ただの飾りだって言うなら、その足をどけて、箱の蓋を開けて、中の仕切りをみんなに見せてよ。何も細工がないなら、困らないよね」
おじさんは、答えなかった。下駄につながった糸と、開けられない箱が、代わりに何もかもを白状していた。やがて大きく息を吐くと、財布から百円玉を数え、拓也たちの手にひとつずつ返していく。
「坊主、どこで覚えたそんな話……」
「気にしないで。次のお祭りまでにはちゃんと直しといてね」
その場を離れる前に、屋台の裏で小さく舌打ちする音が聞こえた。次の街ではもう少し上手くやれよ、と内心で忠告しておく。
拓也たちが歓声を上げて駆けていくのを見送りながら、俺は境内の隅にしゃがみ込んだ。六歳児の知恵比べにしては上出来、と自分でも思う。ついでに言うなら、身長百十センチの威厳のなさはまた今夜の反省点に加えておこう。
遠くで母の呼ぶ声がした。「周、そろそろ帰るよー」ヨーヨー釣りを覗く暇もなく、俺は小さく手を挙げて応えた。
――そう、俺はほんの少し前まで四十のさして代わり映えのない会社員だった。過労だったのか、階段から落ちたのか、正直よく覚えていない。ただ、締め切り前の資料を最後まで気にしていた自分だけはやけに鮮明に覚えている。それくらい平凡な人生だった。
覚えているのは、光の中で頭に浮かんだ数百の選択肢の山だけだ。超人的な肉体、不老、莫大な富、透視――どれも魅力的ではあった。だが、そのどれも、『取った後にどう使うか』を考える頭がなければ宝の持ち腐れだ。
わからないものに放り込まれたなら、取るべき答えは一つだ。──すべてを解き明かせる頭を、最初に取る。残りの特典は、それさえあれば後からいくらでも手に入れられる。逆はきかない。
【全知演算】。目が覚めたら、俺はこの街の片隅でもう一度生まれていた。産声を上げた瞬間から、頭の中はやたら冷静だった。ただ、体の方はそうもいかなかった。あれから六年。ようやく箸がまともに使えるようになったところで、目の前の三流のイカサマくらい朝飯前だったわけだ。
ところで――俺を『この人生』に割り振ったのは、誰なんだろうな。
考えても答えの出ない疑問だ。今はひとまず置いておく。差し当たって、優先すべきことは他にある。この先、何が値上がりし、何が化けるか。前世の記憶をたどれば、答えはいくつも浮かんでいる。しれっと動くには、あと数年の辛抱だ。今夜のいかさま暴きくらい、これから始まる長い攻略の、ほんの小手調べにすぎない。
――といっても、今夜みたいな謎解きは嫌いじゃない。数字と観察だけで、大人ひとりを黙らせる。この手応えは、四十年生きても味わったことがなかった。
とはいえ、縁日のいかさま暴きなんて、小遣いにもならない。
俺の頭には、この先の答えが詰まっている。前の人生で見てきた――何が値上がりし、何が沈み、どの波に乗れば頭ひとつで桁違いの高みへ駆け上がれるか。今はゴミ同然の一枚が、いずれ家一軒に化ける未来まで、俺は知っている。
足りないのは、金と、立場だけだ。六歳の体には、まだどちらも無い。
――だが、"まだ"の話だ。じきに、そのどちらも、この手の中に集めてみせる。
次にこの命が尽きる時、俺はまた別の誰かになって、特典がもう一つ増える。だが、それはずっと先でいい。まずはこの一周を、根こそぎ攻略させてもらう。




