2話
「……あなた様は……伝説に謳われる、『神匠』様でございますか……?」
目の前で膝をついた少女――ルナリアの問いに、俺は全力で首を横に振った。
「いや、違う。人違いだ。俺はアッシュ。ただのアッシュだ」
「アッシュ……なんと。御身の真名を、この私に……」
「真名じゃない、ただの名前だ!」
ダメだ、会話が噛み合わない。
彼女の、潤んだ紫色の瞳は、俺を何かとてつもなく尊い存在だと信じきっている。神匠ってなんだ。神棚の職人か何かか?
俺が困惑していると、彼女はさらに言葉を続けた。
「これほどの神気を放つ【神木の結界要塞】を顕現させながら、ご自身をただのアッシュと……。ああ、なんとご謙虚な……。真に偉大なる御方は、決してご自身の偉業を誇示なされないという古の伝承は、真実でございましたのね……!」
「ログハウスだって言ってるだろ!」
俺のツッコミは、感動に打ち震える彼女には全く届いていなかった。それどころか、彼女は俺の足元に恭しく額をつけようとさえしている。慌ててそれを押しとどめた。
「やめろ! 地面に頭をこすりつけるな!」
「はっ! 申し訳ございません! 神匠様のお言葉を遮るなど、万死に値します……!」
「だから神匠じゃない!」
埒が明かない。
俺は天を仰いだ。どうしてこうなった。俺はただ、静かにサバイバル生活を送りたかっただけなのに、初日から変な信者を獲得してしまった。
ひとまず、このままずっと問答を続けるわけにもいかない。彼女はひどく衰弱しているように見える。泥とススにまみれ、ローブはところどころが焼け焦げ、破れていた。
「……とにかく、立て。話は中で聞く。外は冷えるだろう」
「なっ……! わ、私のような穢れた者が、神匠様の御作りになった聖域に入るなど、とても……!」
「いいから!」
俺は半ば強引に彼女の腕を掴んで立たせると、ログハウス……いや、【神木の結界要塞】の中へと招き入れた。
彼女は一歩足を踏み入れるたびに「おお……」「なんと清浄な……」と感涙に咽んでいる。もう、好きにしてくれ。
◇
俺は彼女を【永劫の聖炎炉】、つまり暖炉の前の椅子に座らせた。パチパチと爆ぜる聖なる炎が、彼女の冷え切った体をじんわりと温めているようだ。少しだけ、その顔から緊張が解けたように見えた。
「腹、減ってるだろ。何か温かいものでも作る」
「いえ、お心遣いだけで……!」
「腹が減っては戦はできぬ、だ。前世の偉い人も言ってた」
「ぜんせ……? やはり、あなた様は悠久の時を……」
しまった、口が滑った。もうこの手の話題はやめよう。
俺はキッチンに向かうと、スキルを発動させた。メニューに表示された『自動調理鍋』を選択する。前世の電気調理器みたいな便利なものだろう。
《オブジェクト:【豊穣の魔法釜】の創造に成功しました》
《効果:投入した食材の栄養と味を最大限に引き出す。素材が無くても、使用者の魔力を糧に滋養に富んだ食事を自動生成する》
……またか。
目の前に現れたのは、質素な鉄鍋などではなく、ルーン文字が刻まれた黒曜石の釜だった。見た目は禍々しいが、スキル説明を信じるしかない。
俺は釜に水を注ぎ、干し肉と、そこらへんで採ってきた食べられそうなキノコや野草を放り込んだ。あとは適当に塩で味付けを……と思った瞬間、釜がひとりでにゴトゴトと揺れ始め、蓋の隙間から食欲をそそる芳醇な香りが立ち上ってきた。
数分後、出来上がったのは黄金色に輝くスープだった。
俺は木製の器にスープを注ぎ、ルナリアに手渡す。
「ほら、熱いから気をつけろよ」
「こ、これは……生命力が凝縮された霊薬……!?」
「ただのキノコスープだ」
彼女は恐る恐る器を受け取ると、一口、また一口とスープを口に含んだ。
その瞬間、彼女の紫色の瞳が驚きに見開かれる。
「……おいしい……。こんなに温かくて、優しい味は、生まれて初めてです……」
ぽろぽろと、彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
その涙は、暖炉の火に照らされてキラキラと輝いている。よほど、ひもじい思いをしてきたのだろう。
スープを飲み干し、少し落ち着きを取り戻した彼女は、ぽつり、ぽつりと自分のことを語り始めた。
彼女の名前は、ルナリア。
かつては、王都の大神殿に仕える「聖女」だったという。人々を癒し、国に安寧をもたらす存在。
だが、ある日を境に、彼女の人生は暗転した。
何者かの陰謀により、彼女は「国を裏切った偽りの聖女」という濡れ衣を着せられた。そして、その身に聖なる力を封じる強力な呪いをかけられ、神殿から追放されたのだという。
「……私に残された聖なる力は、もうほとんどありません。この呪いは、私の命を少しずつ蝕んでいきます。もはや、私は聖女などではなく、ただの呪われた娘なのです」
自嘲するように、彼女は微笑んだ。その笑顔は、あまりにも儚げで、見ているこちらの胸が痛くなるほどだった。
聖女とか呪いとか、俺には縁のない話で、正直よく分からない。
だが、目の前の少女が、理不尽な目に遭って、心も体もボロボロになっていることだけは理解できた。
「……まあ、難しいことは分からんが」
俺は立ち上がり、彼女の空になった器に、おかわりを注いでやった。
「ここにいる間は、追っ手も来ないだろうし、呪いだか何だかも、この家の結界?が防いでくれるんじゃないか? 知らんけど」
「……え?」
「だから、好きなだけいればいい。どうせ俺一人じゃ広すぎるしな。話し相手くらいにはなってくれ」
俺はぶっきらぼうにそう言って、彼女の隣に腰を下ろした。
サバイバル生活は好きだが、話し相手がいないのは、少しだけ寂しいと思っていたのも事実だ。
ルナリアは、きょとんとした顔で俺を見ていたが、やがてその瞳が再び潤み始め、ふわりと、花が綻ぶように微笑んだ。
「……はい。神匠様の、お慈悲に……感謝、いたします」
「だから、神匠じゃなくてアッシュだ」
どうやら、俺の二人だけの奇妙なサバイバル生活が始まりそうだ。
◇
翌日、俺は新たな問題に直面していた。ルナリアの衣服だ。
昨日から着ているローブはボロボロで、もはや布としての機能を果たしていない。
かといって、この森の中に服屋などあるはずもない。
「仕方ない。作るか」
「えっ!? まさか、衣服までお作りになられるのですか!?」
「まあ、簡単なものならな」
俺はスキルウィンドウを開き、裁縫の項目を探す。前世で家庭科の成績はそこそこだった。シンプルなワンピースくらいなら、知識的にも作れるだろう。
《オブジェクト:【月光の絹衣】の創造に成功しました》
《効果:状態異常耐性(呪い含む)、自動修復・自動洗浄機能、着用者の魔力に応じて防御力が上昇》
「……」
目の前に現れたのは、月の光をそのまま編み込んだかのような、美しい銀色のワンピースだった。シンプルどころか、王侯貴族でもお目にかかれないような逸品だ。
俺はもはや何も言うまいと心に誓い、それをルナリアに手渡した。
「ほら、着替えろ」
「こ、これを……私が……!? こ、このような天上の羽衣、恐れ多くて袖を通すことなど……!」
「いいから着ろ。風邪ひくぞ」
半ば無理やり着替えさせると、ルナリアは鏡の前で固まっていた。
銀色の髪に、銀色のワンピース。その姿は、おとぎ話に出てくる月の女神のようだった。
何より、服を着た瞬間、彼女の顔を覆っていた呪いの気配が、わずかに薄らいだように見えた。
「すごい……体が、軽い……。呪いの苦痛が和らいでいます……。ああ、神匠様の御業は、創造のみならず癒しにまで……」
ぶつぶつと祈りの言葉を唱え始めたルナリアを尻目に、俺は次の計画に取り掛かった。食料の安定確保、つまり農業だ。
「拠点の裏に、小さな畑でも作るか」
そう呟いて、俺は【神木の結界要塞】の外に出た。
ついてきたルナリアが、興味深そうに見守っている。
俺は適当な広さの地面を確保すると、スキルで『家庭菜園セット』を創造した。
ゴゴゴゴゴ……!
地響きと共に、地面が隆起し、みるみるうちに豊かな黒土へと変わっていく。自動で畝が作られ、水路が走り、さらには温室らしきガラス張りの建物までが出現した。
《オブジェクト:【エデンの果樹園】の創造に成功しました》
《効果:あらゆる作物が、植えた瞬間に最高品質で実る。収穫しても枯れることはなく、半永久的に実りを供給し続ける》
「……」
もはや、驚きもしない。
俺は試しに、昨日採ってきた木の実を一つ、その畑に植えてみた。
すると、芽が出て、蔓が伸び、あっという間にたわわに実をつけた。しかも、昨日見たものより明らかに瑞々しく、輝いている。
その光景を、ルナリアは口をあんぐりと開けて見ていたが、やがてはっと我に返ると、その場に崩れ落ちるようにひざまずいた。
「ああ……なんということでしょう……。失われたとされた、神代の農園……生命を育む奇跡の地が、今ここに……!」
彼女は、畑の土を両手ですくい上げ、恍惚とした表情で呟いた。
「神匠様……いえ、もはや創造神と呼ぶべき御方……。このルナリア、我が魂のすべてを捧げ、あなた様にお仕えいたします……!」
俺は、遠い目をしながら、たわわに実った果実を一つもぎ取った。
俺のスローライフは、一体どこへ向かっているのだろうか。
◇
その頃、バルバトス辺境伯領の屋敷では、一人の斥候が当主グレンに緊急の報告を行っていた。
「申し上げます! 嘆きの森に、異変が!」
「騒々しい。何があった」
グレンは、不機嫌そうに眉をひそめた。
「はっ! 森を覆っていた濃密な瘴気が、一部、まるでそこだけが聖域であるかのように晴れ渡っております! あのような現象は、前代未聞にございます!」
「……瘴気が晴れた、だと?」
グレンは、斥候の報告をにわかには信じられなかった。あの呪われた森の瘴気が、自然に晴れることなどありえない。
「何か、人為的な要因か?」
「はっ。瘴気が晴れた中心部には、何やら巨大な建造物のような影が……。距離が遠く、詳細は不明でございますが……」
「……ふん。どうせ、高位の魔物が巣でも作ったのだろう」
グレンは一笑に付した。
まさか、三日前に追放した、あの役立たずの三男が何かをしたなどとは、夢にも思わなかった。
「だが、放置しておくのも寝覚めが悪い。念のため、次兄ダリウスに小隊を率いさせ、調査に向かわせろ。もし魔物の巣ならば、叩き潰してこいとな」
「ははっ!」
グレンの脳裏には、出来損ないの息子の顔は、もはや欠片も浮かんでいなかった。
彼はまだ知らない。
自らの手で捨てたものが、どれほど規格外の存在へと変貌を遂げようとしているのかを。そして、その調査隊が、想像を絶する『神の領域』を目の当たりにすることになるのを――。




