第16話「SAVE THE QUEEN」
その日は遂に訪れた。
このウルスラ王国の誰もが望まぬ、瞬間。
ここより先は、世界のすべてが望んだ戦争の時間だ。
ウルスラ王国から出国する国民は1%にも満たなかった。また、各国大使館の職員や要人、一般の外国人の退避も完了している。
その作業進捗から逆算して、今夜が開戦の夜だとエディンは知っていた。
「エディン、全機の装備換装完了、っと。斬磁場刀の鞘を兼ねたシールドブースター、これってどなの? 使える?」
エディンは愛機"カリバーン"のコクピットから身を乗り出す。
今、姉のエリシュが立つ滑走路には、ずらりと空戦形態の"カラドボルグ"が並んでいる。どの機体にも、上部後方にシールドブースターが追加装備として搭載されていた。これは外付けのブースターであると同時に、機兵形態では文字通り盾になる。
内蔵されている斬磁場刀は、以前から敵国にも磁力炉搭載型の機動戦闘機が存在することを想定した装備だった。
「斬磁場刀は物理的な運動エネルギーをぶつける斬撃武器であると同時に、磁力を打ち消し遮断する力があるんだ。機動戦闘機同士では決定打になるかもね」
「そなの?」
「マグネイト・ジョイント機構を一時的に破壊、可動不能にできる」
「つまり?」
「あっさり手足を切り落とせるってこと。姉さん、知ってて聞いてるでしょ」
「まーねっ、デヘヘ」
エディンも苦笑しつつ無線のボリュームをあげる。
今、全パイロットは自分の機体で待機している。
そして、今この瞬間にも国境線の周囲360度をあらゆる国家の軍が囲んでいた。
国連からの最後通牒もあって、午前零時と同時に世界中が宣戦布告してくる。
肌寒い夜の空気は、透明な冷たさで星と月とを輝かせていた。
結局、エディンの周囲は誰も逃げなかった。
八神重工から来ている六華も、自衛隊の巌も……当然、リシュリーやスェインも皆、同じ。金で雇った傭兵達も誰一人欠けることはなかった。
そして、こうしている今も多くの者達が戦っている。
最後まで外交ルートをこじ開けようと、フリメラルダは奔走している筈だ。
兵站を一手に預かるエドモンも、取引ルートの確保に専心してくれている。
「戦争はやっぱり、これは……一大事業だよなあ」
「んー? 何、エディン。何か言った?」
「いや……そう呼ぶには少し血なまぐさいなと思って」
「何の話だか。ま、いっけどね」
そして、無線機の向こうが静かになる。
ノイズの音は並が引くように薄らいで、その奥から清水のような声が滴った。
凛冽たる決意を込めた、とても強い口調だ。
なのに、とても優雅で気品に満ちた声が響く。
広域公共周波数にも流されている、それはウルスラ王国の国営放送だ。
『ウルスラ王国の国民の皆様、ならびに世界中の皆様……私はウルスラ王国王女、オーレリア・ディナ・ル・ウルスラです』
今、生中継で王宮から世界へと言の葉が広がる。
ゆったりとして落ち着いた、まるで楽器の調べのような声だった。
『現在、列強各国の軍が我がウルスラ王国の国境付近に展開中です。これは全て、ウルスラ王国に大量破壊兵器保有の嫌疑があり、その査察を拒んだことへの制裁措置と通告されております』
ふと、エディンは気になっていたことを思い出した。
姿をくらましたシヴァンツは、確かにオーレリアにこう言ったのだ。
――この国には世界の軍事力を一変させるものが眠っているのです。
しかし、オーレリアを含む王室関係者の誰もが、そのことを知らない。
同時に、そう言われればウルスラ王国の誰もが納得してしまう。
この地は百年前、先の大戦集結の折に列強各国が秘密の交渉を持った場所。そして、その場で全ての国家が交渉自体の隠滅を図った。この地に眠る何かを、誰にも渡さない……ただそれだけの為に新型爆弾を無数に落としたのだ。
『私はウルスラ王国の王女として、公式に何度も回答を繰り返して参りました。このウルスラ王国に、大量破壊兵器などないと。そして、武力による解決は決して許せぬと。今、世界が冷静な判断力を欠いています』
そこまで言って、オーレリアは一呼吸おいた。
そして……悲劇の姫君の仮面が脱ぎ捨てられる。
同時に、エディンは彼女の覚悟を確かに受け取った。
この放送を聴く全ての者が感じたのだ。
敵となる者は戦慄し、オーレリアと共にある者は奮い立つ。
威厳を込めて紡がれる言葉が、一際清冽な声音を広げていった。
『……古来より国家とは、人類が身を守る為に構築してきた社会の、現時点での最大単位と言えるものです。人類の叡智たる文明を持たぬ太古の時代より、我々人類は社会というシステムを用いて互いを守り合いながら生き抜いてきました』
人間という生物は、驚く程に弱い。
生身の肉体一つでは、自然界のあらゆる生命に劣るかもしれないのだ。何故なら、文明が生み出す衣食住がなければ、人間は生きていけないからだ。そして、それを自然の中で本能的に獲得している動物とは全く異なる。
人間には虎のような爪も、狼のような牙もない。
野ウサギのような毛皮もないし、鳥のような翼もない。
水中では呼吸ができず、一度の生殖行為で繁殖できる数も少ない。
人類は脆弱なイキモノなのだ。
故に、人類は知恵と知性で文明を獲得し、社会という名のシステムを生み出した。
『社会というシステムの最初の形が、家族。男女が子をなす目的で生存権を共有、支え合う価値観です。そして、人類は繁栄と共に一つの巨大なシステムを作り上げました』
オーレリアの言葉に、世界中が呼吸さえ忘れているようだった。
月夜の静寂に、起動前の"カリバーン"も静かに翼を並べている。
恐らく誰もが、ラジオやテレビ、インターネットのSNSや動画サイトで見ている筈だ。無線越しでもエディンには、礼装に身を固めたオーレリアの姿が見える。
目を閉じれば、毅然とした厳かな強さを湛えた主がはっきりとわかる。
ならば、彼女の騎士として、機動戦闘機を従え統括する部隊長としてやるべきことは一つだ。
『それが、国家。国土を共有する民族や地域の民同士で、ルールを設けて守り合う社会です。その中で人間は、弱さ故に集い支え合って、役割分担をすることで互いの弱点を克服していきました。そして、今も国家というシステムはそれぞれの国民を守るために存在しています』
外でフライトジャケットのポケットに手を突っ込んで、エリシャは退屈そうだ。
彼女はこういった小難しい話が苦手なのだ。
だが、黙って聴いている。
聴き入っているのは、理解を超えた場所で共感を得ているからだろう。
思考と理性で動くエディンと違って、姉のエリシュは感情と直感で生きている。
その彼女が今、オーレリアの言葉を、その空気の震える音色を受け止めているのだ。
『国家は社会保障や保険制度で国民の生命と財産を守り、その国家を国民が維持するために民主主義がモアベターな手法として今も使われています。王政や立憲君主制、社会主義や共産主義といった多くのイデオロギーの中から、人類は民主主義を選択し、それを活かすことで国家というシステムを維持してきました』
先の世紀は、まさしく地球規模の国家実験が盛大に行われた時代だった。
富の共有、利益の公平な再分配を目指した共産主義、そしてあらゆる財産が国家に帰属する社会主義は……はからずも全て、それを統括するための独裁者を生むという結果を残して滅びた。
そして、消去法で民主主義が残ったのだ。
ベストではない、民主主義は決して楽園を生み出せない。
だが、『どちらがよりマシか、どちらならギリギリ許せるか』を国民が選び、多数決の結果を全員で共有するというルールが支持された。
だが、ウルスラ王国は民主主義の国家ではない。
『そして、世界中で民主的なシステムを前提に運営される全ての国家が、このウルスラ王国と戦火を交えるべく参集しています。そのことについて、私から申し上げることが三つございます』
滑走路の方が慌ただしくなってきた。
『まず一つ……人類を守るべき国家の、それも民主主義国家の皆様にお聞きします。考えてください……過去、民主主義国家が戦争を回避できなかった歴史は、枚挙にいとまがありません。今、この瞬間もウルスラ王国を攻め入らんとする方々……あなた達は、本当に民と国土のために戦うのですか?』
時間的には、まだ午前零時までは一時間程ある。
『次に一つ、国家とはあくまでシステム、民を守るための社会でしかありません。より良くなること、良いものへ変えることは当然です。そして……民の為に存在する以上、ウルスラ王国はあらゆる侵略行為を許しません。よって』
世界が震撼した。
全く誰もが予想だにせぬメッセージが世界を駆け巡った。
『ウルスラ王国はこれより、地球に存在する全ての国家に対して宣戦を布告《・》い《・》たします。ただし、戦場はウルスラ王国の国土、国内に限ります。これよりウルスラ王国は、侵攻してくる全ての国より、国民の生命と財産、そして国土を守ります』
ありえない話だった。
だが、エディンの顔には笑みが浮かんでいた。
それも、狂奔に魅入られた危険な笑みだ。
『私は元首として国家を維持し、運営する責任があります。ウルスラ王国は総力を上げ、侵略に立ち向かうでしょう。この地を踏む者が銃を持つならば、銃で迎えましょう。剣を持つならば、剣で応じます。そして……笑みには笑みで、手には手を伸べて握りましょう』
エリシュは納得したのか、後部座席へとタラップを上った。
そして、エディンも機体のチェックを開始する。
さらにオーレリアの言葉は続いた。
こうしている間も、彼女の演説をかき消すべく電子戦が行われている筈だ。そのあたりは、六華がやってくれている。今も彼女は、"カリバーン"の二号機のコクピットでキーボードを奏でていた。
『最後に、もう一つ……これより私は正式に王位を継承し、ウルスラの女王としてここに宣言します! 我が民と国土を脅かす、明確な侵略の意思を持って立ち入る者達よ……銃であれ剣であれ、その手に武器が握られている限り! 私の騎士達、兵士達が出迎えましょう! そして、覚えておいてください……人類が生存戦略として最初に手に入れた社会、それは家族! 私が民をそう想うように、この放送を聴く全ての方に問います。私は自分の家族も同然、それ以上の存在である民を守ります。あなた達は自分の家族に今、何をさせようというのですか?』
エディンは放送を聴きつつ、働き始めた。
もう、十分だ……演説は続くが、彼女が語る余裕を切り取る刻が来たのだ。
同時に、周囲のスタッフも慌ただしくなる。
「全機、アイドルアップ! エンジン始動!」
「一番機発進用意!」
「王宮より正式に入電! 機動戦闘機部隊……円卓騎士飛行大隊、全機出撃! くりかえす、全機出撃!」
エディンは即座に、タキシングで一番機として滑走路へと向かう。
先程乗ったばかりなのに、エリシュは既に全てのチェックを終えていた。
そして、オーレリアの声が高らかに響く。
『ウルスラ王国女王、オーレリア・ディナ・ル・ウルスラとして命じます! 勇敢なる勇者達よ、国土と民を脅かす全てと戦いなさい! 千湖の国ウルスラを、どうか守って……正義や理念、思想ではありません。今日まで生きてきた日常、明日からも続くはずの毎日を守るために! 私はこの王宮より一歩も動きません。我が騎士、我が兵士達よ! 我が子、我が親にも等しい者達よ……全責任は、このオーレリアにあります。どうか、力を――!』
エディンは誘導に従い、滑走路の上を走り出す。
世界のすべてが待ち望んでいた一秒を、裏切る。
そして、その一秒より先の今は戦争だ。
各国の軍が慌てている中、エディンは静かに夜気を切り裂き飛び立った。




