第2話 お局、学園で新人教育を始める
長年の生活習慣はそう簡単に抜けるものではないということを私はしみじみと実感した。
見知らぬ天蓋に目を顰める。
一生縁がないだろう豪華なベッドの上でため息を吐く。
――ああ、夢じゃないのか。
「おはようございます、お嬢様。もうお目覚めですか?」
控えていた侍女が、完璧な所作で一礼するが、声に戸惑いがあることを聞き逃さない。
ありえない時間に目を覚ます。
寝起きが悪いと聞いていたお嬢様が自分から起きたとなると、まず戸惑うよね。
しかし、お嬢様、ね。
どうやら私は本当に、公爵令嬢リザベッタらしい。
ベッドから起き上がりながら、ちらりと鏡を見る。
映っていたのは、昨日までの自分とは似ても似つかない、美しく整った顔だった。
金髪、青い瞳、透き通るような白い肌。
……顔面偏差値だけは勝ち組だな。
「お嬢様、本日は学園への登校日でございます」
「そう……」
淡々と返しながら、頭の中では昨夜の夕食時のことを思い出していた。
両親の前にはグラスの注がれた赤ワイン。
私の前には水。
学生なので当然の如く、未成年。
アルコール禁止年齢だ。
ローストビーフに赤ワインなんて最高の組み合わせなのに……
飲めないとは…地獄というしかない。
十五年分の飲酒習慣、なめるな。
内心、私は臍を噛んでいた。
「昨日の件ですが……男爵令嬢の件、学園でも少々噂になっております」
「……そう」
と返事をするが、入れ替わった身では一体何のこっちゃである。
話の続きを待つ。
「お嬢様が、あの方に対してお厳しく当たられていると……」
お厳しく、ね。
物は言いよう、便利な言い換えだな。
「具体的には?」
「教科書を隠されたり、席を替えさせたり、偶然お体が当たられて……些細なことではございますが」
些細ですませるものではないな。
普通にイジメじゃん。
一発でアウト案件だわ。
私は思わず額を押さえてしまった。
何してんのよ、
――もう、最悪じゃん私。
いや、正確には“前のリザベッタ”だけどさ。
「……随分と嫌われているわね、私は」
ぽつりと呟くと、侍女は困ったように微笑んだ。
「その……気位が高く、近寄りがたいと申しますか……」
オブラート三枚重ねでも足りてない。
つまり、性格がもの凄くヤバいのね。
了解。
身支度を整えながら、更に情報を引き出す。
どうやらこの世界の貴族生活というのは――
想像以上に面倒だった。
行動は常に見られている。
発言ひとつで評価が変わる。
社交も礼儀も政治も、全部必須。
――なにそれ。
ブラック企業か何か?
いや、違うな。
ブラック企業の上位互換じゃない。
しかも逃げ場がないときた。
会社なら辞めればいい。
でも貴族は――辞められない。
そして極めつけに
「王太子殿下の婚約者となれば、さらに制約は厳しくなります」
侍女が何気なく言った一言。
私は静かに思った。
――無理。
無理無理無理。
そんな生活、庶民代表の私は三日で逃げ出す自信がある。
なにが悲しくてそんな生活を望むかな、リザベッタ。
鏡の中の自分と目が合う。
整った顔。完璧な身分。恵まれた環境。
……全部いらない。
欲しいのは、自由に帰れて、猫と酒がある生活だ。
じゃあ、どうするか。
答えは簡単だ。
婚約者の座を、誰かに押し付ければいい。
身分については、結論は一つ。
平民落ち、一択!これしかない。
「本日、学園でのご予定は?」
「……そうね」
軽く考えるふりをして、口元に笑みを浮かべる。
侍女が震えた。
「少し、人を見てみようと思うの」
――生贄候補を。
馬車に揺られて学園へ向かう。
窓の外をぼんやり眺めながら、深く息を吐いた。
気楽な通勤電車が恋しい。
いや、あれも大概地獄だったけど。
学園に到着すると、空気が変わった。
視線。
ひそひそ声。
わかりやすい。
嫌われている。
――いいね。
これは使える。
下手に好かれるより、ずっと都合がいい。
このまま“悪役ポジション”を維持すれば、 断罪ルート一直線だ。
よしよし。
校舎に入ったところで、小さな騒ぎが目に入った。
廊下の一角。
数人の令嬢たちが集まり、その中心に一人の少女がいる。
栗色の髪に、柔らかそうな雰囲気。
周囲には令嬢たち。
床には本が散らばっている。
これは――
これは、いかにも“それっぽい”光景だ。
「まあ、大丈夫?」
「前をよく見ないと、危ないわ」
「気にしないでくださいね」
どうやら誰かがわざとぶつかったらしい。
その少女は、困ったように笑っていた。
「ごめんなさい、私が不注意で……」
……ん?
違和感。
確かに態度は柔らかい。
でも。
順番が違う。
気づいた瞬間、口が動いていた。
「――まず、状況を整理なさい」
場が、しん、と静まった。
全員の視線が、こちらに向いた。
(あ、やば……)
と思ったときには、もう遅く……
ええいと、私は一歩踏み出した。
「ぶつかったのは事実でも、責任の所在は別でしょう。相手がいるなら、双方の確認が先。謝罪はその後」
完全に仕事モードだ。
自分でもそう思う。
男爵令嬢が、ぱちりと瞬きをした。
「え……?」
「それに、その笑顔」
つい、続けてしまう。
「場を収めるには便利だけど、場合によっては“責任回避や不信感とみられる”わよ」
周囲がざわついた。
「な、なんてことを……」
「また始まったわ……」
聞こえるけど、性格上もう止まらない。
「あと、ばら撒いた本は早く拾いなさい。順番を考えて、導線を塞がないように……」
沈黙。
そりゃそうよね。
完全に新人教育だし。
男爵令嬢が、ふわりと微笑んだ。
「……ご指摘、ありがとうございます」
素直だ。
でも、一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、その目が冷えた気がした。
(あ、この子――)
ただの天然じゃない。
長年、新人を見てきた私のカンが告げている。
「以後、気をつけます」
丁寧に頭を下げる令嬢。
完璧な対応だ。
周囲もほっとしたように息をついた。
……やってしまった。
完全にやってしまった。
目立たないようにするはずが、初日からこれである。
失態に落ち込む。
でも。
私は、ちらりと彼女を見る。
伊達にお局様と呼ばれてはいない。
多分、彼女が男爵令嬢だ。
柔らかい笑顔の裏に、計算の気配。
一筋縄ではいかない性格をしていると直感した。
(見つけた!)
心の中で、静かに頷いた。
この子、いける。
王太子の婚約者を――押し付ける相手として。
ふふふ、これで、私の平民落ち計画は一歩前進だ。
一方。
男爵令嬢は、視線を伏せたまま思っていた。
この人、厄介ね。
静かに、口元だけで笑う。
物語は、ここから動き出す。




