プロローグ
「あーっ! 王子先輩だ!」
昼下がりの講義棟に、弾んだ声が響いた。
窓から差し込む陽の光が、廊下を歩く男子学生の黒髪に細い光を走らせる。
艶のある髪。しみひとつないきめ細やかな雪のような陶器肌、そして何よりも目をひく理知的な輝きを放つ藍色の瞳。
顔の輪郭は卵型からやや逆三角形寄りで、顎にかけてのラインが細く、シャープでありながら硬さを感じさせない。
整いすぎた顔立ちは、黙っているだけなら少し近寄りがたい。 けれど本人はそのことをよく知っている。
「キャー! 今日もビジュが素晴らしくいい!」
「顔がいいどころじゃないよ。手足も長いし、姿勢もいいし、なんかもう……現実にいるの反則じゃない?」
「この大学には芋しかいないとか言ってた自分を殴りたい。王子先輩がいる時点で完全勝利だった」
口元が、ほんの少しだけ緩む。
考古学を専攻する大学三年生、天雪才太は、何気ないふうを装って彼女たちへ視線を向けた。
一人ずつ、順番にちらりと目を見る。
ほんの一拍だけ間を置いて、柔らかく笑いかける。
「こんにちは」
それだけ。
「出たぁぁぁぁっ! 雪解けスマイル!」
「むり、心臓がっ」
「今の笑顔、国家が予算をつけて保存しなきゃ!」
才太が鏡の前でしっかりと計算した努力の賜物、表情筋の管理も完璧。
本人非公式(黙認)のファンクラブの界隈では、もはや才太の必殺技ともいわれている通称『雪解けスマイル』。
効果は向けられた者はあまりの美しさと尊さで悶絶する。
後輩たちが騒ぎながら、その場に崩れ落ちそうになっている。
「午後の授業も頑張ってね」
すれ違いざまに軽く手を振ってあげる。
「がんばります!」
「むしろ人生がんばれます!」
「王子先輩も頑張ってください!」
ふふっ。
愛らしい後輩たちだ。
そのまま歩いて立ち去るが背中にまだ歓声が追いかけてくる。
現実離れした容姿の端麗さ、宇宙の様な藍の瞳、文武において才華爛漫。
大学内では、才太を指す呼び名がいくつもある。
雪の妖精。 令和の初恋。 作画CL○MP。現実に実装された乙女ゲーキャラ。
そして、一番浸透しているものが。
ーーーー完璧王子。
正直、痛々しい呼び名だとは思う。
けれど嫌いではない。
むしろ、好きだ。
もっと褒めてくれてもいい。 なんなら崇めてくてもいいよ。
人間、褒められて伸びる生き物である。 少なくとも天雪才太は、そういう仕様でできていた。
「お、王子じゃん!」
「この前は助かったぜ!」
廊下の角で、バスケ部の先輩二人と鉢合わせた。
「お疲れ様です先輩。こちらこそ、すごく楽しかったですしいい試合でしたね。誘ってくれてありがとうございます」
「いい試合っていうか、最初から最後までお前1人で無双して、助っ人頼んだ俺たちが逆に相手を可哀想に思ったよ」
「マジでそれな!あれはどの運動部も欲しがるわけだ。何やらせてもチートだもん」
「先輩方が僕に絶妙にパスをしてくれたおかげです。チームワークの勝利でしたね」
「いやいやいやいや! 後半スリーポイントシュート15連続で決めた時なんか俺には後光が見えたもん!」
「わかる。流れる汗がキラキラ輝いて見えて流石王子って感じで!」
「あはは、流石に褒めすぎですよ」
後光とはなかなかいい事言うじゃないか。
この僕ですらあまり言われたことのない素晴らしい表現だ。
「また誘ってくださいね、先輩」
お礼に君たちにも僕の微笑みをあげよう。
「……おう、また頼むわ」
「も、もちろん」
『雪解けスマイル』は同性にも効く。
本日の王子業務も滞りなく。
才太は内心で小さく頷く。
外面が整っていれば、人間関係は案外うまく回る。
笑う。相手の話を覚えておく。困っていることがあれば、手が届く範囲で助ける。
近すぎず、遠すぎず。
親しみやすいけれど、簡単には触れられない。
「王子ー! この前の講義ノート、あとで送ってもらってもいい?」
「小テストまた満点だったんでしょ? 人間やめてない?」
今度は同じ学年の女子たち。
「ただ覚えるのが得意なだけだよ。ノートはあとで送るね」
「テスト範囲がどんだけ広いか……。そんな台詞、一回でいいから言ってみたい」
「助かるー! ありがと! またなにかお礼するね」
「どういたしまして」
また笑う。 また手を振る。
完璧に近い一日。
いつも通りの一日。
いつも通りすぎる一日。
「……退屈だなあ」
誰もいないことを確認してから、才太は小さく息を吐いた。
もちろん、聞かれてはいけない。 完璧王子が退屈そうにしているなんて、あまりに夢がない。
退屈するなら、せめて絵になる憂い顔で。
そこは徹底している。
昔から、何をするにしても全て上手くできた。
見たものは、ほとんどそのまま覚えられる。
授業の内容も、年号も、数式も、一度頭に入れば滅多に抜けない。
身体を動かすことも得意だった。
頭の先から足の指先まで、完全に自分の思い通りに動かせるし、 動画でアスリートや格闘家の動きを見れば、必要な筋量さえ足りていればだいたいすぐに再現できる。
もちろん努力はする。
身体は鍛える。 髪も肌も整える。 表情も、声も、歩き方も、魅せ方も。
何の努力をしなくても全て上手くいくわけではない。 ただ、やったら必ず結果が返ってくる。
それが、ずっと当たり前だった。
勉強も。 運動も。 人間関係も。
全て予想通り、想定通りの毎日。
足りないものは、何もない。
なのに。
胸の奥だけが、ずっと何かが足りない。
知らないものが欲しい。
まだ誰も答えを知らないもの。
自分の予想を軽々と越えてくるもの。
触れた瞬間、今までの自分の輪郭が変わってしまうようなもの。
講義棟を出て、大学の敷地の端へ向かう。
古びた木造の武道場がある。
新しい体育館とは違う、少し湿った木の匂い。 畳の青さ。 古い建物特有の、時間が積もったような空気。
どこか懐かしい嫌いではない匂い。
引き戸の前まで来ると、中から畳を擦る音が聞こえた。
半歩。
摺り足。
深く沈む。
次の瞬間、空気を裂くように踏み込む。
そして羽のように着地している。
それだけで音の持ち主が相当な鍛練を積んだことがわかる。
才太の口元が自然に緩んだ。
「精が出るね、桃流」
引き戸を開ける。
道場の中央に、一人の青年がいた。
荒谷桃流。
才太の幼なじみで、竹馬の友で、腐れ縁。
そして、才太が長い時間を一緒に過ごしても、なお新しい発見をくれる数少ない人間だった。
袴の袖から伸びた腕は、太すぎない。
けれど余計な肉はなく、地面を踏む足も、腰の落とし方も、肩の抜き方も、すべてが実戦のために整えられている。
桃流は振り返らないまま口を開く。
「遅かったな」
「授業終わりに、後輩から黄色い声を浴びてた」
「そうか。難儀な人生だな」
「もう少し羨ましがってくれてもいいんだよ?」
「一ミリも羨ましくないんだが」
軽口を叩きながら靴を脱ぐ。
道場の端を歩き、桃流の近くまで行くと、才太は何の遠慮もなく畳に寝転がった。
「はー……、落ち着く」
「道場で寝るな」
「この硬さがいいんだよ」
「寝具ではない」
桃流は短く息を吐き、再び構えた。
仰向けのまま、その動きを眺める。
突き。 受け。 捌き。 入り身。
派手な技ではない。 跳び蹴りもなければ、漫画みたいな必殺技もない。
けれど、少しの重心移動だけでも洗練された美しさがある。
才太の目が細くなった。
今の足運びは、いつもと違う。
「ねえ、今の」
「見るな」
「無理。見えた」
「……だから嫌なんだ、お前は」
桃流の眉間に皺が寄る。
才太は楽しそうに笑った。
「右足を出す前に、左の踵を少しだけ浮かせてたよね。あれで相手の視線を上に釣って、次の入りを半拍遅らせる感じ?」
「一回見ただけでそこまで言うな」
「合ってる?」
「概ねな」
「やった、新技だ。すげー足つりそうな動き。袴をちょっと上げて、もう一回見せてよ」
「駄目に決まってるだろ」
才太の瞳がわずかに輝く。
こういう瞬間だけ、退屈が薄れる。
誰かが長い時間をかけて磨いたもの。
自分の知らない理屈で組み上げた動き。初めて見ただけでは、底が見えないもの。
桃流の武は、才太にとって数少ない未知だった。
「また飽きてるのか?」
桃流が構えを解き、才太を見下ろした。
「毎日こうも代わり映えしないとね」
「贅沢な悩みだな」
「贅沢なのは自覚してるよ。顔もいいし」
「自分で言うな」
桃流は壁際の手ぬぐいを取った。 額の汗を拭う仕草まで、妙に様になっている。
才太が、誰もが目を奪われる星なら。
桃流は、大地に根を張った木だ。
派手ではない。 けれど折れない。 揺れても、倒れない。
自分の中に、誰にも動かせない一本の芯がある。
才太は、そのことを少し羨ましく思っている。
「お前は昔からだが」
不意に、桃流が言った。
「心の底から、自分が世界の主人公だと思ってるだろ」
一瞬だけ、才太は目を瞬かせた。
けれどすぐ、悪びれもせずに笑った。
「否定はしないけど。みんな、そんなもんじゃない?」 「普通はそこまで堂々と言わん」
「自分の人生の主役は自分だって、よく言うじゃん」 「そういう意味で言ってない」
「分かってるよ」
ゆっくりと身を起こす。
窓の外には、午後の大学が広がっていた。
学生たちが歩いている。 笑っている。 次の講義へ向かっている。
誰もが自分の人生を生きていて、それぞれの物語の中心にいる。
けれど才太は、昔から少しだけ違うと思っていた。
自分がどこにいても。 何をしていても。
きっと、いつか。
何かが起きる。
そんな根拠のない確信が、ずっと胸の奥にあった。
「いっそのことさ」
だから、まだ何も起きていないだけだ。
「異世界に召喚でもされたら、退屈しないのに」
桃流は手ぬぐいを肩にかけたまま、深いため息を吐いた。
「また下らんことを」
「下らなくないよ。剣と魔法の世界だよ? 見たこともない生き物、モンスター、ダンジョン。そんな世界を勇者として救う冒険をするんだ。浪漫しかない」
「お前、卒業したら考古学者になるんだろ。ロマンはそこにあるだろ」
「ピラミッドも沈没船も恐竜も、もちろん大好きだよ。でも全部、過去じゃん。僕は未来が欲しいんだよねー」
「お前は考古学者に土下座しろ」
桃流は呆れた顔をしながらもなんだかんだ話にのってくれる。
「お前が勇者だとして、俺は何になるんだ」
「桃流は戦士かな。修行の末にご先祖様である桃太郎の血と魔法が何か化学反応的な事を起こして覚醒する」
「雑な設定だな」
「内政チートもいいよね。現代知識で産業革命とかしちゃったり!」
「止めとけ止めとけ。お前は身体能力だけ異常に高性能なくせに性格がポンコツだからな。ろくなことにならん」
「ひどっ。そんなこと言うの、お前くらいだよ」
「他の連中が甘やかしすぎなんだ」
二人で下らない話をして笑い合う。
けれど才太は、ほんの少しだけ本気で想像していた。
知らない世界。 知らない空。 知らない風。
自分の名前も。 肩書きも。 完璧王子なんて呼び名も通じない場所。
そこで、自分は何になれるのだろう。
考えただけで、胸の奥が熱くなる。
「下らんことを言ってる暇があるなら、組み手でもするか」
桃流が言った瞬間、才太は勢いよく立ち上がった。
「マジ? 新しい技、見せてくれる?」
「見せるとは言っていない」
「今の流れは見せる流れだった」
「違う。黙らせる流れだ」
「なるほど、実戦形式ね。最高」
肩を回し、身体を伸ばす。
桃流はまたため息を吐いた。
「一応、うちの武術は一子相伝ってことになってるんだがな……。見ただけでホイホイと再現されると困る」
「大丈夫、大丈夫。僕、口は固いから。中学の頃お前と二人で武者修行だー!って道場破りして回った話も誰にもしてないでしょ?」
「お前っ、二度とその黒歴史を掘り返すな! 俺も若かったんだ! 反省してる!」
「えー! 僕は楽しかったいい思い出なんだけどなぁ」
「構えろ、才太。記憶ごと消してやるっ」
二人が向かい合う。
畳の上で、足の位置を整える。
才太が笑い、桃流が睨む。
その時だった。
足元から、白い光が二人を照らした。
「……ん?」
最初は、窓から入った日差しが畳に反射したのだと思った。
けれど違う。
畳の上に、見たことのない紋様が浮かび上がっていた。
円。
幾何学模様。
文字のようで、文字ではない記号。
何重にも重なった線が、白い光を帯びながら二人の足元を囲んでいる。
「うわっ、なにこれ。魔法陣!?」
才太の声が跳ねる。
「才太! お前が訳の分からんことを言うから!」
「えっ、僕のせい!?」
「タイミング的にどう考えてもお前のせいだろ!」
光が強くなる。
風はないのに、桃流の袴の袖が揺れた。
床から白い炎が吹き上がるように、二人の輪郭を飲み込んでいく。
「昔からそうだ! なんで俺は、お前の厄介事に毎度毎度巻き込まれなきゃならん!」
「そんなこと言うなよ! 僕たち幼なじみだろ! 一緒に異世界ライフを満喫しようぜ、マイブラザー!」
「俺は異世界なんぞ行きたくない! 行くなら一人で勝手に行け!」
「動けないし、もう無理っぽい! ここまで来たら一蓮托生ってことで! ごめん桃流!」
「嬉しそうに心にもない謝罪をするな、このポンコツ頭!」
桃流の怒声が、光の向こうへ遠ざかる。
才太は最後に、道場の天井を見上げた。
何度も寝転がって眺めた木目。 変わらない景色。 退屈で、平和で、不足のない日常。
それが、白い光に塗り潰されていく。
恐怖より先に、期待が来た。
胸が高鳴る。
ああ。
ようやく。
何かが変わる。
ずっと、そういうものに出会いたかった。
書きためているので今日中に推敲しもう少し投稿します。




