3話
ルナリアが俺の拠点――彼女が言うところの「聖域」――に来てから、数日が過ぎた。
俺たちの生活は、驚くほど平穏で、そして快適だった。
「アッシュ様、本日の朝食でございます」
「おお、サンキュ。……だから、その『様』付けはやめてくれって」
「滅相もございません! 神匠様のお名前を呼び捨てにするなど、不敬の極みです!」
朝、俺が目を覚ますと、ルナリアはすでに【エデンの果樹園】で収穫した果物と、【豊穣の魔法釜】が作り出した焼きたてのパンをテーブルに並べてくれていた。
彼女は俺が創造した(つもりの)ものを管理し、この拠点の世話を焼くことを自らの使命としているらしかった。彼女の甲斐甲斐しい世話のおかげで、俺のサバイバル生活は、もはや貴族の隠居生活のような趣を帯び始めている。
彼女の呪いは、この拠点の清浄な空気と、スキルで作られた食べ物のおかげか、日に日に薄らいでいるように見えた。顔色も良くなり、本来の美しさが際立ってくる。銀色の髪は【月光の絹衣】の効果もあってか、常に月の光を反射しているかのように艶やかだ。
俺がただの人間だと、いつ気づいてくれるだろうか。
今日の俺の予定は、拠点周辺のセキュリティ強化だ。
いくら【神木の結界要塞】が安全だと言っても、一歩外に出ればそこは魔境「嘆きの森」。畑を荒らす動物や、厄介な魔物がいないとも限らない。前世のキャンプでも、夜中に食料をタヌキに漁られた苦い記憶がある。
「畑の見張りを、いくつか設置しておくか」
「見張り……でございますか? まさか、新たな守護者を……?」
目を輝かせるルナリアに、俺は曖昧に頷いた。彼女の中では、俺が作るものは何でも伝説級になるらしい。
俺はスキルウィンドウを開き、ゴーレムの項目を選択した。粘土や石で作る、簡単な人形で十分だ。畑を荒らす猪やゴブリンを、ちょっと追い払ってくれればいい。
「命令は……『畑を荒らすヤツが来たら、優しく追い返してくれ』。あと、あんまりウロウロされると景観が悪いから、普段は石像みたいに動かないでいてくれ」
俺がそう念じると、拠点と畑の周囲の地面が数カ所、荘厳な光を放ちながら隆起した。
《オブジェクト:【古代文明のガーディアン】×4体の創造に成功しました》
《効果:マスターの命令を絶対遵守する自律式ゴーレム。古代金属の装甲はあらゆる攻撃を無効化し、内蔵された魔力炉は半永久的に稼働する。待機モード時は石像に偽装する》
光が収まった後、そこに立っていたのは、粘土人形などでは断じてなかった。
高さ3メートルはあろうかという、全身が鈍色の金属で覆われた重装の騎士像。その精緻な造形は、もはや芸術品の域に達している。彼らは創造されるとすぐに、畑の四隅まで移動し、ピタリと動きを止めて完璧な石像と化した。
「おお……! 古の叙事詩に謳われる、神々の庭を守ったという『静寂の番人』……! なんということでしょう、伝説は、実在したのですね……!」
感激のあまり、その場にひざまずいて祈りを捧げ始めたルナリア。
俺は、その横で「まあ、これでタヌキも来ないだろ」と、一人ごちるのであった。
◇
その頃、ダリウス・フォン・バルバトス率いる調査隊十名は、「嘆きの森」の深部へと侵攻していた。
「兄上、なんだか森の様子がおかしくありませんか?」
副官が、訝しげにダリウスへ話しかける。
ダリウスは、自慢の【魔闘士】のスキルで魔力を体に纏いながら、苛立たしげに答えた。
「ああ。瘴気が薄すぎる。それに、魔物どもの気配もほとんど感じられん」
彼らは森に入って数時間、一体のゴブリンにすら遭遇していなかった。本来であれば、一歩進むごとに魔物の奇襲を警戒せねばならない魔境だというのに。
木々は不気味に枯れているはずが、なぜか生命力に満ち溢れている。まるで、森全体が浄化されているかのようだ。
異様な状況に、屈強な兵士たちの間にも緊張が走る。
そして、さらに半刻ほど進んだ時だった。
「――ダリウス様! あれを!」
一人の兵士が、息を呑んで前方を指さした。
木々の間から、信じられない光景が広がっていた。
森の奥深く、あるはずのない開けた土地。そして、その中央に聳え立つ、巨大な白亜の建造物。
神々しいまでの輝きを放つその建物は、城とも神殿ともつかぬ、荘厳な威容を誇っていた。
「……馬鹿な。あんなもの、地図にはなかったぞ……」
ダリウスは絶句した。あれは、人間の技術で作れる代物ではない。まるで、天上の神々が自らの宮殿を地上に降ろしたかのようだ。
「……何者かの拠点か。よし、近づいて確かめるぞ。これほどのものを築く主だ、何者か知らねばなるまい」
傲慢で、自らの力に絶対の自信を持つダリウスは、恐怖よりも好奇心と功名心が勝った。彼は部隊に前進を命じ、その謎の神殿へと近づいていく。
やがて、彼らは神殿の手前に広がる、見事な畑にたどり着いた。そこには、見たこともない瑞々しい果物や野菜が、豊かに実っていた。
「なんだこの畑は……。嘆きの森で、作物が育つだと……?」
誰もが、目の前の光景を信じられずにいた、その時だった。
ゴゴゴ……。
畑の隅に置かれていた、一体の石像が、地響きを立てて動き出した。
その巨体は、あっという間にダリウスたちの前に立ちはだかる。
「なっ、ゴーレムか!」
無機質な、しかし威厳に満ちた声が、ゴーレムから響き渡った。
「《警告。ここは聖域です。マスターの許可なく、これ以上の侵入を許可しません》」
ダリウスは、鼻で笑った。
「面白い仕掛けだ。だが、ただの土人形が、この俺の道を阻むか。笑わせるな!」
彼は、自らの魔力を最大限に高める。
「者ども、かかれ! あのガラクタを粉砕しろ!」
ダリウスの号令一下、兵士たちが一斉にガーディアンへと斬りかかった。
だが――。
キィィン!
鋼の剣が、ガーディアンのオリハルコンの装甲に触れた瞬間、甲高い音を立てて砕け散った。
「なっ、剣が!?」
「魔法も効かん!」
兵士たちの攻撃は、ガーディアンに傷一つ付けることができない。
ガーディアンは、プログラムされた命令に従い、「優しく追い返す」ための行動を開始した。
その巨大な腕が、常人には見えぬほどの速度で振るわれる。しかし、その動きに殺意はない。
兵士の兜を正確に殴りつけて気絶させる。剣の柄だけを的確に弾き飛ばし、戦意を喪失させる。あるいは、足を払って転ばせる。
それは、もはや戦闘ではなく、赤子をあやすかのような、一方的な「制圧」だった。
わずか数十秒で、ダリウス以外の兵士は、誰一人命を落とすことなく、しかし完璧に無力化されていた。
「……き、貴様……!」
ダリウスは、信じられない光景に歯噛みした。
「俺を誰だと思っている! バルバトス辺境伯家が次期当主、ダリウス・フォン・バルバトスだぞ!」
彼は自らの拳に炎の魔力を宿し、ガーディアンへと殴りかかった。バルバトス家伝来の闘技――【炎魔衝】。岩をも砕く一撃だ。
だが、ガーディアンは、その拳を巨大な手のひらで、いとも容易く受け止めた。
「《魔力パターン、分析完了。脅威レベル、C。排除対象にあらず。ただし、聖域への侵犯行為と認定》」
そして、そのままダリウスの体を軽々と掴み上げると、まるで小石でも投げるかのように、森の方向へと放り投げた。
「ぐわあああああっ!?」
ダリウスは、為す術もなく宙を舞い、木々の梢に叩きつけられながら、地面へと落下していった。
◇
「んー? なんだか外が騒がしいな」
俺は、ルナリアと昼食の準備をしながら、窓の外に目をやった。畑の方から、何か物がぶつかるような音が聞こえる。
「まさか、もう害獣が出たのか? あのゴーレム、ちゃんと仕事してるかな」
俺とルナリアは、様子を見るために【神木の結界要塞】のバルコニーへと出た。
眼下には、信じられない光景が広がっていた。
俺の畑の前で、兄のダリウスが率いていたはずの兵士たちが、無様に転がっている。そして、当のダリウスは、俺が作ったガーディアンの一体に放り投げられ、遠くの木に激突したところだった。
「うわ、兄貴じゃん……最悪だ……」
なんでこんなところに。追放した弟の様子を見に来たのか? 執念深いにもほどがある。面倒なことになった、と俺は頭を抱えた。
地面に叩きつけられ、満身創痍のダリウスが、ぜえぜえと息をしながら、こちらのバルコニーを見上げた。そして、俺の姿を認めると、その目を驚愕に見開いた。
「ア……アッシュ……!? な、ぜ……お前が、こんな、場所に……!?」
役立たずと蔑み、魔境に捨てたはずの弟。
その弟が、なぜか神殿のような建物の主となり、自分では手も足も出なかったゴーレムを従えている。ダリウスの傲慢な頭脳は、その現実を処理できずにショート寸前だった。
その時、俺の隣に立つルナリアが、氷のように冷たい声で、眼下の侵入者たちに言い放った。
「無礼者たちよ。これ以上、神匠様の神聖なる御庭を荒らすというのなら――」
彼女の体から、以前とは比べ物にならないほど、清らかで強大な神聖なオーラが放たれる。この聖域と、俺の作ったアイテムの数々が、彼女の封じられた力を少しずつ解放しているのだ。
「――このルナリアが、神罰を代行いたします」
かつて「聖女」と呼ばれた少女の威光に、意識のあった兵士たちは恐怖に震え、ひれ伏すしかなかった。
混乱の極みにいるダリウスと、ただただ面倒なことになったと頭を抱える俺。そして、すっかり「神匠の巫女」然としているルナリア。
三者の思いが交錯する中、嘆きの森の静寂は、まだ破られたばかりだった。




