お局さん、啖呵を切る。
女の子達にもみくちゃにされてまんざらでもないリュアクスの傍らにペンと紙の束を抱えた長身の女性が立っている。
ラベンダー色の髪をマーヤと同じようにてっぺんでお団子にしている。私からは想像を絶する髪の色だ。
「主。こちらの書簡に署名を。」
多分朝からずっとこの状況なのか、はっきりと喋る声もなんか投げやりなかんじ。
「リュアクス様。」
無理やりに彼の手にペンを持たせると、主にはべっていた女の子が眉を顰めた。
「ちょっと、勝手に割り込んでこないでよ!」
さっきまでの猫撫で声とは打って変わった厳しい声音でラベンダーの女史を叱り付ける
そうよそうよーっと周りも騒ぎ始める。
「ですが、これを署名していただかないと、今日の業務が始められないんです。」
なにーっ、まだ始業してないんかいっと思わず突っ込みたくなった。
「リュアクス様はぁ、今取り込み中なんです!ねーっ?」
「え?あ…おお。」
女の子達の迫力に押されたのか曖昧に返事をする主。女子の諍いにはあえて口を挟まないと見た。
「ほらぁ!あんたなんかお呼びじゃないのよ!しっしっ!」
「申し訳ありませんが、署名だけでもお願いしたいのですが。」
ラベンダー女史は怯むことなく主に書簡を差し出した。
「聞き分けがないわねっ!」
女の子がラベンダー女史を突き飛ばした。間一髪で床に倒れこむ前に抱きとめる。
「大丈夫?」
「…!は、はい…。」
抱きとめたのがマルミミのわたしだったことに驚いたみたいだったけど、マーヤみたいに叫んだりはしなかったのでちょっと一安心。
「アリシアさん」
マーヤとバダがラベンダー女史に声をかける。
「バダさま。…マーヤも。」
「怪我はないですか?」
少し足を捻ってしまったようだが、大した怪我ではないようだった。
「ええ、平気です。ですが、今日も仕事が始められそうにありません。」
精霊の息吹を精製したり蓄えたりする装置はアルハタート家の遺産のようなもので主であるリュアクスの許可が下りなければ動かすことができないらしい。
「ここ最近は特に気分が乗らないらしく、なかなか署名してくださらないんです。」
「なによそれ…。」
「ああ、最近入ってきたあの娘…リンダさんでしたっけ?彼女が幹部の娘さんでリュアクス様の奥さんの地位を狙って色仕掛け真っ最中だとか」
マーヤ、まさかゴシップ好き?
「それって、代理のサインとかじゃだめなものなの?…たとえばハンコみたいなものとか」
あ、ハンコって日本特有のものになるんだったっけ?案の定目の前の三人は首をかしげている。
「…署名をしていただくのも必要なのですが、リュアクス様の所有になっている「印」が無いと施設の起動が叶わないのです。」
「いん?」
ハンコとは違うのよね?
「はい。研究室と装置には鍵がかかっていまして、リュアクス様の「印」がそれを解除できるツールになっているのです。」
ほう。
「それ、借りればいいじゃない。」
「「「ええっ!」」」
三人の驚いた声が重なる。
「え、だって、このままじゃ仕事できないんでしょ?主さまに気兼ねすることないじゃない。こっちは仕事するために来てんだから。」
おっと、なんか熱く語ってしまった感がありますが、勤勉な日本人代表としましてはこんなゆる~い職場は許されません!
そんな大義名分ぶった暇つぶしを見つけた私は女の子にもみくちゃになってる主の元へズカズカと踏み入る。
「で、「印」ってのはどれ?」
「な、なんだ!」
群がる女の子を押しやって主の目の前で仁王立ちになる私に、相変わらずでかい図体の割りに怯えた態度を見せつつその両手で左耳を隠した。
「それか…!」
こっちが悪役かってぐらいの邪悪な笑みを浮かべて、主の胸倉を掴む。
「な、何をする!」
「仕事を始めないあんたの代わりに、「印」を借りようと思って。」
さあ、おとなしく渡せ!と睨みを効かせると主はひいい、と左耳から両手を外し、ホールドアップの形をとった。
リュアクスの左耳にはピアスが3つとイヤーカフスがひとつ付いていた。そのうちのイヤーカフスは他のものに比べて古びていて、細かな紋様が掘り込まれた精巧なものだった。
きっとこれね。
「じっとしてなさい。」
イヤーカフスだから取りやすくていいわ。と思って彼の耳に手を掛ける。
「いやぁー!」
「ぎゃああああああああああっ!」
周りを黄色い怒号(?)が埋め尽くし(ちなみに始めの乙女な叫びはリュアクスのもの)わたしは彼の耳からイヤーカフスを借り受けた。
いえ、決して奪ったわけではない。
「あっー、」
「しばらく、借りるわよ。」
くすんだ金色の装飾品を主に見せ付けると、ふと、周りの空気が変わっていることに気付く。
マーヤはただでさえ大きな目を零れんばかりに見開いて、アリシアさんはバダの目を背後から隠している。
リュアクスはカフスを取られた左耳を押さえあわあわと何かを呟いている。
そして周りの女の子達は先ほどからの黄色い怒号(?)。
「な、なんなの?」
「サ、サ、サトコ様…!なんてことを…!」
マーヤは真っ赤な顔をして頬に手を当てている。
「なんてことを…って、「印」を借りたんじゃない。こうでもしないと、仕事が始められないんでしょ?」
「そうじゃありませんよ~!」
じゃあなによ!ともどかしい気持ちでいると、アリシアさんの手から逃れたバダがおずおずと
「サトコさん、あの、ドリヌイは耳を触られるのがとても「恥ずかしい」ことなんです。」
え。
「それでですね、その、耳の装飾品に触れるとか、取ったり付けたりだとか…そういう行為が…とても破廉恥なことになるんです…。」
破廉恥って、ジジクサイ言い方だな。とかどうでもいい方向にツッコミが行ってしまいそうになるが。
カフスを持ったまま主を見下ろすと、またもや乙女のように「きゃっ」とか言って耳を隠す。ええい、可愛くなんかないし!
女の子達に目を向けると彼女達もきゃああああとか言って遠巻きにするし。
「しょおがないでしょ?知らなかったんだからっ!」
何?わたしってばナマハゲな上に痴女にジョブチェンジ?カンベンして!
「元はといえば!あんたがこんなところで仕事ほっぽり投げて堕落生活を送ってるからいけないんでしょうが!このボンクラ!」
旅の恥は掻き捨て…られないけど、この行き所の無い恥ずかしさを主にぶつける。そうよ、元はといえば、自分で舟を手配しろとか無茶ブリしといて無責任決め込んだコイツが悪い!
もういい!ナマハゲでも痴女でもなんでも来いだ!
「そういうわけで!ボンクラ主。返して欲しかったらきちんと仕事をなさい。」
そういって、精一杯イジワルに笑って踵を返し社交場を後にした。
後からちゃんとバダたちが追いかけてきてくれたことに安心して腰が抜ける。
「大丈夫ですか?サトコさん。」
「ははは…、さすがにでかい啖呵を切ると…腰が抜けたわ…。」
一緒に追ってきてくれたアリシアさんが肩を貸してくれる。
「なかなか、見物でした。」
「そりゃあ…どうも。」
クールな表情で面白い事言う人のようだ。
「サトコ様ったら、大胆なんですもの…思わず見とれてしまいましたわ。…今流行の物語を読んでるみたいでしたっ!」
「どんな物語よ…それ。」
ゴシップ好きのマーヤの事だから昼ドラ的な話なんだろうなあとか思いながら、図らずも周りのドリヌイと打ち解けたような気がしてちょっと嬉しかったりした。