2.「また明日」?
「あ、こちらです」
言いながら、開け放しの扉をくぐる。
この温室は、平面図で言えば、円の左右に正方形をくっつけたような形をしている。
手前側の正方形は、温帯の珍しい植物を集めた部屋だ。
物珍しそうに、エルンストはあたりを見回した。
低木に草花、シダ類、つる性の植物など、さまざまな植物で温室はぎっしりだ。
「この花は?」
おずおずと、エルンストは、淡いピンクの地に縦に紅色が入った花を指した。
「カメリア・ノルディスタです」
「え。カメリアって……赤か白だと思ってました」
「王太后様は、カメリアがお好きなので、珍しい品種を集めていらっしゃるんです。
あれもそれもこれも、みんなカメリアで」
ソフィは、紫がかったピンクの八重咲きの花、黄色い蕊が鮮やかな一重の白花、紅色に白斑が入った八重咲きのころんとした花を示した。
色だけでなく、花びらの数も、大きさも、輪郭もかなり違うので、確かに花だけ見れば、同じカメリアとは思えないかもしれない。
「えええええ……こんなに違うのに?
でも、本当だ。葉はみんな、カメリアの葉だ」
驚いたエルンストは、艶のあるまるっこい葉に気づいて、自己解決した。
「この花は? 初めて見ます」
エルンストは、人の背を越すほどの高さの灌木を指した。
下向きの、紅色の花がたくさん咲いている。
「フクシアです。
精霊の耳飾り、とも呼ばれる花で」
「なる、ほど……
神殿に描かれている花の精霊は、耳飾りをしてますよね。
あれが、この花……?」
「そうですそうです」
ソフィは、嬉しくなって頷いた。
園芸には詳しくないようだが、興味はあるらしい。
エルンストは、花だけでなく隙間を埋めるように植えられているシダについても訊ねてきて、ソフィはあれやこれやと答えた。
シダは繊細な葉のかたちが面白いので、ここにある株は、一度は描いたことがある。
人見知りしがちなソフィには珍しく、雰囲気がだいぶほぐれたところで、二人は温室の中央部にある円形の広間に出た。
この部分の天井は、ガラス張りのドームになっていて、解放感がある。
広間の中心は、数段高くなっており、王都を見下ろす南側を空けて、大きな鳥籠のようなかたちに枠が巡らされていた。
鳥籠の中には、低めの円テーブルと椅子が何脚か。
要は、温室の中にガゼボがあるのだ。
鳥籠には、蔓性の植物が絡み、白と淡いピンクの、五弁の星のようなかたちの花が咲き乱れていた。
「ふあ……」
エルンストは花を見上げた。
一瞬、前髪が流れて、深い藍色の瞳がのぞく。
ソフィの方を振り返った時には、もう眼は見えなくなっていたが。
「この花は? 初めて見ます」
「テロスマ・コルダータです。
東大陸の植物で、王都にはここにしかありません。
夜になると、良い香りがするそうで、向こうの言葉では『夜に来る香り』という意味の名前がついていると聞きました」
「逆に言えば、昼の間は、香らないんですか」
エルンストは、試しにすんすんと匂いを嗅いで首を傾げている。
小動物めいて、ちょっと可愛らしい。
「ソフィ様、お茶の用意をいたしましょうか?」
気配を消していた王太后の侍女が、そっと声をかけてきた。
「あー……どうしましょう……」
ソフィは迷った。
たまに、王太后のお相伴で、ここでお茶をいただくこともある。
王都が一望できるし、温室の南に広がる庭園も見事だし、お茶を飲む場所としては、この国で一番だとソフィは思っている。
だが、座ってしまうと、説明することがなくなって、話が止まってしまいそうなのが怖い。
「……お茶は、まだ大丈夫です」
困っているソフィに気づいたのか、エルンストが軽く断ってくれた。
お茶を飲む代わりに、二人はテラスに出て、王都を眺めた。
王都の人口は百万人を超えるほど。
広々とした平野に、主に煉瓦造の建物がびっしりと連なっている。
中心部には四階建て、五階建ての大きな石造りの建物。
銀行や大商会、貴族の館などだ。
外側に向かって、三階建ての富裕な平民の住居や小売店となり、二階建て、平屋と低くなっていくのが、まるで凸レンズのようだ。
中心部からややずれた、緑に囲まれた大きな建物がいくつもあるあたりが王宮、その傍にある五角形の塔が魔導院、向こうの尖塔がたくさんあるのが大神殿、華やかなドームは王立歌劇場、その間を縫うように流れているのが、国名の由来でもあるランデ河、とソフィは説明していく。
エルンストは、素晴らしい眺めだとしきりに感心してくれ、この地で生まれ育ったソフィは誇らしくなった。
「エルンスト様」
さて、温室の案内の続きを、というところで、見慣れない騎士服を着た、やたらと体格の良い、赤毛の大男が足早にやって来た。
ソフィに気づいて、あ、とお辞儀をする。
「エルンスト様の秘書兼護衛兼お目付け役兼乳兄弟兼又従兄弟のガーディと申します。
お見知りおきを」
「は、はい」
立板に水で名乗られて、ソフィは面食らったまま会釈した。
「例の方が、到着されたとかで。
まずは、引き合わせたいと王太后陛下が」
「あ」
エルンストが慌てて、ソフィの方に向き直る。
「ソフィ嬢。で、ではまた、明日」
深々とお辞儀をされるが、なにがどうなっているのか見当がつかない。
もしかして、明日もソフィがここに来ると思い込んでいるのだろうか。
「明日……ですか?」
「また、明日」
念を押すように繰り返すと、エルンストはガーディに急き立てられるままに、あっという間に離宮の本館の方へ行ってしまった。
最初は緊張したけれど、いつになく落ち着いて話せて、楽しかったのに。
侍女のマリオンが、すっと近づいて来る。
二十代なかばのマリオンは、ソフィが社交界デビューした十六歳の時からずっとついてくれている、忠実な侍女だ。
「……お嬢様。明日って、ご予定入っていましたよね?
ご来客があるとかなんとか、旦那様が」
「そうね。でも、家名は名乗ったのだし……
なにかあれば、連絡してくださるでしょう」
狐につままれたような心地のまま、ソフィは首を傾げた。
もしかしたら、用事が済んだら戻ってきてくれるかもしれない。
戻って来てくれたら、温室の向こう側、睡蓮など水生植物を集めているエリアも案内したい。
心のどこかでそんなことを考えつつ、ソフィは薔薇の絵の続きに取り組んだ。
絵は、陽が傾き始める頃に完成したが、結局、エルンストは戻って来なかった。




