8.報告、連絡、相談
「あの、」
「あの」
エルンストとソフィは、同時に声を発してしまった。
わたわたとお互い先を譲り合い、イザベルに「そんな風にしていたら、着いてしまうわよ」と笑われる。
ガーディは面白がっているが、セルマ夫人は呆れ顔だ。
結局、エルンストが先に言うことになった。
「その……昨日、あなたの絵を見せていただきました。
もし、よければ、他の作品も見てみたいな、と……」
「え? ああ、領都を描いた作品ですね」
去年の夏、家族と一緒に帰省したソフィは、領都や本邸を何作か描いた。
父がひどく気に入り、わざわざ額装してギャラリーに並べているのだ。
「特に、厚い雲の切れ間から、陽の光が幾筋も斜めに差し込んで、神殿の塔を照らしている絵が、いつまでも見ていられる感じで……」
「そうそう。あの絵に夢中でいらしたから、応接間に戻るのが遅くなったのよ」
イザベルが、からかうように補足する。
「こ、光栄です。
あれは、一番頑張って描いた絵なので、嬉しいです」
赤くなりながら、ソフィはぎこちなく微笑んだ。
たまたま見た、「精霊たちの階段」と呼ばれる現象を再現しようと、何枚も描き直したのだ。
「それで、ソフィ嬢はなにを言おうとしたんですか?」
「あ、その……もし雨だったら、どこに行きたかったですか、と……」
言いながら、ソフィは恥ずかしくなってしまった。
途切れた会話をつなぐにしても、妙なつなぎ方だ。
せっかく晴れているのに、わざわざ雨だったらどうしたかだなんて、後ろ向きにもほどがある。
んん? とエルンストは小さく首を傾げた。
「もし、雨だったら……
あなたが絵を描くところを、見せてほしかったです。
僕は、絵を習ったことがないので」
ソフィは、戸惑った。
絵を描かない人が、他人が絵を描くところを見て、面白いのだろうか。
というか、間近で観察されながら描くだなんて、めちゃくちゃに緊張してしまいそうだ。
「じゃ、じゃあ……そのうち、機会があったら……」
もごもごと誤魔化しているうちに、馬車は目的地に着いて、ソフィはほっとした。
馬事公苑は、王都のはずれ、ランデ河沿いにある。
厩舎や馬場、障害競技場、そしてカフェを併設した休憩所などが点在する、広大な施設だ。
乗馬を練習したり、馬を借りて、河川敷や裏手にある森に外乗することもできる。
「あら、イザベル様。ごきげんよう。
ソフィ様も」
休憩所の車回しで馬車から降りてすぐ、イザベルがさっそく友人に見つかった。
同世代の令嬢や貴公子が五六人、まだ来ていない友人を待っているところのようだ。
「ごきげんよう」
イザベルは微笑み返し、ソフィも会釈をした。
「そちらの方は?」
訝しげな視線が、見慣れないエルンストに向けられる。
エルンストは、軽く頭を下げた。
「父の友人の息子さんで、エルンスト卿とおっしゃるの。
王都に出てきていらしたばかりで、少し身体を動かしたいとかで」
家名は出さず、さらっと説明すると、イザベルは、「先に一乗りしてきますわ。また後ほど」と、さりげなく離れた。
「お姉様、エルンスト卿をご紹介しなくていいの?」
受付を済ませ、セルマ夫人と別れて、厩舎の方に向かいながら、ソフィはイザベルに小声で訊ねた。
エルンストとガーディは、少し先を歩いている。
「うっかりご紹介したら、カフェに引きずられていって、根掘り葉掘り聞かれるじゃない。
馬に乗れなくなっちゃうわ」
イザベルはいたずらっぽく言いながら、ソフィと腕を組んだ。
「というか、ソフィ。
あなた、わたくしに言うことがあるんじゃない?」
イザベルは、ソフィの顔を覗き込んできた。
「あー……え、ええ。
実は、一昨日、王太后様のところで、エルンスト卿にお会いしたの。
温室を少しご案内して……」
結局、離宮の庭での出会いを言いそびれていたソフィは、慌てて説明した。
よろしい、とイザベルは重々しく頷いてみせる。
「昨日、卿からうかがって、びっくりしたわ。
ダメよ、どういう方にお会いしたか、その日のうちか、せめて翌朝にはちゃんと言わないと。
ある日突然、あなたが恋してはいけない方と抜き差しならないことになってました、なんて困るもの」
ソフィは苦笑した。
「そんなこと、ありえないわ。
私に興味を持つ殿方なんて、いないもの」
イザベルは、大げさにため息をついてみせた。
「わかってないわね。
そんな風に思い込んでいる人が、一番危ないのよ。
悪い男性だって、社交界にはいるのだから。
ちゃんと、報告、連絡、相談。
大事なことよ?」
「え。ええ」
頷いたソフィは、気になっていたことを思い出した。
「あの……お姉様は、エルンスト卿が王都にいらっしゃること、聞いていたの?」
「いいえ。少し前に、お父様に書斎に呼ばれて、国外に嫁ぐのはどうかみたいなことを聞かれたけれど。
具体的に、どこというお話はなかったし」
ソフィは、ほっとした。
勝手に父を勘ぐっていた自分が、恥ずかしい。
その場でなかなか訊けないせいで、余計なことを考えてしまいがちなのが欠点だと、自分でもわかっているのに。
「そうだったのね。
お姉様は、なんてお返事したの?」
「もちろん前向きに考える、と申し上げたわ。
できれば、言葉が十分通じる国の方が良いけれど」
ソフィは、イザベルの横顔を見上げた。
三姉妹は、この国の言葉であるランデール語、貴族にとっては国際的な共通語であるウィノウ聖皇国語を話し、古典語も読み書きできる。
ついでに、魔法で使われる古代魔導語も。
だが、ヴァルデシア辺境伯領は、単語の細かい異同はあるが、ほぼランデール語だから言葉の壁はないに等しい。
やはり、イザベルはエルンストに嫁ぐ可能性を「前向きに」考えているのだろうか。
「イザベル嬢、ソフィ嬢」
厩舎の入口に先に着いたエルンスト達が、振り返って手を振っている。
姉妹は笑みを返して、足を早めた。
馬房がどこまでも連なる大きな厩舎には、常時百頭を超える馬がいる。
姉妹は馴染みの馬がいたのでそれに決め、エルンストとガーディが馬を選ぶのにつきあった。
大きな黒馬。
美しい白馬。
利口そうな鹿毛の馬。
いろんな馬が並ぶ中、エルンストは、柵越しにぐっと首を伸ばして鼻先を近づけてきた、やや小柄な鹿毛を選んだ。
厩務員が言うには、甘えん坊の出たがりらしい。
ガーディは隣の馬を選び、それぞれの馬を引き出し、支度をしてもらう。
先に、イザベルがいつもの白馬に、ソフィが何度か乗ったことのある黒馬にまたがり、エルンストとガーディも乗った。
ソフィは、以前、リュシーが「騎乗姿は三倍増し」と言っていたのを思い出した。
馬に乗る時は、背筋を伸ばして姿勢良くしなければならない。
なので、男性の魅力が引き立つという意味だ。
ガーディは、そう言えるかもしれない。
どこか軽い感じがとれて、騎士らしい堂々とした印象だ。
だが、エルンストは軸は通っているものの、どこかへにゃっとしている。
力みがまったくない自然体とも言えるが。
「エルンスト卿、乗馬はよくなさるんですか?」
子どもたちがポニーで遊んでいる初心者用の馬場を横目に、川辺の方にぽくぽくと一列で向かいながら、イザベルが声をかけた。
「乗ります。
ヴァルデシアは、馬車では渡りにくい小さな橋が多いので、移動は、ボートか馬が多いんです」
「ボート?」
「ええ。水路が張り巡らされていますから。
子供も老人も、男も女も、皆、ボートを漕ぎます。
簡単な船着き場がある家も多いですし」
なんでもないことのように、エルンストは答える。
とっさに想像がつかなくて、姉妹は顔を見合わせた。
言葉は、自分たちと変わらないが、やはり異国の人なのだ。
「ボート? わたくし、ボートってほとんど漕いだことがないわ。
王都だと、どこで漕げるのかしら」
「お姉様。確か、トレヴィーユ荘で貸しボートをしていますわ」
ソフィは、つい口を出した。
何度か友人と遊びに行って、自分でボートを漕いだこともある。
「トレヴィーユ荘?」
エルンストが、身を乗り出すようにしてイザベル越しにソフィに訊ねてきた。
※トレヴィーユ荘が出てくる既発表作品
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